沖縄で「向」といえば…
突然ですがクイズです。
「向」
この字は琉球で何と読むでしょう?
「こう」「むかい」と読んだ人、沖縄の歴史は初心者のようですね。
「しょう」と読んだ人、沖縄の歴史についてけっこう詳しい。
正解は「しょう」です。
これがわかる人は、おそらくこの字についてこう説明するでしょう。「これは琉球王家の一族が名乗る姓で、国王の姓«尚»と区別するために«尚»の字を二画とって«向»とした。よって読み方は«尚»と同じである。さらに王族は下の名前には«朝»を名乗ったんだ」と。
もちろんこれも正解です。現在では王族の子孫は「向」を名乗ることはありませんが、代々名前に「朝」をつけているので、それで王族かどうか判断できる場合があります。(例えば朝義とか朝助とか)
しかし、王族が「向」姓を名乗りはじめるのは沖縄の歴史のなかでも比較的新しい時代で、かつては姓そのものがなかっただけではなく、姓が名乗られはじめた頃には、王族が「向」姓を使うという決まりは全くなかった。この事実を知っている人はそう多くはないと思います。
琉球人が中国名を名乗りはじめるのは近世(江戸時代)に入ってからです(こちら参照)。中国名が使われはじめた頃の王族の姓は、何と「呉」とか「宗」、「魏」や「韶」などメチャクチャ。下の名前につけるはずの「朝」もほとんど使われておらず、「重」とか「典」、「義」などこれまたメチャクチャ。
例えば有名な羽地朝秀(向象賢)は、彼が生きていた時に使われていた中国名は何と「呉象賢」。名前も「重家」です。しかも羽地を名乗る前は大嶺です。大嶺重家(呉象賢)、これだと誰だかわからなくなってしまいますね。
要するに、琉球にはもともと一族の血筋を姓によってまとめ、他の一族と区別するという観念がなかっただけでなく、当初は中国名の統一的な使用のルールもなかったということです。王族の姓が現在知られている姿になるのは琉球王国の構造改革が行われて以降の1692年(構造改革についてはこちら参照)。「門中(もんちゅう。むんちゅうとも呼ぶ)」という沖縄の家制度もこの時期から成立してくるのです。
沖縄の「向」姓について、これだけ説明できればほぼ完ぺキだと思います。これでみなさんも沖縄の歴史通の仲間入り?かもしれません。
参考文献:田名真之『沖縄近世史の諸相』
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