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2007年11月 5日 (月)

名護聖人のお宝

琉球は中国との交流で様々な文物が入ってきました。唐物(からもの)と呼ばれる高価な陶磁器や絵画・書など、日本ではなかなか手に入らない貴重なお宝が琉球にはたくさんあったのです。唐物は中国に滞在した琉球使節が個人的に購入することもありました。

「名護聖人」と呼ばれ学者として有名な程順則(名護親方)も朝貢の使者として中国へ何度もおもむき、様々なお宝を買い求めています。彼は熱心なお宝コレクターでもあったのです。そのなかで、彼は何と朱子学の祖として有名な朱子(朱熹)直筆の書を天津でゲットしています。朱子学といえば東アジア各国に絶大な影響を与えた儒教思想で、その祖の直筆はまさにスーパープレミアムなお宝。これを手に入れた程順則はおどり上がって喜んだはずです。

Photo_3 この朱子直筆の書は名護家の家宝になります。その書は14文字で、記録によると「香は翰院(翰林院)より飛んで川野をおおい、春を南橋に報じて畳翠(青葉の茂ってるさま)新たなり」と書かれていたといいます【画像。クリックで拡大】。

琉球を訪れた中国の使者(冊封使)たちも、こぞってこのお宝を拝見しようと名護家を訪問しています。例えば1800年に来琉した副使の李鼎元(りていげん)は一度お宝を見ようとして断られ、再度、正使とともに名護家を訪れてようやくこの書と対面しています。彼らは中国皇帝の代理です。それほどの人物ですらやすやすとお目にかかれない秘宝だったのです。名護家の家系記録にはお宝を絶賛する中国の使者たちの文章が多数載せられています。

今、この朱子の書が現存していれば間違いなく国宝クラスでしょう。王国滅亡後の混乱や戦争で多くが失われてしまいましたが、かつての琉球は「お宝の島」だったことをこれらの事例はおしえてくれます。

参考文献:真栄平房昭「琉球王国に伝来した中国絵画」(『沖縄文化』100号)、原田禹雄訳注・李鼎元『使琉球記』、「程氏家譜」

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コメント

 初めまして。本を買うまで書込みを控えようかと思ったのですが..
 しかし、もったいないですね。国宝級ですか。誰かがどこかでかめーてないかな?(笑)

投稿: くに | 2007年11月 6日 (火) 18:34

>くにさん
本買わなくてもコメント歓迎ですよ。名護家の家宝はその後どうなったか、実は僕はつかんでません。もしかしたらまだこっそり持ってたりして・・・

投稿: とらひこ | 2007年11月 7日 (水) 23:33

可能性としては、かつてアメリカ兵として沖縄に上陸された人たちでしょうね。
彼らが返還してくれれば、そのうち、見つかるかも・・・?

母方の実家は、代々続いた武士の本家なので、結構な家宝をお持ちだったらしいが、
戦争で隠してあったお墓が荒らされて、全部持ち去られたらしい。

投稿: MU@沖縄 | 2007年11月 9日 (金) 09:52

>MU@沖縄さん
おっしゃるようにお宝が残っているとすれば、最も可能性が高いのはアメリカでしょうね。

実家の家宝残念でしたね、今残っていればとても価値のある文化財になるものだったかもしれませんよ。

投稿: とらひこ | 2007年11月11日 (日) 09:45

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