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2008年3月16日 (日)

コトバを超えて

国際化する現代社会。そこで必要とされているのは意思疎通をはかるための「言葉」だといえるでしょう。世界には様々な言葉があり、その人たちとお付き合いするためには、彼らが使う言葉を理解するか、あるいは共通の言葉をお互い知っていなくてはいけません。

かつての琉球王国は交易をなりわいとしていたので、様々な国の人たちとやりとりすることが必要でした。つまり他の国と商売し交渉するために通訳が必要だったのです。ウチナーグチ(琉球語)を一方的にしゃべったところで、相手は「???」ですからね。琉球の人々はどうしていたのでしょうか。

それには自分たちで外国語を勉強して通訳を養成するのが常道なのですが、それはコストもかかるし時間がかかります。交易がさかんだった古琉球の時代、実は沖縄には通訳養成を専門とする機関がありませんでした。最も国際化していた頃の琉球に通訳学校がない!?にわかには信じられないかもしれませんが、まったく問題はありません。当時、琉球の港湾都市だった那覇にたくさんの外国人が住んでいたので、彼らを通訳として使っていたのです。

まずあげられるのが中国人の居留地だった久米村の人々。中国明朝や東南アジアへの使節団を派遣する際、琉球王府は彼らのなかから「通事(通訳)」を選んで一緒に連れていってます。東南アジアは当時たくさんの中国人がコミュニティをつくって定着していたので、中国語がわりと通用していたようです。

日本との交渉は琉球の禅宗寺院にいた日本僧や那覇の「日本人町」にいた日本人たちが通訳として活躍しました。例えば薩摩(鹿児島)の大名・島津氏との交渉の際、琉球使節の話す言葉を島津氏側は理解できなかったので、あいだに日本人の「筑殿(ちくどの)」と日本僧が入って通訳した、という記録があります。

また豊臣秀吉をビックリさせた我那覇親雲上秀昌(がなは・ぺーちん・しゅうしょう)という人物は祖父が日本僧で、祖母・母もみんな日本人でした。つまり彼は日系の家に生まれ育ち、日本語がペラペラだったのです。そして外国での交易品買い付け係や「大和通事(日本語通訳)」となっています。おそらく彼は那覇の「日本人町」の住人だったのでしょう。

自前で通訳を養成するより、ウチナーグチが理解できる外国人を手っ取り早く通訳として雇い、活用するのはとても合理的な方法です。通訳業務に限らず当時の琉球は「アウトソーシング」をすることに非常に長けていました。琉球の繁栄の原動力はここにあったといっても過言ではありません。

一方で、外交・交易を行う相手側の国々は、自前で琉球語の通訳を養成していました。中国明朝では福建省に「土通事(どつうじ)」と呼ばれる琉球語を話す中国人がいて、代々家業を継いでいました。例えば泉州のイスラム教徒だった林親子が琉球語通訳をしていたことがわかっています。

また朝鮮王朝でも当初は琉球語を理解できる者が全くいなかったので、1437年(第一尚氏の時代)、倭学生(日本語を学ぶ生徒)に琉球語も学ばせた、という記録があります。遠い昔、異国の地で必死にウチナーグチを学ぶ人たちがいたのです。「アガー!」とか「シムサ」とか「ジンムッチョーミ?」とかいう言葉が学校から聞こえてきたはずですね。

参考文献:上里隆史「古琉球・那覇の「倭人」居留地と環シナ海世界」(『史学雑誌』114-7)、王連茂「泉州と琉球」(『琉球―中国交流史をさぐる』)、『朝鮮世宗実録』

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コメント

我那覇親雲上のことは初めて知りました。秀吉の時代ですか。秀吉がもう少し長く生きていれば琉球の歴史もまた違ったものになっていたんでしょうね。

投稿: I K | 2008年3月17日 (月) 00:20

> I Kさん
豊臣秀吉はけっこう琉球と関わっていて、実は秀吉が北山へ侵攻する計画もどうやらあったようです。なので琉球の歴史も変わってたかもしれませんね。

投稿: とらひこ | 2008年3月19日 (水) 17:29

昨日那覇空港でブログタイトルの本を買い、面白くて読み通してしまいました。ネタの面白さでなく、沖縄人の視点の変遷を、穏やかに学問的に指摘していらっしゃるところ。史観として共感多々。
ウチナーグチに限らず、日本の方言同士では意思疎通ができず、謡曲の言い回しで何とか会話が成り立っていたとか。ドラマで西郷ドンと勝が、薩摩弁と江戸弁で話すシーンなど有り得なかった、と知ることなどが、歴史を通じた自己理解、他者理解につながるのだろうと思っています。
音韻的に方言を解説するとか、遺伝的に民族を説明するとかも、なんで学校でやらないのか、奇異に感じています。

投稿: 前立腺隊じっちゃマン | 2008年3月20日 (木) 22:58

>前立腺隊じっちゃマンさん
拙著の購入とブログ訪問、まことに感謝します。歴史的事実の紹介だけでなく、「歴史観がいかに作られてきたのか」という点も読者の皆さんに知っていただけたら、と考え書きましたので、僕としても嬉しいかぎりです。

確かに日本各地の方言は今聞いても理解できないようなものもありますね。前近代では国内においてさえも「コトバの壁」がったという事実をもっと知ることが必要かもしれません。

投稿: とらひこ | 2008年3月23日 (日) 13:44

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