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2007年6月16日 (土)

琉球の「親方」の話

琉球の歴史に興味のある方は、「親方」という言葉をよく目にするかと思います。この「親方」とはもちろん相撲の親方ではなく、琉球王府の最高ランクの官人のことです。有名な親方といえば薩摩軍に立ち向かった謝名親方(鄭迵)や、近世琉球の大政治家・具志頭親方(蔡温)、名護聖人と呼ばれた名護親方(程順則)などがいますね。

この親方というランク、舜天や英祖の時代からずっとあったわけではありません。親方は古琉球の末期(戦国時代頃)に新設されたランクだったのです。それまでの高位の官人はすべて「大やくもい」と名乗っています。「大やくもい」は「親雲上(おやくもい)」と漢字が当てられ、やがてペーチンと呼ばれます。

親方という語句が初めて登場するのは1597年。ちょうど豊臣秀吉が朝鮮に出兵している最中です。墓碑に「うらおそいのおやかた(浦添の親方)」と記されています。それまでの高位の官人は「大やくもい」だけでしたが、そのなかでも三司官(大臣)になる人々は「かなぞめはちまき」(紫の冠)をかぶっていました。このグループを独立させて、新しく「おやかた」というランクをつくったのです。

「おやかた」には「親方」の漢字が当てられていますが、最近その語源について面白い説がだされています。この「おやかた」は、実は「お館やかた。または屋形)」というヤマトからの輸入語ではないかというのです。「お館」といえば、大河ドラマで武田信玄などの戦国武将が家臣たちから呼ばれているあの「お館さま」です。

「お館(屋形)」とは中世日本で貴人を敬っていう語。とくに屋形号を許された大名たちを指します。1605年、琉球を訪れた浄土僧の袋中(たいちゅう)が記した『琉球往来』という書物には「那呉の館(やかた)」という人物が出てきます。彼は当時の三司官だった名護親方良豊のことだと考えられます。さらに「大里御屋形」も登場しています。これが漢字で書かれた「おやかた」の初見でしょう。

実は古琉球の王府の役職には中世日本から輸入した用語がありました。それは「奉行」です。琉球では土木工事など臨時プロジェクトの責任者をこう呼んでいました。このような例もあるので、「お館」という言葉を輸入して使ったとしても、何の不思議もありません。

琉球の「親方(うぇーかた)」が大河ドラマでおなじみの戦国大名の呼び方「お館さま」と一緒だったなんて変な感じがしますが、以上のように説明されるとちょっと納得なのではないでしょうか。

参考文献:国健地域計画部編『石碑復元計画調査報告書』、首里城公園友の会編『「袋中上人フォーラム」実施報告書』

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コメント

親方といえば、「貴乃花親方」を「たかのはな・うぇーかた」と読んでしまった自分に愕然とした経験がありますな(笑)

ところで、「親方」の話が出たのを幸いにリクエストしたいのですが、今度は「親雲上」の解説をしていただけないでしょうか?

私の疑問は大きく2つで、
「“大やくもい”がなぜ“ペーチン”になるのか?」
「ペーチンと言ったりペークミーと言ったり、同じ“ペーチン”でも位階によってアクセントが違ったり、でも全部ひっくるめて“ペーチン”でOKと解説されていたり、ややこしくて使い分けがよくわからない」
というものです。

とくに後者は、結構長年の疑問なので(笑)とらひこさんにご解説いただければ幸いです。

投稿: 茶太郎 | 2007年6月16日 (土) 08:48

>茶太郎さん

たしかに相撲の親方は「うぇーかた」に見えてしまう時がありますね(笑)

ご質問についてですが、「大やくもい」が「親雲上」になったまではわかりますが、なぜ「ペーチン」と呼ばれるようになったのかはわかりません。

たぶん今までの研究でも「なぜかペーチンと呼ばれた」と書いてあるものがあったので解明されてないようです。中国語の発音と何らかの関連があるように思いますが…しかし「親雲上」の中国語音は「ペーチン」ではないんですよね…

親雲上の呼び方についてですが、黄冠をかぶるランク「親雲上」にも幅があって、

地頭職を授かった黄冠を「ペークミー」
それ以外の黄冠である里主親雲上・筑登之親雲上を「ペーチン」

と呼ぶようです。

つまりごく簡単に言うと、
高ランク=「ペークミー」 
低ランク「ペーチン」
ということでしょうか。

今ではこれらのランクをひとまとめにして広義の「親雲上(ペーチン)」と呼んでいるようです。

なぜアクセントや呼び方に違いがあるのかについては、こう考えています。
かつては全て「大やくもい」として曖昧だった位階が、近世における身分の厳格化で、複雑となった。しかし琉球ではこれらのランク内に新たな呼称で別の位階を設置するのではなく、便宜的に呼び方によって区別をつけ、運用しようとしたのではないかと思います。

近世の位階に関してはあまり詳しくないので、これぐらいしか説明できません。すみません。これぐらいなら茶太郎さんはご存じでしょうね。

投稿: とらひこ | 2007年6月16日 (土) 17:26

早速のご回答、ありがとうございます。

なぜ「親雲上」を「ペーチン」と呼ぶのか、まだ解明されていないんですね!
驚きました。

「ペークミー」ならば、少なくとも「クミー」は「大やくもい」の「くもい」の転訛(あるいは、表記だけ変わったもの)かなあ、と想像はできますが…

>中国語の発音と何らかの関連があるように思いますが…しかし「親雲上」の中国語音は「ペーチン」ではないんですよね…

手元の中日辞典によると、現代北京語で「親・雲・上」の発音は「チン・ユー・シャン」になるみたいですね。
あくまで現代北京語の発音とはいえ、確かに違いすぎますね…。

中国語の影響だとすると、何かまったく違う単語に「親雲上」の文字を当てているのかも知れませんね。
長崎の「ペーロン」の語源が「白竜」の中国語読み「パイロン」と言われているので、同じ考え方で、ペーチンの語源も例えば「白巾」(パイチン)とか。

近世にアクセントの違いで呼び分けされるようになった理由については、とらひこさんの解説を読んでなるほどと思いました。
そういえば、同じ音でもアクセントによって意味が変わるというのは、これも中国語の特徴でもありますね。

以上、思いつきばかり述べてみました。
しかし語源を考えるのって楽しいですね(笑)

投稿: 茶太郎 | 2007年6月17日 (日) 15:10

>茶太郎さん
もしかしたらペーチンの語源は歴史より言語研究などで何か判明しているかもしれませんが、僕はそのへんは詳しくないので何ともわかりません。

僕のほうも思いつきなんですが、ペーチンが中国語の発音だったとすると、「陪臣(ペイチェン )」なんかが思い浮かびました。

朝貢に来た琉球使節団は中国皇帝からすれば陪臣に当たりますから、そこらが語源なのかなと思ったのですが…確証はありません。

投稿: とらひこ | 2007年6月17日 (日) 20:40

古琉球の大や(ウフヤ=大屋、大家、大親)を表面的には排し、陪臣雲上でペーチンくむうい→ペークミー。ペークミーがペーチンより地位は上。朝貢に行った人より、くむういが朝貢に行けば尚更か。ありそうですね。

投稿: 赤木 | 2007年6月17日 (日) 23:02

>赤木さん
あくまでも思いつきなんで自信はありませんが…今後の研究を待ちましょう。

投稿: とらひこ | 2007年6月18日 (月) 21:47

本題は親方でしたね。ペーチン、ウェーカタいずれにしても、琉球の「親」への執着がありますね。

投稿: 赤木 | 2007年6月18日 (月) 22:32

>赤木さん
そうですね。他の用語にも親を使う例もありますしね(首里親国など)。

投稿: とらひこ | 2007年6月21日 (木) 00:52

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