大正沖縄・紳士の宴(1)
少し前から「大正沖縄の2ちゃんねる」を始めたことから戦前沖縄の新聞に目を通すことが多くなりましたが、信じられない珍内容が記事になっている場合があり、図書館で爆笑記事を読んで笑いを押し殺すことができずに苦しんでます(笑)
そのなかで大正時代の沖縄紳士たちによる対談が「琉球新報」で連載されているのを見つけました。面白すぎるので、現代読みになおしてここで紹介したいと思います。
対談はどう見ても紳士じゃなくて下品で怪しい人たちの酒飲み話ですが、当時としては最先端の流行に乗った人たちのモダンな会話だったのでしょうか?それにしても、100年前の沖縄でこんな内容の対談があったことに驚きです。
信じられないかもしれませんが、これから紹介する会話は僕の創作ではなく、当時の新聞記事そのままの内容であることに注意してください。
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●偕楽軒夜話(上)/ある紳士連の会合(琉球新報・大正5年3月1日)
人物
知名の実業家 A
紋付羽織の紳士 B
金縁眼鏡の名物男 C
背広服の青年 D
外套(オーバー)の青年 E
セルの袴の青年 F
丸顔の青年 G
場所(西洋料理店・偕楽軒の2階の小さなる一室、壁は落ちついたカーキ色で美しい花籠を持った西洋婦人の額を油絵の薔薇の小晶と赤い瓦をかいた水彩の額が掛かっている。紳士連は卓を囲んで盛んに談笑している。煙草の煙が室内を暖かそうに見せている。その間を給仕(ボーイ)が忙しそうに料理を配る。外は真っ暗な寒い夜、折々波の音)
A氏:(煙草の灰を落としながら眼は西洋婦人の絵を見つめている)「惚れぼれするような素敵に立派な女だね。あのスラリとした体格といい、腕の肉付きふっくらした胸のあたりなんか実際何とも言えないじゃないか。それに顔もキリリと引きしまっているね」
(一同絵を注視する。ナイフ、ホークを置く音)
金縁の名物男:「そうだそうだ、我輩も先から目を付けて居たが、全く美人だな。あのお臀(しり)の肥えたところや、我輩の顔を見て微笑してるような可愛らしい眼なんか、全くふるい付きたいほどの美人だな」
A氏:(絵より目を離さずして)「第一、あの伸び伸びと発育しきった肉体美だね。日本の女にはとても見られない美しさじゃないか?」
名物男:「そうだそうだ、我輩は若い時からいくら美人を見たか知らないほどだが、この絵ほど美人を見た事はないね。しかし我輩には絵の美人よりも顔はどうでも熱のある女がましだ ははは・・・」
(一同笑い声)
外套の青年:「貴君(あなた)には熱さえあれば誰でも結構でしょう」
名物男:「いや、そう言うわけじゃない。なるべくは美人だがね、仕方が無かったら熱があれば好いと言う事さ」
(一同哄笑) (*爆笑)
紋付の紳士:「だからつまるところ、熱がありさえすればどんな女でも構わないと言う結論になるでしょう ははは」
名物男:(頭をかきつつ)「そうじゃないそうじゃない・・・」
(給仕、皿を取替える。暫時沈黙)
名物男:(ナイフをかちりと置いて)「一体西洋の女はどうしてあんなにお臀(しり)が大きいのかね?女は臀が大きいほどいいものだぜ ははは」
背広の青年:「臀部の大きい女はよく子を産むそうじゃありませんか?」
名物男:「それだから好いと言うんだ、立派な子供を産むからね。しかし君、我輩は近頃、性欲作用と言うものほど不思議なものはないと思うね。子供を作るのはホンの瞬間なんだからね」
(クスクス笑う者がある。名物男としては極めて真面目くさった顔)
紋付の紳士:「皆さんはどうか知りませんが、実際妙なもので、私も長男の時にそれを直覚した事がありますがね。不思議なものですな。家内も私と同じような感応を受けたといってましたが、月を数えて見ると実際当たってましたからね」
(一同笑いを殺しているような顔、給仕、皿を運ぶ。強い肉の匂い)
(つづく)
※偕楽軒の推定位置はこちら
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コメント
私も調べごとで戦前の新聞をさらっとめくっていたことがありますが、やはり見るべきものは多いとあらためて思いました。
それにしても、世相を真面目にあつかうような記事の一方で、こうした俗っぽい話題も同じ紙面に併存させる当時の新聞が持つ空気とはいったい何でしょうね。
現在は、真面目な話題と俗っぽい話題とでは、それを扱うメディアはいちおう別々になっているのを振り返ると、初期のメディアは、扱う話題に現在のような垣根がないのかなと勝手に思ったりします。
もしそうならば、扱うテーマごとにメディアが分化していく様からも、歴史を読みとくことができるのかもしれませんね。
投稿: まようべき人 | 2007年7月10日 (火) 21:50
>まようべき人さん
メディアの未分化という見方は面白いですね。たしかに新聞の内容は種々雑多な印象を持っていました。現在ならスポーツ新聞や週刊誌に掲載されるようなものも含めて新聞の4、5ページに全てが凝縮されているような。
あと近代沖縄の都市生活に関する研究についてもこれらから考察できるように感じます。沖縄の伝統に関する民俗研究はあっても、例えば「洋食」についてはほとんど考察されていませんよね。記事はふざけた内容も多いですが、研究対象としても非常に面白いように思います。
投稿: とらひこ | 2007年7月11日 (水) 01:02
とても新聞に書く内容とは思えません。今だったら載ってもせいぜい三流週刊誌でしょう。メディアの未分化ということなのかもしれませんが、当時もそれなりに雑誌はあったわけですよね? う~む。
投稿: 御座候 | 2007年7月12日 (木) 00:36
>御座候さん
当時の沖縄にもいくつか雑誌が刊行されてたようですが、とても「健全」な内容の雑誌だったみたいです。近代については僕はまだまだ素人なのでよくわかりません。この時期の本土の新聞とも比較してみたいですね。
投稿: とらひこ | 2007年7月14日 (土) 08:11