「中国化」する琉球
琉球というと中国の影響が強くあって、昔は中国風の文化だったのが、近世(江戸時代)に薩摩藩に征服されてから次第にヤマト(日本)化していったと考える方も多いと思います。しかし、事実は全く逆。琉球は薩摩に征服された後に「中国化」していくのです。
もちろん琉球は中国(明・清)の朝貢国だったので、中国の影響が全く無かったわけではありません。しかし近世の琉球は中国文化をとくに積極的に取り入れていきます。
例えば首里城で行われる儀式。近世以前の王府儀礼は中国の拝礼様式を参考にしつつも、何とヤマトの陰陽道の方式が取り入れられていました。王府の重要な儀礼のひとつである元日の天を拝む儀礼では、年ごとに縁起のいい方角に向かって王や官人が拝んでいましたが、これは「歳徳神(恵方)」の信仰にもとづくものです。この信仰は節分に食べる恵方巻き(まるかぶり)を思い浮かべていただければわかりやすいと思います。
しかし、この恵方を拝む古琉球伝統の風習は1719年に廃止され、北方の方角(中国皇帝のいる北京の紫禁城)を拝むという方法に変更され、より中国的な形式が強調されます。琉球の天を拝む儀式はヤマトの信仰に影響されつつも、王を“太陽(テダ)”や“天”と一体と見る古琉球の伝統的な考えをもとにしていましたが、本来、天を拝む儀式は中国皇帝(天子)だけに許されたものでした。近世になり中国的な考えが意識されだすと、「これはけしからん」という批判が出てきます。そこで王府は、この儀礼は中国皇帝の方向を拝むためだと何とか理由づけして、中国風に変更して続けていくのです。
さらに近世の琉球社会では、中国の儒教をもとにした価値観が広まっていきます。それ以前の儒教は中国系の久米村など一部で受け入れられていたにすぎませんでした。ところが、琉球王府は儒教イデオロギーを国家的な思想として採用していきます。
久米村によって主宰されていた孔子廟の祭礼は、やがて国家的祭礼に引き上げられ、歴代王に対する祭祀も久米村の意見を聞いて、可能なかぎり中国式の祭祀方法に変更します。国家の教育も儒教をもとに行われるようになり、庶民には儒教倫理のテキスト「御教条」を読み聞かせていきます。さらに中国の風水思想も導入され、風水にもとにした亀甲墓・シーサー・石敢当・ヒンプンなどが次々と琉球に定着します。こうした文化が琉球全体に普及したのはこの時期です。
琉球の「中国化」はこれだけではありませんでした。何と、琉球の海を航行する船も「中国化」します。意外に思うかもしれませんが、かつて琉球の一般的な船は中国のジャンク船ではなく、和船タイプの船でした。ジャンク型の進貢船はむしろ例外的なものだったのです。18世紀になると、琉球の船は王府の指導によって「マーラン(馬艦)船」と呼ばれるジャンク船タイプにモデルチェンジされます。マーラン船は安価で頑丈な造りの高性能船だったので、またたく間に広まっていくのです。
なぜヤマトの支配下に入ったはずの琉球で、中国的志向が強められていったのでしょうか。ひとつは羽地朝秀から蔡温の時代にかけて行われた琉球の構造改革が影響していると考えられます。古い時代に代わる新しい価値として、儒教に代表される中国的なものが重視されたのではないでしょうか。また、中国・清朝が次第に琉球の朝貢貿易を縮小させようとしたことにも原因があるとみられます。琉球はこうした清朝の動きに対し、「中華」に忠実に従う「優等生」ぶりをアピールすることで、従来の関係を維持しようと考えたのです。中国との関係をこれまで通り維持することは、貿易活動のみならず、中国皇帝の権威によって王が国内での求心力を得るために絶対必要でした。
それともうひとつ。近世の琉球はヤマトの幕藩制国家に従属した存在となって様々な政治的規制を受け、また経済面においてはヤマトとの一体化が進行していました。琉球はヤマトに完全に呑み込まれないように、中国を拠りどころにして新たな琉球のアイデンティティを確立しようとしたと考えられるのです。日中両国の間で絶妙のバランスをとって「琉球」という主体を存続させようとした戦略をそこに見ることができるのではないでしょうか。
参考文献:豊見山和行『琉球王国の外交と王権』、赤嶺守『琉球王国』
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コメント
三弦、漆器、 歴法、医学も中国化
琉球五嶽 中国化
辨岳、八頭岳、佳楚嶽、名護嶽、恩納嶽
投稿: 瀛洲 | 2008年1月31日 (木) 17:59
>瀛洲さん
医学は高嶺徳明が中国に留学して麻酔法を学んでいますね。
投稿: とらひこ | 2008年2月 2日 (土) 18:06
鄭明良、魏士哲(高嶺徳明)、晏孟德、衡達勇、從安次嶺、松開輝、呂鳳儀、松景林も中国に留学して。
鄭明良 換骨法
魏士哲 補兔唇法
晏孟德 口腔科
投稿: 瀛洲 | 2008年2月 2日 (土) 21:34
>瀛洲 さん
ほかにも医術を学んだ琉球人はたくさんいるんですね。
投稿: とらひこ | 2008年2月 4日 (月) 12:57