入浴の決まりごと
王国時代、那覇西村にあった共同浴場の「湯屋」には、入浴の際の決まりがちゃんとあったようです。1680年(康煕19)に王府から風呂炊きの中村渠仁屋(なかんだかり・にやー)に申し渡された通達が残っているので紹介しましょう。
(1)風呂に入る時間帯については、男は午後4時から8時まで、女は午後10時から。
(2)浴場ではどんな者でもマナーを守ってなるべく規律よく入り、大声でおしゃべりをしてはならない。
(3)皮膚病の者は入ってはいけない。もし後日発覚すれば厳しく罰する。
(4)風呂に入らない者が立ち寄って風呂の中を見物してはいけない。
琉球の浴場で特徴的なのは、男女別々に入浴していることです(1条目)。江戸時代の日本では入浴は男女混浴が普通で、風紀を乱すものとして後に禁止令も出されましたが、混浴は無くならずに明治の初め頃まで続いていました。琉球では入浴の時間帯をずらすことで男女別々の入浴をしていたようです。また4条目は、要するに「のぞきは禁止!」ということ。風呂にも入らないのにゾロゾロとのぞきにくる者がたくさんいたということでしょうか。
法令は、ある問題の対策のために発されるもの。マナーを守らない人たちがいたからこそ、このような法令が発されたと考えていいと思います。
ところで、この法令が発されてから約200年後、新聞の投稿欄「読者倶楽部」には次のような投稿が寄せられています。
泉崎某医者はこの間、才之神和泉湯で尻も洗わずして湯壷に入りおった、モウ少し公衆のために衛生を重んじたらどうだろう(1906年6月24日『琉球新報』、ペンネーム:目撃生の投稿)
いつの時代でも、「マナーを守りましょう」が合い言葉になるようですね。
参考文献:『東恩納寛惇全集』6、『琉球新報』1906年6月24日
↓ランキング投票よろしくお願いします(緑のボタンをクリック)
| 固定リンク
コメント
琉球にも風呂が存在してたとは本当に目からウロコです。
自分的には暖かい気候なので「水浴び」を想像していたんですがそうではなかったのですね。
投稿: ひで | 2010年6月 4日 (金) 00:35