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2008年3月25日 (火)

塩をくれ!

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沖縄の塩といえば「シマ・マース(島の塩)」。沖縄の豊かな海からつくられたミネラル分を多く含む天然の塩は健康食品ブームに乗り、今や県産の人気商品となっています。海が近くにある沖縄では、太古からさかんに塩をつくっていたと思うでしょう。しかし事実はそうではありません。王国時代、沖縄では塩をつくれず、しかも海外から塩を輸入していたとしたら?そんな話信じられない!!と思う方もいるかもしれませんが、いったいどういうことなのか説明しましょう。

近世(江戸時代)、琉球が海外から塩を輸入していたのは事実です。塩の製造は全く存在しなかったわけではありませんが、本格的な製塩は1694年、那覇の泊付近にある広大な干潟(潟原。かたばる)で、那覇泉崎に住む宮城という百姓が薩摩藩(鹿児島)の弓削(ゆげ)次郎右衛門という人物から製塩法を学び、生産を開始してからです。百姓はこの功績で「塩浜」という名と士族の身分を与えられました。現在も沖縄にいる塩浜という姓は、「浜で塩をつくる人」という意味だったんですね。

このように那覇を中心に塩の大量生産が開始されたのですが、琉球の全ての地域がそうだったわけではなく、八重山では製塩を全く行っていませんでした。ではどうやって塩を入手していたかというと、八重山にやってくる薩摩商人から塩を買っていたのです(!)。琉球が薩摩の支配下に入ってから薩摩・琉球間の流通は薩摩商人が独占していました。彼らは藩から許可を得て琉球各地の島へ渡り、また琉球が薩摩藩に納める税(年貢)の運送請負もやっていたのです。

薩摩商人は様々な商品とともに八重山へ塩を持って行き、高値で売りつけていました。塩は人間が生きていくうえで必要不可欠なものです。八重山の人はボッタくられても買わざるをえませんでした。塩は現地の米と交換されましたが、そうすると王府へ納める米が少なくなってしまいます。そこで王府は八重山での塩の生産に乗り出します。

王府は八重山の農民を集め、海水を炊(た)いて塩をつくろうとしますが、農作業が忙しい時には人手が足りなくなり、うまくいきません。さらに各地の村々からは製塩の反対願いが出されます。新たな労働徴発で負担が増したことにくわえ、塩を炊くために樹木を伐採しなければならず、不満が出たのです。また八重山では塩を炊くと災いが起きるという伝承があったらしく、みな製塩をやりたがらなかったようです。

困った王府、今度は燃料を使わない天日干しの製塩法を八重山で実行しますが、これまた雨が降るとそれまでの作業が全て水の泡になってしまうため採算がとれず、中止されてしまいます。雨がよく降る気候では、この製法は向かなかったようです。結局、各村のナベを使い塩を炊く方法でホソボソと製塩が続けられたようですが、島内の需要をまかなうまでにはならず、王府によって再三の増産指示が出されています。

つまり、王国時代の八重山では鹿児島産の塩が使われていたわけですね。何ともおかしな話ですが、今でこそ簡単に手に入る塩、昔は生産に大変な手間がかかり、貴重品だったということがわかります。

※【画像】は那覇市の渡地村跡で発見された製塩所の跡とみられる遺構。

参考文献:仲地哲夫「近世における琉球・薩摩間の商品流通」(『九州文化史研究所紀要』36号)

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2008年3月16日 (日)

コトバを超えて

国際化する現代社会。そこで必要とされているのは意思疎通をはかるための「言葉」だといえるでしょう。世界には様々な言葉があり、その人たちとお付き合いするためには、彼らが使う言葉を理解するか、あるいは共通の言葉をお互い知っていなくてはいけません。

かつての琉球王国は交易をなりわいとしていたので、様々な国の人たちとやりとりすることが必要でした。つまり他の国と商売し交渉するために通訳が必要だったのです。ウチナーグチ(琉球語)を一方的にしゃべったところで、相手は「???」ですからね。琉球の人々はどうしていたのでしょうか。

それには自分たちで外国語を勉強して通訳を養成するのが常道なのですが、それはコストもかかるし時間がかかります。交易がさかんだった古琉球の時代、実は沖縄には通訳養成を専門とする機関がありませんでした。最も国際化していた頃の琉球に通訳学校がない!?にわかには信じられないかもしれませんが、まったく問題はありません。当時、琉球の港湾都市だった那覇にたくさんの外国人が住んでいたので、彼らを通訳として使っていたのです。

まずあげられるのが中国人の居留地だった久米村の人々。中国明朝や東南アジアへの使節団を派遣する際、琉球王府は彼らのなかから「通事(通訳)」を選んで一緒に連れていってます。東南アジアは当時たくさんの中国人がコミュニティをつくって定着していたので、中国語がわりと通用していたようです。

日本との交渉は琉球の禅宗寺院にいた日本僧や那覇の「日本人町」にいた日本人たちが通訳として活躍しました。例えば薩摩(鹿児島)の大名・島津氏との交渉の際、琉球使節の話す言葉を島津氏側は理解できなかったので、あいだに日本人の「筑殿(ちくどの)」と日本僧が入って通訳した、という記録があります。

また豊臣秀吉をビックリさせた我那覇親雲上秀昌(がなは・ぺーちん・しゅうしょう)という人物は祖父が日本僧で、祖母・母もみんな日本人でした。つまり彼は日系の家に生まれ育ち、日本語がペラペラだったのです。そして外国での交易品買い付け係や「大和通事(日本語通訳)」となっています。おそらく彼は那覇の「日本人町」の住人だったのでしょう。

自前で通訳を養成するより、ウチナーグチが理解できる外国人を手っ取り早く通訳として雇い、活用するのはとても合理的な方法です。通訳業務に限らず当時の琉球は「アウトソーシング」をすることに非常に長けていました。琉球の繁栄の原動力はここにあったといっても過言ではありません。

一方で、外交・交易を行う相手側の国々は、自前で琉球語の通訳を養成していました。中国明朝では福建省に「土通事(どつうじ)」と呼ばれる琉球語を話す中国人がいて、代々家業を継いでいました。例えば泉州のイスラム教徒だった林親子が琉球語通訳をしていたことがわかっています。

また朝鮮王朝でも当初は琉球語を理解できる者が全くいなかったので、1437年(第一尚氏の時代)、倭学生(日本語を学ぶ生徒)に琉球語も学ばせた、という記録があります。遠い昔、異国の地で必死にウチナーグチを学ぶ人たちがいたのです。「アガー!」とか「シムサ」とか「ジンムッチョーミ?」とかいう言葉が学校から聞こえてきたはずですね。

参考文献:上里隆史「古琉球・那覇の「倭人」居留地と環シナ海世界」(『史学雑誌』114-7)、王連茂「泉州と琉球」(『琉球―中国交流史をさぐる』)、『朝鮮世宗実録』

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2008年3月 7日 (金)

歴史講座、第2期募集開始!

3月2日の「目からウロコの若狭まち歩き」、3月4日の桜坂市民大学講座「目からウロコ!な沖縄の歴史」初回、超満員で大好評のうちに終了しました。参加された皆さん、どうもありがとうございました。そして、桜坂市民大学の第2期講座の募集がいよいよ始まります!

(1)桜坂市民大学「学校でできない琉球史」
講座内容:アカデミー
講師:上里隆史(法政大学沖縄文化研究所国内研究員)
場所:桜坂劇場(〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3-6-10)
日程:5月6日(火)スタート(全5回)
時間:毎週火曜日 21:00~22:30
定員:30名
対象年齢:16才以上
受講料 :10,000円
材料費 :なし
持参物 :ノート、筆記用具
注意点 :なし

内容:マジメな学術価値ゼロ!「目からウロコ」な沖縄の歴史講座。暗記するような退屈な授業ではありません。1回ごとに完結するテーマで、歴史を知らない初心者でも楽しめる内容です。昔の沖縄の人々の暮らし、ビックリな事件、どうでもいい話、学校の授業でできないようなちょっぴり怪しい内容も…

【1】これがリアル古琉球だ!(5/6)
リアルな古琉球の姿、その全貌を紹介。その異様な姿にビックリ。これホントですか?

【2】田舎男、はじめての洋食(5/13) 
大正時代、田舎暮らしのある男、噂に聞いた「洋食」なるものを食べに那覇まで出てきますが…

【3】琉球史のどうでもいい話(5/20)  
教科書や歴史の本にも載らない琉球史のどうでもいい話、おしえます。聞いたところで何の役にも立ちませんが、ちょっと面白いかも。

【4】薩摩をたっくるせ!~琉球人逆襲の巻~(5/27) 
薩摩に支配された琉球人たち、いじめられっぱなしだったのでしょうか?そんなことありません。琉球人の逆襲がいま、始まる!

【5】琉球財宝のありか、教えます(6/3)
トレジャーハンター、いらっしゃい!沖縄に眠っているはずの財宝情報、その手がかりをコッソリ教えます。ただし見つけられなくても責任は持ちません(笑)

※講座内容は変更する場合があります。

(2)桜坂市民大学「目からウロコな琉球史」
講座内容:アカデミー
講師:上里隆史(法政大学沖縄文化研究所国内研究員)
場所:桜坂劇場(〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3-6-10)
日程:5月9日(金)スタート(全5回)
時間:毎週金曜日 12:15~13:45
定員:30名
対象年齢:16才以上
受講料 :10,000円
材料費 :なし
持参物 :ノート、筆記用具
注意点 :なし

内容:ちょっぴり詳しい「目からウロコ」な沖縄の歴史講座。もっと沖縄の歴史を深く知りたい人向け。琉球・沖縄史研究の最前線から面白い内容をピックアップして紹介します。もちろん専門的な内容をわかりやすく解説するのでご安心を。基本的な歴史の知識があるとさらに楽しめる「プレミアム」な歴史講座です。

【1】ここまで変わった古琉球史像(5/9)
【2】琉球三国志~尚巴志の野望~(5/16)
【3】首里城のナゾ(5/23)
【4】ドキュメント薩摩の琉球侵入(5/30)
【5】琉球の遺産・グスク研究の最前線(6/6) 

※講座内容は変更する場合があります。

桜坂市民大学の講座パンフレット・応募用紙は【こちら

那覇市桜坂劇場内のワークショップ「桜坂市民大学」。第2期が始まります。今度は何と全114講座!!ワタクシ「とらひこ」は昼・夜の2講座を担当します。さらにパワーアップした「目からウロコ」な歴史講座、どうぞご参加ください。第1期はおかげさまで超満員。受講できなかった方、ご迷惑をおかけしました。今回も混雑が予想されますので、応募はお早めに!

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