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2007年2月 2日 (金)

三山王の名前

琉球では近世(江戸時代)まで中国姓によって一族をまとめる観念がなかったことを紹介しましたが、それでは琉球の歴史に登場する王たちの名前はどうなのでしょうか。

琉球が3つの勢力(北山・中山・南山)に分かれて争っていた三山時代、歴史の記録に登場する王たちの名前は、一見するとみな中国風です。中山王の「察度」、南山王の「汪応祖」、北山王の「攀安知」などなど…しかし、彼らは代々決まった姓を継いではいません。皆バラバラな名前です。例えば「察度」の子の名前は「武寧」です。察度の「察」は姓ではないことがわかります。

これはなぜか。そのヒントは、王の名前を記した記録がすべて中国側の記録であるというところにあります。先に述べたように、近世以前の琉球の人物は、領地名を一時的に名乗ったり、童名(わらびなー)と呼ばれる琉球風の名前しか持っていませんでした。

つまり、中国風に記された三山の王の名は、琉球風の名前を中国側が聞きとってその音を漢字で表現したものだったのです。わかりやすい例でいけば南山王の「他魯毎」。琉球風の名前に変換すれば「たるもい(太郎思い)」になります。また北山王の「帕尼芝」は「はねじ(羽地)」などです。

ご存じのように中国にはアルファベットやひらがなのような表音文字はありません。だから琉球に限らず、他の国で漢字を使わず中国名のない場合は、その国の言葉の音に近い漢字で名前を表現します。例えばモンゴルのダヤン・ハンは「達延汗(ダァイェン・ハン)」、ジュシェン(女真)のアイシンギョロは「愛新覚羅(アイシンジュエルォ)」というふうにです。

ここで読者の皆さんでこう思う人がいるかもしれません。「じゃあ尚氏はどうなんだ?尚は代々受け継がれてるぞ。あれは中国風の姓じゃないか!」と。確かに琉球国王の尚氏は代々「尚」姓を継いでいます。しかし、この「尚」姓、はじめから中国姓として使われていたのではありません。

「尚」姓が使われはじめるのは第一尚氏の王、尚巴志(しょうはし)からです。彼の父の名は「思紹(ししょう)」。「尚思紹」ではありません、「思紹」です。彼が生きていた時代の記録には全て「思紹」として登場します。

「思紹」「尚巴志」も、当時彼らが名乗っていた琉球風の名前に漢字を当てはめただけである可能性が非常に高いのです。「思紹」は「シチャ」、「尚巴志」は「サバチ」または「小按司(しょうあじ)」の当て字ではないかと考えられています。

尚巴志の次の王は「尚忠」といい、以後は尚巴志の「尚」の字を代々継いでいきます。一説には尚巴志が明朝より「尚」姓を与えられたとされていますが、当時の記録でそれを示す確かな根拠はありません。「尚」姓の使用は、中国との交流で琉球名を便宜的に中国風に使用し、やがて琉球国内でもその中国姓が定着したものとみていいと思います。尚巴志の父である思紹も、後世このルールを当てはめて「尚思紹」としたのです。

実は「尚巴志」→「尚」姓のように琉球名をヒントに中国姓に変換していく例は他にもあります。例えば琉球名「あはごん」を「阿覇勲(阿範坤)」と表現し、やがて上の漢字をとって代々「阿」姓を名乗る例。また琉球名「まふと」を「麻普都」と表現し、やがて代々「麻」姓を名乗る例。

これらの一族の姓が決まるのは「尚」姓が定まるよりずっと後の時代になりますが、国王の「尚」姓と同じ方式で成立した中国姓であることがわかります。

参考文献:田名真之『沖縄近世史の諸相』、原田禹雄『琉球と中国』

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