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2008年8月28日 (木)

最新・琉球の歴史(8)

明朝の崩壊と琉球の大改革

琉球王国が日本の幕藩体制に組みこまれた頃、中国の明朝は弱体化していました。1644年、反乱軍によって都の北京が陥落して明朝は滅びます。代わって政権をにぎったのは女真(満州)族の清朝です。

超大国の「中華」・明朝が倒れたことでアジア周辺諸国は大きな衝撃を受け、朝貢国だった琉球でも大騒動になりますが、結局は清朝に従います。この動乱で中国貿易も一時的に断絶してしまい、また琉球国内では薩摩の征服後にこれまでの矛盾が噴出し、王国の社会システムが機能不全を起こしていました。

内外の混乱のなか、事態を打開すべく登場したのが羽地朝秀(はねじ・ちょうしゅう)です。彼は強力なリーダーシップを発揮し、それまでの古琉球の政治・経済・社会を大転換する改革を断行します。現在私たちが認識する琉球の「伝統」は、ほとんどこの時期から生まれたものです。羽地はこれまでの「海」を中心とした交易国家の社会システムから、日本の幕藩制国家に整合させるようなかたちで「陸」を中心とした農業国家の社会システムへと転換させるのです。

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【図】羽地朝秀(想像画)

近世の琉球王国は国内で生産した砂糖ウコンなどの高付加価値の商品をヤマト市場へ売却してばく大な利益を得、その資金をもとに中国との貿易を行うというサイクルをつくりあげます。その結果、琉球はヤマト経済への依存・一体化が進行しましたが、それまで衰退・地盤沈下しつつあった琉球は、近世の国際秩序に対応しながら新しい体制を築いて再びよみがえったのです。

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羽地の改革路線を継ぎ、琉球王国の近世体制を完成させたのが蔡温(さいおん)です。この頃に進められた重要な動きは琉球の「中国化」です。新たな価値観として儒教イデオロギーが導入され、風水思想をはじめとした中国文化を以前にも増して積極的に取り入れていきます。琉球の「伝統」文化がどことなく中国に近い印象があるのは、この時期の「中国化」政策によるところが大きいといえるでしょう。また中国式の船「マーラン船」の導入と、あわせて行われた商品流通政策の結果、王国の海域内には網の目のような海上の物流ネットワークがはりめぐらされました。

「中国化」政策の背景には、清朝が朝貢貿易を縮小させようとする動きに対して、「中華」に従う忠実な優等生を演じてその回避をはかったことと、ヤマトに呑み込まれないよう自らを「中国化」して新たな「琉球」のアイデンティティを創ろうとしたことがあったのではないかといわれています。意外なことに、完全な独立国家であった古琉球よりも、むしろ近世になって「琉球人」意識は増幅・強化されていきます。

このように、日本と中国へ“二重朝貢”する近世の琉球は、両大国のはざ間で決して自己を見失わず、絶妙なバランスをとりながら限られたなかでの主体性を保持しようとつとめていたことがわかります。

(つづく)

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2008年8月24日 (日)

朝日新聞の歴史講座!

なんと、とらひこの「目からウロコ」な琉球歴史講座が、本土初上陸です!

朝日カルチャーセンター講座・日本の歴史と文化

「新視点・日本の歴史(18)―15世紀」

日時:11/1から5ヶ月(全10回) 土曜13:00~14:45

場所:朝日カルチャーセンター・横浜 〒220-0011横浜市西区高島2-16-1ルミネ横浜8階

受講料:28,350円(全10回)

内容:新史料の発見、新しい分析法の開発、現代社会の変化に伴う歴史の見方の反省等により歴史は変貌を続けています。各研究分野の第一線で活躍する講師陣の解説を通して最新の日本歴史像を追究します。今期は15世紀の諸問題を取り上げます。

(1)「日本国王」の成立―足利義満と東アジア …小島毅(東大准教授)

(2)能楽の大成―世阿弥とその後 …松岡心平(東大教授)

(3)足利義教の人と時代 …村井章介(東大教授)

(4)自立を求める東国地域 …阿部浩一(聖学院大講師)

(5)土一揆・徳政一揆と荘園の人びと …久留島典子(東大史料編纂所教授)

(6)応永・寛政の飢饉と室町社会 …清水克行(明大講師)

(7)五山の文芸と政治・外交 …末柄豊(東大史料編纂所准教授)

(8)琉球王国と海洋アジア …上里隆史(法政大沖縄文化研究所国内研究員)

(9)大蔵経、海をわたる …須田牧子(東大史料編纂所助教)

(10)応仁・文明の乱と京都 …東島誠(聖学院大准教授)

お申し込み、お問い合わせは【こちら】までどうぞ!

講座は10回シリーズで会員申し込みが必要となりますが、途中参加も可能とのことです。ワタクシ「とらひこ」が担当する講座は2009年2月21日です。他の回の講座はすごい先生方ばかりなので、これを機会に日本の歴史も学んでみてはいかがでしょうか。

実は僕が本土で講座を行うのは初めてになります。琉球史の最新の成果をわかりやすくお伝えしますので、どうぞご期待ください!

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2008年8月21日 (木)

最新・琉球の歴史(7)

日本版「小中華」に組み込まれた琉球

薩摩軍に征服された琉球は王国体制の維持が許されたものの、徳川幕府の体制下に組み込まれてしまいました。薩摩藩は絶対的な権力をもって琉球の上に君臨したのではなく、あくまでも日本の幕藩制国家のなかで琉球支配を担当する存在でした。

薩摩は琉球から奄美地域を割譲させ、また年貢の納入を義務付けます。さらに琉球の朝貢貿易にも介入していきます。琉球は様々な政治的規制をうけましたが、基本的な自治権は確保されており、最終的な政策の実行は王府にゆだねられていました。

江戸時代の日本は天皇・将軍を頂点に、朝鮮・琉球・アイヌ・オランダを従属した存在とみなして、中国とは別個の日本版「小中華」の国際秩序を(なかば観念的に)つくりあげていました。

幕府は日本の対外窓口を4つ(対馬・薩摩・松前・長崎)に限定して海外渡航を制限します(この政策はのちに「鎖国」と呼ばれます)。琉球は薩摩藩を通じて、日本の対外窓口の中心であった長崎のサブルートとしての役割も果たすのです。また「鎖国」政策は琉球にも適用され、自由な海外渡航ができなくなった外来の人々は、固定化された近世の琉球社会に同化していきます。

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琉球は日本版「小中華」秩序のなかで実際に従う国として、幕府の権威を高めるための重要な存在となります(朝鮮やオランダは日本側から勝手に従属国とみなされていましたが、実際にはちがいました)。琉球は国王や将軍の代替わりの際に徳川幕府へ使節団を派遣し(江戸上り)、また薩摩藩にも次期国王の王子が派遣されて薩摩との従属関係を確認します(中城王子上国)。

近世の琉球王国を薩摩藩の「奴隷」状態であったとする説は近年では否定され、実際には中国と日本に二重に“朝貢”する国家だったとする見方が有力になっています。薩摩に征服されてから明治に王国が滅びるまでの時代を「近世琉球」といいます。

(つづく)

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2008年8月14日 (木)

最新・琉球の歴史(6)

薩摩藩の琉球征服

その頃、北のヤマトでは戦国時代。豊臣秀吉が天下を統一して、さらにアジア世界の征服をもくろみます。

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【図】豊臣秀吉

秀吉は明を征服するためまず朝鮮に出兵し、琉球にも薩摩の島津氏を通じて服従をせまってきます。秀吉の企ては結局失敗に終わりますが、次は徳川家康が、秀吉の出兵で断絶した明朝との関係修復を琉球に仲介させようとし、島津氏がこれに乗じて琉球の支配を狙います。

この頃の薩摩内部は3つの派閥(島津義久・義弘・家久)に分かれ反目しあっていました。当主の家久は琉球領だった奄美を攻め取って家臣に与え、これをきっかけに藩内をひとつにまとめようとしたのです。

幕府は東北への琉球船漂着事件をきっかけに琉球へ使者を派遣するよう求めましたが、使者を派遣することは従属を意味していたため琉球は拒否します。そこで幕府は島津氏に琉球侵攻を許可し、1609年、薩摩軍が琉球に侵攻します。琉球は軍隊を動員して迎え撃ちますが、戦国乱世をくぐり抜けてきた精強な薩摩軍の前にはひとたまりもなく、敗れて薩摩藩に従属する存在となるのです。

グスク時代から王国の成立を経て、薩摩に征服されるまでの完全な独立国だった時代は「古琉球」と呼ばれています。

(つづく)

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2008年8月12日 (火)

雑誌に紹介されました

報告が少々遅れましたが、わたくし「とらひこ」は雑誌「Noblesse(ノーブレス)」Vol.15(2008年7月号)の特集記事「日本が知らなかった沖縄―風の琉球王国。」にて紹介されました!

本雑誌は「これからの日本を形成する新富裕層(新しいリーダーたち)と、その人たちを支える人々に送るメッセージマガジン」とのことです。雑誌の内容は商業主義に流されない、世界や日本の文化・自然にも深く切り込んだ記事も掲載する、一流をめざすホンモノ志向の“オトナ”のための雑誌です。

特集記事で僕は沖縄の世界遺産「グスク」をともにまわり沖縄の歴史・文化などを解説しました。青い海や白い砂浜の「リゾート」だけではない、「琉球文化」という沖縄の大きな魅力を伝えることができたと思います。

雑誌は書店販売ではなく、都心の最高級分譲マンションを中心に配布されているそうですが、【こちら】からも定期購読が可能です。興味のある方は是非、お申し込みを。

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2008年8月 7日 (木)

最新・琉球の歴史(5)

琉球王国の拡大と貿易の衰退

沖縄島を統一した第一尚氏王朝ですが、この政権は権力の基盤が弱く、尚巴志や懐機などのカリスマが死んだ後には王位継承争いや有力按司の反乱が次々に起こります。按司はいまだ各地に割拠していて、按司連合政権の性格は基本的に変わっていなかったのです。さらに明朝はそれまでの琉球の優遇策をやめ、貿易を縮小させようとします。実は琉球の対外貿易の全盛期は三山時代で、この頃から次第に衰退していきます。

1470年、第一尚氏王朝は金丸(のちの尚円)のクーデターによって滅び、新政権が誕生します(第二尚氏王朝)。新政権は国内の権力強化と版図拡大をはかりますが、この動きの背景には、貿易活動の衰退をカバーするため、国内の体制を強化して乗り切ろうとしたことがあったと言われています。

尚真の時代には王府が各地の按司の権力を奪って中央集権化を達成し、国王が絶対的な権力を手にします。また沖縄島の琉球王国は奄美と先島(宮古・八重山)地域へ軍事侵攻し、この頃までに北は奄美大島、南は与那国島までの広大な海域にまたがる島々を支配下におく国家を築きあげるのです。

しかしそれもつかの間、16世紀に入ると琉球をとりまく国際情勢は大きな転換期を迎えます。それは全世界をつないだグローバル経済の成立です。ヨーロッパ勢力のアジア進出と、中国の銀需要の増大で海域アジア世界は空前の「商業ブーム」が生まれます。南米産と日本産の「」が世界経済を動かす血液となり、民間の交易商人たちが世界規模で活動しはじめるのです。

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それまで明朝のもとで国営中継貿易を行っていた琉球王府は、この「民営化」の動きにほとんど対応できませんでした。しかし国際貿易港であった那覇は日本から東南アジアへ渡航する民間の交易商人たちの中継地として利用されていきます。東南アジア各地にあるような「日本人町」としての機能を那覇も果たしていきます。

(つづく)

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2008年8月 3日 (日)

とらひこと行こう中国の旅・2008

今年もやってきました、ワタクシ「とらひこ」の現地同行解説による「目からウロコ」な琉球歴史ツアー!

今度は琉球の久米村の故郷と、そして何と、中国にある世界遺産をいっぺんに2つもまわるという超ゼイタクなツアー!

福建「客家(はっか)の土楼(世界遺産)・久米村毛氏の故郷」と幽玄の世界・武夷山(世界遺産)の旅

旅行期間:2008年10月12日~10月16日〔4泊5日〕
旅行代金:お一人様:149,800円(*)
募集人員:25名

企画:首里城公園友の会
協力:久米国鼎会
旅行企画・実施:株式会社エアー沖縄・浦添支店

*お一人部屋追加料金、現地空港税・燃油特別付加運賃は別途。詳しくはお問い合わせください。

【旅行スケジュール】

◆10月12日(日)

13:30 那覇空港発~上海浦東空港着。

上海の「外灘(バンド)」を散策後、市内レストランで夕食。

上海浦東空港発~(国内線)~桂林とならぶ中国屈指の景勝地・武夷山(ぶいさん)へ。

〔武夷山泊〕

◆10月13日(月)

~幽玄の世界「武夷山風景区」の観光~

武夷山観光のハイライト、碧水丹山の「九曲渓下り」!
復元した「宋街と武夷宮」!
茶葉研究所にて高級茶「武夷岩茶」の試飲!

武夷山はウーロン茶発祥の地とされています。希望者は、かつての皇帝献上茶で現在3本しか残っていない幻の「大紅袍」の原木へご案内!(徒歩1時間)

昼食は、宋代の儒学者・朱子(朱熹)が好んだとされる「文公宴」!

武夷山発~(国内線)~厦門(アモイ)へ。

〔厦門泊〕

◆10月14日(火)

専用車にて客家の人たちが居住する閩西地方の永定県へ(龍岩経由)。

昼食は「客家料理」!

~客家人の文化の結晶「土楼建築群(集合住宅)」見学~

最も美しいとされる「振成楼」
最も有名な円楼「承啓楼」
斜面に築かれた五角形の「順源楼」
など。

〔龍岩泊〕

◆10月15日(水)

久米村の故郷の一つである漳州(しょうしゅう)へ。

~「毛氏の大宗・毛国鼎」の子孫が住む角美鎮・満美村を訪問~

昼食は南普陀寺の名物「精進料理」をお召し上がりあれ!

名刹・南普陀寺、台湾金門島をのぞむ「胡里山砲台」など厦門観光。

市内レストランで夕食後、厦門発~(国内線)~上海・虹橋空港へ。

〔上海泊〕

◆10月16日(木)

専用車にて上海・浦東空港へ。

9:30 上海空港発~中国東方航空287便~那覇空港へ。

12:30 那覇空港着。

~おつかれさまでした~

募集は定員に達し次第、締め切りますのでお早めに(最終締切は9月5日)。すでに15名以上の応募が寄せられています!

お申し込み・お問い合わせは、

(株)エアー沖縄・浦添支店(平日:9:00~18:00、土曜:9:00~15:00、日曜:休み)
TEL:098-879-2525
FAX:098-876-7000

まで。または当ブログの「プロフィール」欄から入って僕宛てにメールにて参加希望の旨をお送りください。エアー沖縄のほうに取り次ぎいたします。

※さらに詳細は【こちら】(pdfファイルです)

それでは、ご参加おまちしております!

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