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2007年12月25日 (火)

按司たちのヒマつぶし

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「琉球の戦国」といえるグスク時代から琉球王国成立頃までの時代、沖縄各地には按司(あじ)と呼ばれる首長が割拠していました。按司たちは自らの権力を拡大すべく戦いを繰り返し貿易によって富を蓄積しましたが、その一方で彼らは遊びにも興じていたようです。

グスクをはじめとした県内の遺跡からはいくつもの遊具や玩具(オモチャ)が見つかっています。例えばサイコロ。古いもので14世紀(三山時代)の出土例があり、石や動物の骨などで作られています。駒(こま)石というボタン状製品も出ていて、これらは盤双六(ばんすごろく)というゲームで使われたとみられています。

それと面白いところでは中国将棋(象棋)もやっていたようです。首里城からは中国将棋で使う「兵」と「砲」の駒が出土しています【画像・クリックで拡大】。時期は15世紀中頃(第一尚氏時代)のもので、磁器製の高価なものです。そのほか囲碁の石や素焼きの独楽(コマ)なんかもグスクなどから見つかっています。

第一尚氏王朝の尚泰久王が即位以前に住んでいた越来グスクでは、何と羽子板(はごいた)の羽根突きで使ったとみられる土製の球が出ています。羽子板はおそらく中世の日本から伝来したものでしょう。若き日の尚泰久は、越来グスクで家臣の金丸(後の尚円王)と羽根突きをして遊んでいたかもしれませんね。

このように按司や王たちはいろんなオモチャで遊んでいたことがわかります。そして、これらは琉球が積極的に貿易に乗り出す時期と同じ頃に登場しています。つまり対外貿易とともに舶来のオモチャが琉球にもたらされたのです。それまでの琉球に存在しなかった新たな娯楽は、人々にとって衝撃だったはずです。今でいえばゲーム機のニンテンドーDSやWiiが上陸して大人気になるような感じでしょうか。

舶来オモチャは経済的・時間的余裕のある富裕層を中心に広まっていました。当初は限られた権力者のみが楽しむことができる特権的な遊びだったのです。一方、庶民たちは農耕や納税、按司たちの労働にかり出されたりと、余暇を楽しむ余裕はほとんどなかったはずです。しかし磁器や土器・瓦などの廃材で作られた円盤状の製品が沖縄全域の一般的な遺跡から出ていて、これが庶民たちのオモチャで、お弾きや五目並べのようにして遊んだと考えられています。

戦乱の時代だった当時でも、人々は息抜きや癒しを求め「ひと時の余暇」をオモチャで楽しんでいたわけですね。

参考文献:上原靜「考古学からみた沖縄諸島の遊戯史」(沖縄県今帰仁村教育委員会編『グスク文化を考える』)

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