« 最新・琉球の歴史(4) | トップページ | 最新・琉球の歴史(5) »

2008年8月 3日 (日)

とらひこと行こう中国の旅・2008

今年もやってきました、ワタクシ「とらひこ」の現地同行解説による「目からウロコ」な琉球歴史ツアー!

今度は琉球の久米村の故郷と、そして何と、中国にある世界遺産をいっぺんに2つもまわるという超ゼイタクなツアー!

福建「客家(はっか)の土楼(世界遺産)・久米村毛氏の故郷」と幽玄の世界・武夷山(世界遺産)の旅

旅行期間:2008年10月12日~10月16日〔4泊5日〕
旅行代金:お一人様:149,800円(*)
募集人員:25名

企画:首里城公園友の会
協力:久米国鼎会
旅行企画・実施:株式会社エアー沖縄・浦添支店

*お一人部屋追加料金、現地空港税・燃油特別付加運賃は別途。詳しくはお問い合わせください。

【旅行スケジュール】

◆10月12日(日)

13:30 那覇空港発~上海浦東空港着。

上海の「外灘(バンド)」を散策後、市内レストランで夕食。

上海浦東空港発~(国内線)~桂林とならぶ中国屈指の景勝地・武夷山(ぶいさん)へ。

〔武夷山泊〕

◆10月13日(月)

~幽玄の世界「武夷山風景区」の観光~

武夷山観光のハイライト、碧水丹山の「九曲渓下り」!
復元した「宋街と武夷宮」!
茶葉研究所にて高級茶「武夷岩茶」の試飲!

武夷山はウーロン茶発祥の地とされています。希望者は、かつての皇帝献上茶で現在3本しか残っていない幻の「大紅袍」の原木へご案内!(徒歩1時間)

昼食は、宋代の儒学者・朱子(朱熹)が好んだとされる「文公宴」!

武夷山発~(国内線)~厦門(アモイ)へ。

〔厦門泊〕

◆10月14日(火)

専用車にて客家の人たちが居住する閩西地方の永定県へ(龍岩経由)。

昼食は「客家料理」!

~客家人の文化の結晶「土楼建築群(集合住宅)」見学~

最も美しいとされる「振成楼」
最も有名な円楼「承啓楼」
斜面に築かれた五角形の「順源楼」
など。

〔龍岩泊〕

◆10月15日(水)

久米村の故郷の一つである漳州(しょうしゅう)へ。

~「毛氏の大宗・毛国鼎」の子孫が住む角美鎮・満美村を訪問~

昼食は南普陀寺の名物「精進料理」をお召し上がりあれ!

名刹・南普陀寺、台湾金門島をのぞむ「胡里山砲台」など厦門観光。

市内レストランで夕食後、厦門発~(国内線)~上海・虹橋空港へ。

〔上海泊〕

◆10月16日(木)

専用車にて上海・浦東空港へ。

9:30 上海空港発~中国東方航空287便~那覇空港へ。

12:30 那覇空港着。

~おつかれさまでした~

募集は定員に達し次第、締め切りますのでお早めに(最終締切は9月5日)。すでに15名以上の応募が寄せられています!

お申し込み・お問い合わせは、

(株)エアー沖縄・浦添支店(平日:9:00~18:00、土曜:9:00~15:00、日曜:休み)
TEL:098-879-2525
FAX:098-876-7000

まで。または当ブログの「プロフィール」欄から入って僕宛てにメールにて参加希望の旨をお送りください。エアー沖縄のほうに取り次ぎいたします。

※さらに詳細は【こちら】(pdfファイルです)

それでは、ご参加おまちしております!

↓ランキング投票よろしくお願いします(緑のボタンをクリック)

banner

|

« 最新・琉球の歴史(4) | トップページ | 最新・琉球の歴史(5) »

コメント

琉球歴史ツアーとは何の関係も無いコメントで申し訳ございません。

ノロの軍事上の立場・役割について教えてください。

西暦1500年の「アカハチの乱」において、琉球王府軍に従軍した久米島のノロであるキミハエが、石垣島での着上陸作戦を立案したと伝わっています。
また西暦1522年、与那国の女酋長サンアイイソバが、与那国を支配しようとした武将鬼虎を征伐するために宮古島に援助を求め、それに応じて派遣された遠征軍に従軍したノロも、奇計を用いて遠征軍を勝利に導く働きをしたとも伝わっています。
これらの話から、ノロは加持祈祷を行って、兵士の士気を高揚させたり、軍勢の結束力を高めるといった精神的作用を及ぼすだけの存在ではなく、純軍事的な作戦にも参加した、あるいは参加していてもおかしくない存在とする認識があったのではないかと思われます。
宗教行事のみでなく、兵法も修め、場合によっては戦闘にも参加していたのでしょうか。
また、日本本土の寺社勢力のように、武装した教団もあったのでしょうか。

投稿: ホンガワラ | 2008年8月 4日 (月) 18:38

沖縄のノロの制度は琉球王統の政治の助言や祭り事に深く関わっていると思います、最高のノロは聞得大君でその支配下にそれぞれの島々、部落に配置されていたでしょう、イクサヌサチバイヤ女(イナグ)カラとあるように、戦いの前にはノロが船に乗り、祈り会い(のろい会い?)かな、今のハーリー又綱引きも名残りでしょうか、

投稿: カマドー | 2008年8月 6日 (水) 01:36

>ホンガワラさん、カマドーさん
古琉球においてノロが軍事的な役割を果たしたかどうかはまだ明らかにされていません。ただご指摘のような史書の話や、『おもろさうし』には「赤の鎧(よろい)」で武装したノロをうたう神歌もあったので、戦争において祈祷以上の働きをした可能性もありえます。

ただこの時代には、現在の我々が考える「軍事」と「祈祷」の区別が明確でなかったとみられます(霊力も実際の戦闘力と同じように考えられていた)。ノロの社会的役割から考えて、やはり宗教的行為が敵を倒すための主な「武器」だったような感じがします。

この現象は琉球に限らず、当時の日本にもみられます。例えば元寇では僧侶たちが祈祷による戦功を主張しています。祈祷が戦闘行為と同様に考えられていたようです。

琉球では王府以外で武装した組織的集団はいまのところ確認されていません。多様な権力体が並存していた中世の日本と違い、琉球は王府による強力な中央集権体制が敷かれていたので軍事力は王府一極に集中した状態でした。

投稿: とらひこ | 2008年8月 7日 (木) 06:40

>とらひこ先生
確かに「霊力」は一つの「武器」ですよね。
旧日本軍もその「精神力」を強力な武器としてましたし。
ただ「アカハチの乱」において、オモト神のご神託とはいえ、琉球王府軍を勝利に導いた作戦をノロが立案したと伝わっている事がとても不思議です。
大里按司他9人が将として遠征軍を指揮していたはずなのに、武人として彼らは何をしていたのでしょう。

鎧をつけたノロについて、図書館でおもろさうしを調べてきます。
これからもいろいろお教え下さい。
感謝の気持ちを込めて、職場と自宅からランキングをクリックいたします。

投稿: ホンガワラ | 2008年8月 8日 (金) 10:14

>ホンガワラさん

史書でみるかぎり、ノロは参謀というか軍師的な役割で、最終的な物理的制圧は大里ほか王府軍が行っていたように感じられます。

ランキングクリック、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくです。

投稿: とらひこ | 2008年8月11日 (月) 23:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 最新・琉球の歴史(4) | トップページ | 最新・琉球の歴史(5) »