琉球でピラミッドは知られてた!?
琉球王国はかつてアジアとの貿易を行って繁栄していました。そのため、琉球の人々は国際的な舞台で世界のさまざまな国の情報や知識を手に入れることになったはずです。
14世紀から16世紀にかけて、貿易船は東南アジアへも出かけていきました。そこでの重要な取引相手だったのがマラッカです。マラッカは琉球と同じように小さな国でしたが、東南アジアの商業の中心地として栄えていました。いわば「東南アジアの《琉球》」ともいうべき存在だったといえるでしょう。マラッカの港町には貿易のために世界中から人々が集まって来ていました。
16世紀の「大航海時代」に、はるばるアフリカ・インドを越えてやって来たヨーロッパのポルトガル人たちもそうです。彼らはマラッカへ到達し、さらに東方にある黄金の島「ジパング」を探し求めていました。1511年、ポルトガルは強大な軍事力でマラッカを征服しアジア進出の拠点とします。占領直後のマラッカに滞在したポルトガル人、トメ・ピレスは港町に集まる人々について、著書の『東方諸国記』のなかに記しています。
それによると、マラッカには東南アジア地域の人々、中国人や琉球人のほか、何とエジプト・カイロやメッカ、アデンなどのイスラム教徒、ペルシャ人やトルコ人、さらにはアルメニア人のキリスト教徒までいて、港町では実に84の言語が飛び交っていたといいます。カイロの商人はイタリア・ヴェネツィア船が運んできた商品をマラッカにもたらしています。このような国際都市のなかで、琉球人もまた彼らに交じって取引をしていたのです。
マラッカでこれらの国々の人と琉球人が接触していたという記録は、現在確認されているところではマラッカ人やポルトガル人、中国人以外にはありません。しかし、当時の状況で彼らと全く関係がなかったというのは不自然です。おそらく何度か取引をする機会があったのではないでしょうか。また、そうでなくても異国の人々の暮らしや文化、故郷の様子などを聞く機会はあったはずです。
そうすると、ある想定が成り立ちます。もしかしたら琉球人たちは、カイロからやって来た商人からエジプトの様子を聞いたかもしれません。ラクダのキャラバンが連なる砂漠、そびえ立つピラミッドやスフィンクス…また彼らイスラム教徒の商売仲間であったヴェネツィアの様子も知ることができたことでしょう。
…もちろんこれらには何の確証もありません。まさか沖縄のシーサーの源流はスフィンクスだった!?(な、何だってー!!by MMR)…なんてトンデモ説を唱えるつもりは毛頭ないですが、このような遠い異国の話を知る機会は、当時の琉球人にとっては充分あったと思います。
参考文献:トメ・ピレス『東方諸国記(大航海時代叢書Ⅴ)』
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コメント
初めまして、アメリカ留学のブログを書いてる者です。今後の記事更新の参考にさせてもらいたいと思って見させてもらいましたけど、普通に楽しんじゃいましたw次の記事更新を楽しみにしてます☆応援してますのでポチッとしておきますw頑張って下さいね。
投稿: アメリカ留学 | 2008年6月 2日 (月) 13:46
「待ってくださいキバヤシさん! シーサーの源流がスフィンクスというのは、ト、トンデモだったんですか!?」(by MMR )
投稿: 茶太郎 | 2008年6月 3日 (火) 00:01
>アメリカ留学さん
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
>茶太郎さん
キバヤシ「オレにだって……わからないことぐらい…ある…」
投稿: とらひこ | 2008年6月 3日 (火) 00:18
…………さすがだな、ミスター・キバヤシ。
チュパカブラといい今回といい、やはりとらひこさんも世紀末に青春を送った世代ですなあ ( ̄ー ̄;)ニヤリ
いずれ「古琉球のオーパーツ」という記事をお書きになる日も来ることでしょう。フッフッフ。
投稿: 茶太郎 | 2008年6月 3日 (火) 23:19
>茶太郎さん
古琉球のオーパーツ…すでに「先行研究」があるので(●●大陸は琉球にあったとか)、そちら側の世界には手は出さないと思います(笑)
投稿: とらひこ | 2008年6月 8日 (日) 21:28
ここオーストラリアにいると沖縄と東南アジアとの共通点が見えてきます。インドネシアの友人とエスチャンプールというデザートを食べていたら、「ちゃんぷーる」はまぜものという意味で、そういう肉や野菜をミックスした料理がインドネシアにもあるといっていました。青マンゴーを野菜として食べること、そしてゴーヤはラオスなどでゴブヤビとか呼ばれていること、そして豚を自宅で飼ってトイレから糞が豚のえさとして直接落ちる仕組みになっているのは東南アジアでも見られるだけでなくインドの植民地だったゴア州にもあったものです。そういえばゴアの町並みは沖縄に似ているかも。とらひこさん、どうおもいますか?
投稿: 東恩納明子 | 2008年7月24日 (木) 13:17
ゴア州がポルトガルの植民地だった、というのを書き忘れました。マラッカを通してこのような文化が入ってきたのではないかと思ったので~。
投稿: 東 | 2008年7月24日 (木) 13:25
>東恩納明子さん
東南アジアからの影響というのは確かにあると思います。例えばピパーツという沖縄の調味料は南アジア原産の胡椒科の植物で、沖縄では野生化しています。それから有名なのは泡盛ですね。タイの蒸留酒に由来があるといわれています。実際に東南アジアの影響は沖縄に見られるので、ご指摘のチャンプルーという言葉も可能性として高いと思います。
投稿: とらひこ | 2008年7月26日 (土) 16:10
マヤと琉球のほうが先で、
あとでエジプトのピラミッドが作られたらしいよ
投稿: | 2009年2月 2日 (月) 13:02
琉球のピラミッドとは、もしかしてムー大陸の遺跡とやらですか・・・?
まあ存在したとすれば・・・ですが、あまりにも古すぎて琉球時代の人たちには存在を知られていなかったようですよ。
投稿: とらひこ | 2009年2月 2日 (月) 20:14
こんにちは、琉球から暹羅までの針路、どこか記録があります。
投稿: 瀛洲 | 2009年2月 3日 (火) 20:09
>瀛洲さん
すみませんが、そういった記録について僕は知りません。
投稿: とらひこ | 2009年2月 3日 (火) 23:37