5円の使い道(1)
大正時代の沖縄の新聞「琉球新報」に、面白い企画モノの記事が載っていたので紹介します。記者の弥次郎さん、会社から突然5円(現在価値で2万5000円。当時の1円=5000円で計算。あるいは当時の沖縄ではもっと大金に感じたかも)をわたされ、それを一晩のうちに使い切るという何ともふざけた企画。
現在のテレビのバラエティ番組で芸能人がスタッフからお金を渡され、それを自由に使って遊ぶという企画があったりしますが、何と100年前の沖縄でも同じようなことをしていたわけですね(笑)いきなり大金をわたされた弥次郎さんは、いったいこれをどのように使い切るのでしょうか?
(注)記事の文は現代読みになおしてありますが、内容の改変はありません。
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5円の使い道(1) 弥次郎
▽俺は公明正大だ
「金5円(*現在の25000円相当)なり。一夜のうちに使ってこい。ただし不健全な場所には立ち入るべからず。傍観的態度ならあえてかまわぬ。公明正大にせよ。すみやかに出発すべし」との命令。
オット、承知の介(すけ)。飛び出そうとしたが、なかなかこれは難問題じゃ。俺の知恵、俺の手腕ではどうかなと二の足を踏んだが、しかたがない、どうせ馬鹿の知恵は後からだ。ろくな使い方はえしまい、笑われるに決まっていようが、金5円!そうだと懐(ふところ)にしまいこんで社を出たのが7時半。
△まだ暮れぬから
暮れきって人顔がぼんやりする頃、いよいよ着手するにしかずと、しばらく跡をくらましていろいろ計画を立ててみたが、どうもこれぞという妙案も浮かばない。案を立てては崩し、崩しては立てするうちに時間は容赦なく進行して、警察の時鐘はゴーンとまず俺の胸をドンと響かせて続け、玉に打って8時を報じた。あたりもはや夕闇の幕に閉ざされて、木々を渡る風も薄冷えて涼しい。俺は今、とある家の門を立ち出でて薄暗い小路を出る。
△まず金をくずそう
懐にあるのは5円紙幣。まずこやつをバラバラにくずしてからかかろうと、石門のとある雑貨店の店頭に立った。俺の風体はみすぼらしくできている。宛然(そっくりそのまま)、一個の田舎代用教員か在郷軍人の那覇のぼりというところだ。その心持ちになって戦々恐々の体よろしく、あたりに不良少年はいないかと眼をくばりながら、さて何を買おうと額の汗をぬぐおうとしたが、ハンケチがない。扇子を取ろうとして腰に手をまわすとこれもない。散々トチって手ぬぐい1本5銭(*250円)、扇子1本12銭(*600円)よろしいと仕入れて店頭を離れたが、前途なお遠し、4円83銭(*24150円)ある。
△泥棒の気分
田舎代用教員の気分を味わって短身―この場合、短身と感じた―石門を出て警察署通りに出ると、すれちがったのは那覇署の久場刑事だ。店明かりに見た刑事の顔は俺をにらんでいるようにも思われたのでヒヤリとした。俺の懐中には今、俺の金のでない金がひそんでいる。ソレを一夜中に無目的に使っちまうというのだから危険だ。俺は泥棒ではないが刑事の眼もそれで光ったのじゃないか。思うともなく思うと、自分で自分が泥棒のように思われドキンとして、俺は全く泥棒気分になった。(つづく)
(「琉球新報」大正3年《1914年》7月18日)
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コメント
琉球の新聞でも、「弥次さん」という名前が使われるのですね。
投稿: 御座候 | 2008年9月20日 (土) 17:05
>御座候さん
大正期の沖縄の新聞を見ていて思うのですが、近代教育が普及した沖縄では意外と「ヤマト」的教養を多くの人が持っていたようです。連載にはこの後、喜多八なる人物も登場しますから、記者さんは自らの体験を「東海道中膝栗毛」になぞらえて、このペンネームを使ったようです。
投稿: とらひこ | 2008年9月21日 (日) 08:57