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2007年3月30日 (金)

琉球王国の蒸気船

琉球王国の船といえば中国式の帆船(ジャンク船)。しかし、実は王国末期、琉球は西洋式の蒸気船を保有していました。〈琉球船=ジャンク船〉の常識をくつがえす、知られざる歴史を紹介しましょう。

琉球王国の蒸気船の名は「大有丸(だいゆうまる)」。1868年、イギリスで製造された排水量600トンの蒸気船です。排水量600トンと言えば、幕末に勝海舟を艦長としてアメリカに渡航した咸臨丸と同じくらいの船です。この大有丸は1875年(明治8年、光緒元年)、日本の明治政府から提供されたものでした。この頃に描かれた那覇港の絵図には、この蒸気船を確認することができます。

大有丸はなぜ琉球王国の船となったのでしょうか。それは日本の近代国家が琉球の併合を進める動きと密接に関わっていました。明治維新を達成した日本の新政府は近代国家として領土の画定を急ぎ、琉球王国を版図内に組み込もうと動き出します。そのなかで1871年(明治4年)に起こったのが台湾遭害事件です。嵐で台湾に漂着した宮古島民54名が原住民によって殺害されてしまったのです。

明治政府はこれをきっかけとして、後に台湾に出兵して琉球人を日本国の属民であることを清朝に認めさせてしまいます。これと並行して政府は琉球の「国体」を永久に保持することを条件に(結局、裏切られますが)、王国を「琉球藩」とし、国王尚泰を「藩王」として華族に列します。

明治政府は、台湾で殺害された宮古島民の遺族や生存者らに米1740石(現代価値でだいたい5億円)を見舞いとして送るとともに、蒸気船「大有丸」を琉球に提供します。政府は台湾での遭難の原因を嵐でも航海できる船舶がないからだとして、「海域を往来する琉球人民(日本国属民)を保護する」という名目で堅牢な蒸気船を送ったのです。王府はこの申し出を固辞しますが、結局受け入れます。

この大有丸、当初は全て日本人の船員によって運用されていましたが、1876年(明治9年)には何と一部船員に琉球人を採用し、機械や蒸気機関の操作法を学ばせて、日本人と共同で船を動かすようになります。この3年後に王国は滅亡しますが、それまでの短い期間、琉球人の手によって動く蒸気船が王国内の海域を航行していたのです。

沖縄県となってからも、この大有丸は岩崎弥太郎ひきいる三菱の郵便汽船として使用され、南西諸島の各島を結ぶ航路に就航して、近代沖縄の輸送機関として活躍することになったのでした。

時代が変わる節目に突如として出現した琉球王国の蒸気船。琉球史上初めて近代蒸気船を操縦し、コバルトブルーの海を疾走した琉球人はいったいどんな気持ちだったのでしょう。

参考文献:『沖縄県史』12、『球陽』、『那覇市史』通史篇2

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コメント

【政府は琉球の「国体」を永久に保持することを条件に(結局、裏切られますが)】

うーん、知らなかった!

その節はご案内ありがとうございました。勉強になりました。本も面白かったです!

投稿: ozeki | 2007年4月 2日 (月) 12:00

>ozekiさん

>政府は琉球の「国体」を永久に保持することを条件に(結局、裏切られますが)

より厳密に言えば、明治政府は琉球藩になることを条件にまず薩摩藩からの借金帳消しと奄美地域の返還を約束し、ついで国体保持を持ち出したのですが、結局は全部琉球併合の布石だったわけです。

琉球ではこの約束に狂喜して、琉球藩になることを受け入れた使者たちは当初、英雄扱いで迎えられたそうです(その後は売国奴として批判されますが)。

先日はこちらこそありがとうございました。とても貴重で有意義な時間でした。今度はもっとマニアックなところに行きましょう。本も読んでくださり感謝ですm(_ _)m

投稿: とらひこ | 2007年4月 4日 (水) 22:05

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