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2007年11月21日 (水)

武器のない国琉球?(2)

それでは近世(江戸時代)の琉球はナポレオンが聞いたように「武器のない国」だったのでしょうか。答えは「ノー」です。

たしかに薩摩に征服されてからは、かつてのように琉球王府が自在に動かせるような軍隊はなくなったようです。そのかわり琉球の防衛は、幕藩制国家のなかの薩摩藩が担当することになりました(「琉球押えの役」といいます)。

薩摩藩は琉球に軍隊を常駐させることはありませんでしたが、有事の際には薩摩からただちに武装した兵士たちが派遣されました。つまり琉球は近世日本の安全保障の傘に入っていたのです。琉球は薩摩藩の支配下に入っていたので、当たり前といえば当たり前です。

また琉球の貿易船が出港する際には、薩摩藩から貸与された鉄砲や大砲を装備して海賊の襲撃に備えていました。琉球国内では鉄砲以外の武器の個人所有は禁止されていませんでした。その証拠に、戦前には士族の所蔵していた武器の展覧会が開かれたこともあります。

それに注意しなくてはいけない点がひとつ。近世の琉球はたしかに大きな戦争もなく「平和」な状況が何百年も続きましたが、それは琉球だけにかぎったことではありません。江戸時代の日本は「天下泰平」といわれた、かつてないほど平和だった時代。もともと軍人であった武士も、戦いより学問や礼儀を重んじる官僚となっていきます。さらに周辺諸国でも大きな戦争はなく、それ以前の時代では考えられないほど東アジア世界全体が「平和社会」となっていた時代だったのです。琉球だけが平和だったのではありません。

さらにナポレオンが聞いた話は、琉球を訪れた欧米人バジル・ホールの体験談であって、彼は琉球社会のほんの一部分を見て判断していたにすぎません。ホールはさらに「琉球には貨幣もない」とまで言い切っています(もちろんそんなことはありません)。

琉球の「武器のない国」というイメージはどのように作られ、広がっていったのでしょうか。それは琉球を訪れた欧米人の体験談が、19世紀アメリカの平和主義運動のなかで利用されていった経緯があります。好戦的なアメリカ社会に対し、平和郷のモデルとして自称琉球人のリリアン・チンなる架空の人物が批判するという書簡がアメリカ平和団体によって出版され、「琉球=平和郷」というイメージが作られました。このアメリカ平和主義運動で生まれた琉球平和イメージ、史料の解釈の読み違いから出た非武装説に加え、さらに戦後の日本で流行した「非武装中立論」や「絶対平和主義」が強く影響して、今日の「武器のない国琉球」のイメージが形作られていったのです。

そもそも琉球史の戦争をめぐる問題の核心は、武器があったかどうかという単純な話ではなく、琉球という国家が自らの政治的意志を達成するために、暴力(軍事力)を行使する組織的な集団を持っていたかどうかを探ることです。武器はあくまでもその組織(軍隊)が目的を達成するための道具にすぎません。これまで「軍隊とは何か、戦争とは何か」という問題が非常にあやふやなまま議論されてきたのではないでしょうか。

このような僕の意見に対して「事実そのものにこだわっていて物事の片面しか見ていない。この言説を生んだ沖縄の平和を求める心こそが大事なのだ」という批判がありましたが、僕はそうは思いません。沖縄の平和を求める心が大切なのは同意しますが、これまではそればかりを強調して、歴史の実態を見てこなかった(もしくは知りながら見ようとしなかった)のが問題だったと思います。つまり物事の片面しか見てこなかったのです。

医者が患者を治すため病気の実態を研究するように、平和を求めるのは何も「戦場」の悲惨さを訴えるだけではないと思います。病気の恐ろしさと健康を求める心を訴えることも大事でしょうが、病気(軍事・戦争)の実態を探ること、それを僕は大事にしたいし、“治療”にもつながるものだと思っています。 

参考文献:照屋善彦「『リリアン=チン書簡』再考」(『琉大史学』12号)

【追記】:琉球王国はたしかに「武器のない国」ではありませんでした。ですが、それをもって超武装国家だった、というのもまた誤りです。軍事力としては総力をあげても4000人程度のもので、必要最低限の「軽武装国家」でした。何よりも、他のアジア諸国と同じように「武」より「文」が上位に位置付けられる社会だったことは間違いありません。「武」を上位に位置づける日本がアジアでは特殊なのです。

琉球王国が周辺離島を征服したことをもって、島津の征服を肯定する意見も的外れだと思います。それは幼稚園児が自分が悪いことをして、「○○君もやってるじゃん」と先生に注進し、自らを免罪しようとするのと同じようなレベルに感じます。大事なのは冷静に歴史的事実をとらえ、そこに安易な善悪の価値判断を求めない姿勢ではないでしょうか。それこそが歴史を見ていく基本的な姿勢だと僕は思います。

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コメント

>病気(軍事・戦争)の実態を探ること、それを僕は大事にしたいし、“治療”にもつながるものだと思っています。 

おっしゃる通りですね。
「武器のない国琉球」のイメージが、
東アジア全体を俯瞰するといった視点の欠落によって生み出されたのと同様に、
沖縄で反戦平和運動を行うとか、日本国憲法を護持するとか、そういう視野の狭い発想からは、真の平和は生み出せないと思います。

投稿: 御座候 | 2007年11月21日 (水) 00:21

こんにちは。
初めてコメントさせてもらいます。
すいだやーといいます。

確かに沖縄での平和に関する事柄って感情的な感じがします。それも、とらひこさんのような言動をすることすら許さないというような。
それこそ戦前のような感じがしておかしいと感じてました。
今回の『武器のない国』を読んでスッキリしました。
ありがとうございました。
これからもブログ頑張ってください。

投稿: すいだやー | 2007年11月21日 (水) 09:13

勉強になりました。

「軍隊のない平和な国 by ニュース23筑紫&無防備都市宣言」として宣伝されているコスタリカとよく似た事情ですね。

投稿: いし | 2007年11月21日 (水) 14:19

>御座候さん
そうですね。例えば本当に平和を達成したかったら、集会を開いてシュプレヒコールを上げるのではなく、まずアメリカ軍研究や米国の世界戦略を分析することを真っ先にやろう、という発想がもっと沖縄にあってもいいような気がします。

>すいだやーさん
はじめまして。沖縄では最近とくに平和や戦争の問題に関して感情的になる傾向が強いように感じます。

僕は自由闊達な議論を認めることが解決のアイディアを導き出す近道だと思いますけどね。

>いしさん
コスタリカが米国の安全保障の傘に入っており、東アジアとちがい周辺地域に軍事的緊張がないという環境によって軽武装を実現しているというのは、たしかに近世の琉球とある程度共通してるかもしれませんね。

投稿: とらひこ | 2007年11月22日 (木) 23:29

>19Cのアメリカの平和運動の中で琉球は理想郷扱いされて一人歩き
自称琉球人がリリアン=チン(中国人女優の英名みたい)と名乗る時点で当時のアメリカ人は琉球は南海にある中国領の島程度に思っていたんでしょうね。

>平和運動の方向性にアメリカの世界戦略を研究するのがあってもいい
ですよね。しかしこれをやったら9.11後の「テロとの戦い」に乗じて憲法九条改正を唱えている連中に政治利用される危険性が高いのが心配。(まあ今の平和運動も内地のレフトに利用されてる感がないわけではないが)。

投稿: 金 淳樹 | 2007年11月23日 (金) 05:36

>金淳樹さん
欧米諸国は琉球と修好条約を締結してますから、いちおう国家として認識していたようです。

僕は憲法改正の議論もタブー視すべきではないという考えですが、まあこれに関する政治的議論は他にいくらでもあるので、ここでは深入りはしません。

投稿: とらひこ | 2007年11月23日 (金) 08:13

了解です。

投稿: 金 淳樹 | 2007年11月23日 (金) 16:45

>その証拠に、戦前には士族の所蔵していた武器
>の展覧会が開かれたこともあります。

とらひこ様
いつも興味深く拝見しております。もしよろしければ、上記の展覧会の出典を教えていただけませんでしょうか。

投稿: サールー | 2008年11月 7日 (金) 10:12

>サールーさん
いつもありがとうございます。

出典についてですが、大正2年か3年の『琉球新報』の記事です。しかし手元にあったはずのメモが見当たりませんので正確な年月日はちょっとお答えできません。すみません。

詳細が判明しましたら、当ブログで紹介したいと思います。それまで少々お待ちください。

投稿: とらひこ | 2008年11月 7日 (金) 11:25

とらひこ様

早速のご返事ありがとうございます。ご紹介いただければ幸いです。楽しみに待っております。

投稿: サールー | 2008年11月 7日 (金) 12:17

>サールーさん
図書館で新報の記事を調べてみましたが見当たりませんでした。いま講座のため沖縄に滞在していまして、東京に置いてある資料を見ることができません。しばらくお待ちください。

投稿: とらひこ | 2008年11月 8日 (土) 23:31

とらひこ様

お忙しい中、わざわざ図書館まで行って調べていただき恐縮です。急ぎませんので、どうか沖縄旅行を満喫してください。

投稿: サールー | 2008年11月 9日 (日) 11:10

初めまして。コメントさせていただきます。

本日の新聞を読んで、沖縄は武器を持たない国だという記述があったので調べていたらこちらの記事に辿り着きました。
かつて島津氏と戦ったことのあるはずの琉球王国が非武装だったというのはどういうことなんだろう?と思っていたのですが、資料の解釈の違いや風潮が形作っていた姿だということがとても興味深かったです。

こうしてみると私は沖縄の歴史というものをほとんど知らなかったです。
今の本土、沖縄との間にある温度差のようなものがなぜ存在しているのかということをきちんと考えていくためにも、日本史でももっと沖縄のことをとりあげていくべきだと思いました。

色々と考えさせていただきました。ありがとうございます。

投稿: つや | 2014年11月17日 (月) 10:34

>つやさん
はじめまして。コメントありがとうございます。

武器をもたない国、キャッチーで現代の沖縄と重ね合わせ訴えやすいので、まだ新聞記事でも使っているようですね。

この問題は史実の有無そのものだjけではなく、後世に歴史がどう捉えられ、認識されていくかという問題もはらんでいます。

本土と沖縄の温度差、確かにあると思います。《沖縄に無関心の本土、告発調で怒る沖縄》、という構図は長らく続いていますが、そろそろ変わるべきかなと僕自身は思います。

沖縄問題は日本全体の問題であることを、双方が自覚して理解し合う必要があるのかもしれません。

投稿: とらひこ | 2014年11月25日 (火) 19:41

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