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2008年10月30日 (木)

5円の使い道(6)

5円の使い道(6) 弥次郎
▽俺は公明正大だ

これから波の上の氷屋を見舞おうとこころざし足を向けたが、西武門の縄暖簾(なわのれん。居酒屋のこと)がいたく俺の注意を引いた。入ろうかと片心は思ったが、どうしてもこの風体では資格がないように思われて躊躇(ちゅうちょ)した。三浦梧楼先生や故 田口鼎軒先生などは縄暖簾が大好きで三浦先生の縄暖簾ときては有名だ。田口先生もかつて言われたことが、西洋の宴席は日本の縄暖簾式から進歩したものである。式作法などという七面倒なことなしに、熊公ハチ公の簡易生活はよほど西洋的にできてる、とさかんに縄暖簾推賞論をしたものだそうな。俺もどっちかという同感である。沖縄の縄暖簾はどうかまだ研究もしてみないが、この際だと思うもののまだ弥次としての功を積まぬのだから気が小さいなどと思っていると、プンとする食い物の匂いが息づまるほどだ。

▲汁もありますよ 
「汁もありますよ、もっとめしあがれ」などバーチー(おばさん)が叫んでいた。なかには長テーブルをはさんで左右に長い腰かけをすえて7、8名ばかりの車力(くるまや)さんがさかんに食っている。湯気立ちこめてモヤモヤとランプの光さえぼんやりするくらいだのに、客は平気なものだ。俺は質に取られた阿呆のようにしばらく立っていた。ソロソロ氷屋の方に歩を転じた。氷屋も客寄せの手段にいろいろ考えたものだ。ベーラー店(1906年創業の人気沖縄そば屋、ベーラーそば)の植木はおもしろいのだ。俺には専門家のようにこの枝ぶりがどうの、花つきがどうの、葉ぶりがどうのと評する資格はないが、鉢をあれだけ並べたのでも感心する。それよりも誰やらが言った

▲サシカがおもしろい
サシカがおもしろい。話を聞くと、主人のベーラー先生は東洋人のそうだが、よほど風流人と見えた。本業はソバ屋だが、またこういう氷屋を営むにも植木盆栽の趣味で客を引く。辻などではすこぶる受けがよく、若い娼妓の園芸趣味は先生によって鼓吹され培養されるらしい。「この葵はようござるんすね」「望みなら持って行け」、「このマッコーはきれいですこと」「欲しいならやろう」、「菊苗を少しくださいな。ソレからアサガオも・・・」「よろしい」、とロハ(無料)でくれもするからターリー(父さん)、受けがよい。それで氷もよく売れる店が繁昌・・・ホウ、あまりベーラー店のことばかりペラペラしゃべってもいかぬ。氷ブドウ2杯で失敬したよ。

▲おいくさんと蓄音機
次の不勉強屋(沖縄そば屋)もなかなか大勉強。女中のおいくさんは青年飲氷家に気受けがよい。キレイはとにかく愛嬌がよくて沖縄言葉ができる。3つ道具そろってるうえに大の勉強家だ。これもひとつの看板だが、蓄音機がこの店の客寄せ。浪花節・都々逸(どどいつ)、何でも唸(うな)らす。ちょうど某材木店の番頭さんと某銀行の書記さんが大きな声を出しながらビールをあおっていると、その向こうには商人体の男が陣取って、酩酊加減でたちまちこっちと大論判が始まったようだが、喧嘩の相手はこっちじゃないらしい。かえって同情を求めるような口風であるが、商人体の男は怒りが収まらないで「フン、○○銀行だって馬鹿にしやがるない。こっちにゃビタ一文だって恩にはなりゃァしねえぞ。君らはどう思いますか」・・・・・・なんかとわめいている。こちらは「ウムウム、そうだもっともだ」といいかげんにあしらっていた。喧嘩もこれくらいが適度だと思ってビール1杯かたむけて俺はここを辞した。(つづく)

(「琉球新報」大正3年《1914年》7月24日)

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2008年10月26日 (日)

講座開催日せまる!

いま話題の沖縄歴史本、『目からウロコの琉球・沖縄史』『誰も見たことのない琉球』著者のワタクシ「とらひこ」による桜坂市民大学の歴史講座、いよいよ開催日がせまってきました!

講座は昼・夜の2コース!

◆イラストで学ぶ沖縄歴史(11月4日開始!全5回。毎週火曜日21:00~22:30)

〔受講料〕9000円+1600円(テキスト代『誰も見たことのない琉球』)
〔講座内容〕1:古琉球とは 2:世界遺産のグスク 3:古琉球人のすがた 4:王国のかたち 5:大交易時代の実像

◆目からウロコの沖縄歴史(11月7日開始!全5回。毎週金曜日12:15~13:45)

〔受講料〕10000円
〔講座内容〕1:すぐわかる、最新沖縄の歴史 2:琉球史のお酒の話 3:500年前の沖縄移住ブーム 4:元気がでる琉球史の話 5:琉球の構造改革

お申し込みはまだ間に合います。興味のある方、ぜひ受講してみてください!


お申し込みは【こちら】まで!

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2008年10月23日 (木)

中国式火砲の撃ちかた

Cimg3002_2

10月12~16日まで中国ツアーの同行解説をしてきました。ツアーでは福建省の土楼(承啓楼)に立ち寄ったのですが、そこで沖縄の歴史とも関係する重要な発見が!種子島へ鉄砲が伝わる以前、沖縄に存在していた中国式火砲「火矢」を発射する場面に偶然、遭遇したのです。僕も実際の発射を見るの初めてです。今回はこの「火矢」発射の手順を紹介していきましょう。

Cimg3007_2

↑これが中国式火砲(手銃)。3つの鉄の筒からなっています。「三眼銃」と呼ばれる銃と同形式のもの。映画「もののけ姫」に登場した石火矢といえばわかりやすいでしょうか。沖縄でも「火矢」と呼ばれる同じかたちの火器が存在しています(沖縄県立博物館に所蔵)。

Cimg3020

↑三眼銃の拡大画像。

Cimg3013

↑火薬入れと新聞紙。

それでは発射までの手順。

(1)まず筒の中に火薬を入れ、棒(さく杖)で突き固めます。筒には点火のための小さな穴があり(火門)、そこに導火線も差しこみます。

Cimg3012

(2)次に新聞紙の破片を丸めて筒の中に押しこみ、

Cimg3014

(3)新聞紙を棒で筒の奥まで詰めて、さらに突き固めます。これで準備完了。

Cimg3015

(4)この手順を3つの筒すべてに行います。

(5)それでは、短いですが実際の発射シーンを動画でご覧ください。撮影に慣れていないため(実は今回がビデオ撮影初めて・・・)映像がブレてしまっていますが、その点はご容赦ください。

現在では兵器ではなく祝砲として使用しているようですが、1466年、琉球使節が京都でぶっ放し人々を驚かせたという「鉄放」は、まさにこの種の火砲のことでしょう。

実際に見て感じたことは、まず火砲の威力のすごさ。腹に響く衝撃でした。中国式火砲は火縄銃と比べ命中率が低かったようですが、戦場でこれを並んで撃たれたら腰を抜かしてしまいそうです。威嚇としては充分使えるように思いました。ただ発射するまでの準備に非常に手間取っていたことも気になりました。発射してから次に発射するまでに3つの筒に火薬と弾丸を入れるまでに時間がかかることから、やはり連射は難しいように感じます。三眼銃などの中国式火砲は敵が接近した際に発射して、その後は銃をこん棒のように振り回し打撃武器としても使ったそうですが(派生型には槍付きの銃あり)、それも納得です。

現在、火縄銃の発射実演は日本各地のイベントで見ることができますが、中国式火砲についてはなかなか少ないと思います。大変貴重な体験でした。

なお欧米の三眼銃発射の動画もあるようなので、参考までに【こちら】をどうぞ。撃っているおじさんがノリノリなのが少々気になりますが・・・

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2008年10月16日 (木)

5円の使い道(5)

5円の使い道(5) 弥次郎
▽俺は公明正大だ

車(人力車)は闇をつらぬいて1潟10里と走る。濡道(しったいみち)に入り美栄橋を渡り、十貫寺通りをまっすぐに崇元寺橋にかかった。崇元寺は橋いつ見ても納涼客がいっぱいだ。こいつらを一つ驚かしてやれと言って、幌(ほろ)の下から風船玉を放った。さっきちょっと言い忘れたが俺の同僚その他の者に見つかるまいと幌深く顔を隠していたのだ。風船玉は都合よく3個投じたが何の影響もなく、3個とも闇から闇にコロコロと転げていった。一つとして満足に飛べなかった。交番所の前でちょっと車をとめて時計を見ると、まさに10時10分であった。コリャ大変時間(ひま)取ったものだ。同交番所わきに火の番と消防の倉庫が建設中であるが、そんなことにはかまわずサッサと泊前道に折れた。

▲鱶で問題になった
鱶(ふか。サメ)で問題になった国吉医院の前を通る時、俺は敬意を表せざるをえなかった。さっそく風船玉を5個投げて首尾よく飛んだか、首尾よく地に落ちたか、後をも見ずに車は宙を飛んだ。潮の落ちた泊の入り江は泥くさい風が生ぬるく吹いて、泊アーカー(*)の恋物語も、今いずこにかあるだ。我は恋ならぬ幌車5円の金も使いかねて風船玉とは、出雲の神(*)にも見放された。よくよくの薄馬鹿大将だと

▲泊アーカーにも
泊アーカーにも敬意を表して風船玉1つを見舞い、泊高橋に折れると、ちょうど俺の後ろから襲いかかるがごとく那覇行きの電車がゴーとうなって過ぎた。高橋の上にも首里行きのが座をすえて待っている。電車の客は電灯の光でパッと照らされて男も女も鮮やかな姿を浮かしている。中に泊アーカーの女みたような絶麗の美人が一人くらいはいそうなものだが、思うぐらいであった。ここでまた風船玉を一つ放り出した。何のつもりか我ながらわからぬ。少し気が変になってはいないかと思った。電車に追い越されながら、そのベルの音を後に聞きつつ若狭町通りを走る。

▲旧番地の裁判所
裁判所前を通るとき、ふと思い出して笑った。那覇区の番地変更はすでに全区にわたってすんだことだが、この裁判所ばかりは閑却されていまだ番地札が旧態依然だと、「区吏の目に 裁判もれて 旧番地」と一句しゃれて行き過ぐれば、車は西武門の電灯光裡に暴露した。何やら大きな黒いものが線路外に横たわって群集がガヤガヤしているのは軌道会社の鉄橋であった。アア、これは観音堂下の線路に使用するものだなと思った。ここで下車したが、車賃12銭(*600円)は安かった。(つづく)

(「琉球新報」大正3年《1914年》7月23日)

泊アーカー …泊阿嘉。琉球歌劇。明治末から大正の初め、組踊・琉球歌劇などの形式で有力劇団の公演にかけられ大ヒットした。阿嘉の樽金(たるかに)と泊村の鶴(ちるー)の悲しい恋物語。泊高橋はその舞台。
出雲の神 …縁結びの神として有名な出雲大社のこと。

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2008年10月 9日 (木)

5円の使い道(4)

5円の使い道(4) 弥次郎
▽俺は公明正大だ

3回までは5銭(*250円)ずつ出してやったが、後はドンドン気に任せて何回だか数もおぼえぬ。やり続けたが、成績がどうも思わしくない。敷島2個当たったきり、後は筆と鉛筆ばかり。それが14本つかまされた。あまり馬鹿らしくなったのでよそうとしたが、主婦(かみさん)と小僧はなかなか許さない。そんなら最後の1回と試みようとやったが、今度は5銭ぐらいの石鹸が1個当たった。主婦は俺を逃がすまいとタコの手落としをやって、「ご覧なさい、これは明日から初めますが、あなたには特別にさせてあげます」とゴムまりを持ち出したが、もう店舗は大供・子供が俺を中心にザッと20人ばかり集まっている。後ろをふり返ってみると、電気会社の大嶺君がつっ立っている。これで85銭(*4250円。17回遊んだ計算)使ったわけだから、化けの皮があらわれぬうちだと失敬して、次に足を向けたのは三角の

▲氷と支那ソバ
氷と支那ソバ(沖縄ソバのこと)をちゃんぽんに売る店である。こっちから入ると氷店、あっちから入ると支那ソバ店と中の仕切りで品物と客の種類を別にしているところだ。氷から蒸発する気体と支那ソバから蒸発する気体とがこんがらかって変な蒸せっぽい空気が屋内を満たしている。俺は食べもしないくせに支那ソバの入口から入りこんで席をとった。俺と同席したのは60ばかりの田舎爺が酔っ払って胸前をはだけて座っているのと、40ばかりの粟国女がいる。女は支那ソバ2杯半をたいらげたところである。半というのは1杯をたいらげ尽くして今度2杯目の半分というところで箸を休めたのである。

▲支那ソバは牛の腸
氷のうえに支那ソバを食ってはちょうどこの店のような体裁になるのはきまっているが、しかたがない。注文に及ぶとやがて粟国人のオンチュー(人を見ては粟国《アグナー》と思え、というコトワザもあるまいが)が運んできた。ソバはプンと売りからが野蛮なものだ。油が染み出して触るとヌメヌメする。椀を犬のするようにあごを突き出して据え食いにしたが、どうしてなかなか食えるもんじゃない。牛の腸(はらわた)か何かのように堅くって堅くって(牛の腸は実験したことはないが)、やっと汁だけ吸って箸を置くと、酔っ払いの爺が「あなた食べぬなら私にくれぬか」と言う。「少し堅いがおあがんなさい」と言って、5銭(*250円)投げ出してここを立ち出でた。

▲風船玉を飛ばす
郵便局前をトボトボとやってくると、「参りましょうか」と車力(くるまや。人力車)さんが梶棒をつきつける。渡りに舟、イヤ車と何の気なしに飛び乗ると、車力は「どこへ参りますか」と問う。「崇元寺からズッと波之上まで引きまわせ」・・・・・・にかしこまったの高飛び車は、勢いよく駆け出した。久茂地通りに差しかかるとフト見つけたのは風船玉。そうだこれを一番買ってやろうと子供らしい考えで、車力を店頭に引きとめ「風船玉を30個ばかり買ってくれ」、風船玉・・・・・・と車力は怪訝な顔をしたが「何でもよいから子供のおもちゃにする風船玉だ」。風船玉1個1銭(*50円)するのと5厘(*25円)するのとがあった。1銭のやつを30個仕入れて、サァこれからまた発展だ。(つづく)

(「琉球新報」大正3年《1914年》7月22日)

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2008年10月 2日 (木)

5円の使い道(3)

5円の使い道(3) 弥次郎
▽俺は公明正大だ

どこへこれから行こうとアチコチ見まわして立っていたが、フト見つけたのは球屋だ。いつかのスケッチ子(琉球新報3面にあるコーナー)に紹介された通りなら、これは面白いと店頭に立ったが、人(客)一人いない。主婦(かみさん)と小僧がちらちら人待ち顔に立っていたりするばかりである。俺は思いきってとうとう5銭(*250円)をつまみ出して台に置いた。

▲主婦ニコニコ
主婦(かみさん)ニコニコ者で出てきて「おやりになりますか、球ころがしなら5銭です。5銭出してすべて当たったら敷島(戦前のタバコ)5個です。50銭(*2500円)儲かります。なかなか上手の人がおりますよ。あなたもお上手でしょう。様子でわかりますわ・・・」などとやらぬ前からおだててくる。それから見ると俺もまったくのむく鳥(田舎者、おのぼりさんの意味)だなァと思ったが、よしよし、だまされたと思ってやってみよう。こうした機会でなければできぬと奮発して、サァやってみた。

▲球は7つ並べられた
1つ1つ台板をはじき出す心地はよい。コロコロ転がっていって穴の中へハマる時は勝ったような気分になるが、さてなかなか思う壷に投ずるということはむずかしいんだ。はじき返されて後に戻りハマるかと思うと、穴を飛びこして隣の球とカチ合い穴外に停止したり、前の球を押しころがして自分がその穴に入り先のやつを穴無しにしたり、ぶつかっては離れ、離れてはぶつかり始末におえぬ。7つの球をすっかり転がし終わって、「5つ入りましたからサァ10銭(*500円)の敷島をあげます・・・」

▲貴方はよほどお上手
「あなたはよほどお上手ですわね、サァ、もいっぺんおやりなさい・・・」よしよし、新馬鹿大将の俺はまた5銭、財布からつまみ出し、マッチをすって戦利品を吹かしながらやりだした。小僧のやつは球の転がるたびに「ヤッコラヤッコラ、あぶないあぶない・・・」とわめいて手をたたいたり足を踏みならしたり、台板のまわりを飛びはねる。「オウ、向こうの球屋にまた馬鹿者か、一人かかった」と近所の若い衆や子を抱いて涼みに出た職人などが寄ってきた。人一人もいなかった店頭は早や

▲群集が黒山
群集が黒山をなした。馬鹿らしくもなり、恥ずかしくもなり、我ながら気の毒にもなり、変な心持ちになったが、そこは方便なもの。さっきの氷ビールが手伝って俳優気分になって、俺の舞台を見よとばかり一寸の球にも五分の隙があろうと、その隙を狙っては転がし転がしすると、今度も敷島1個当たりました・・・ときた。よっぽど俺は上手だ。この勢いでは、店中の敷島は今に俺のものになる。もういっぺんやるぞ・・・・・・(つづく)

(「琉球新報」大正3年《1914年》7月20日)

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