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2006年12月27日 (水)

入浴の決まりごと

王国時代、那覇西村にあった共同浴場の「湯屋」には、入浴の際の決まりがちゃんとあったようです。1680年(康煕19)に王府から風呂炊きの中村渠仁屋(なかんだかり・にやー)に申し渡された通達が残っているので紹介しましょう。

(1)風呂に入る時間帯については、男は午後4時から8時まで、女は午後10時から。
(2)浴場ではどんな者でもマナーを守ってなるべく規律よく入り、大声でおしゃべりをしてはならない。
(3)皮膚病の者は入ってはいけない。もし後日発覚すれば厳しく罰する。
(4)風呂に入らない者が立ち寄って風呂の中を見物してはいけない。

琉球の浴場で特徴的なのは、男女別々に入浴していることです(1条目)。江戸時代の日本では入浴は男女混浴が普通で、風紀を乱すものとして後に禁止令も出されましたが、混浴は無くならずに明治の初め頃まで続いていました。琉球では入浴の時間帯をずらすことで男女別々の入浴をしていたようです。また4条目は、要するに「のぞきは禁止!」ということ。風呂にも入らないのにゾロゾロとのぞきにくる者がたくさんいたということでしょうか。

法令は、ある問題の対策のために発されるもの。マナーを守らない人たちがいたからこそ、このような法令が発されたと考えていいと思います。

ところで、この法令が発されてから約200年後、新聞の投稿欄「読者倶楽部」には次のような投稿が寄せられています。

泉崎某医者はこの間、才之神和泉湯で尻も洗わずして湯壷に入りおった、モウ少し公衆のために衛生を重んじたらどうだろう(1906年6月24日『琉球新報』、ペンネーム:目撃生の投稿)

いつの時代でも、「マナーを守りましょう」が合い言葉になるようですね。

参考文献:『東恩納寛惇全集』6、『琉球新報』1906年6月24日

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2006年12月20日 (水)

お風呂と琉球

日本人は風呂好きだとよく言われます。たしかに寒い季節にザブリと湯船に入って温まるのは気持ちのいいものですね。日本人の風呂好きは今に始まったことではありません。例えば面白いところでは、500年前の朝鮮の釜山には日本人の居留地(富山浦)があったのですが、この付近にあった東萊(トンネ)温泉に日本人たちがワンサカと出かけていき、彼らを運ぶため地元民と馬が始終かり出されて大変迷惑をしている、との記録があります。

一方、沖縄ではどうでしょうか。現在の沖縄には湯船がなく、シャワーだけ取り付けられている住宅がけっこうあります。亜熱帯地域の沖縄では熱いお湯につかる習慣はあまりなく、「湯船につかるよりシャワー」が沖縄の入浴の基本でしょう。気候条件にくわえてアメリカ統治時代の影響もあると思いますが、意外にも戦後の沖縄には数多くの銭湯があったようです(現在ではほとんど廃業して残っていません。こちら参照)。

王国時代にも共同浴場がありました。那覇西村の「湯屋」と呼ばれる場所です(今の真教寺付近)。戦前まで「湯屋の前(ゆーやーぬめー)」という地名が残っていました。この湯屋は、何と日本から渡来してきた上方(畿内方面)の人がつくったもの。時期も古琉球時代(中世)にさかのぼります。当時の那覇は数多くの日本人が居留していました。おそらくこの湯屋は彼らのためのものでしょう。日本人は、やはりどこにいても風呂に入らないと気がすまないようです。

しかし、当時の風呂はただの入浴施設ではありませんでした。中世の日本では、入浴は「斎戒沐浴(さいかいもくよく)」というような身を清める宗教行為でもありました。日本の寺院では浴室がつくられて儀式とともに入浴が行われ、また浴室がお坊さんたちの会合の場にもなっていました。琉球でも中世の日本から禅僧たちがさかんに渡航していたので、禅宗とともに入浴の文化が持ちこまれたのです。

Cimg1628 1494年、京都の禅僧・芥隠(かいいん)和尚によって建立された円覚寺【写真。クリックで拡大】にも浴室があったようです。しかし建て替えや改修が繰り返されていくうちに、円覚寺に浴室はやがて無くなってしまいます。最近行なわれた円覚寺の調査でわかったのは、寺院建築は日本のような七堂伽藍をそなえているものの、当然あるべき浴室が無く、かわりに井戸があったこと。以前、発掘関係者の話を聞く機会がありましたが、「高温多湿の沖縄では熱い湯に入浴するよりも水浴びのほうが好まれ、井戸を七堂伽藍の浴室に見立てて使ったのではないか」とのことです。

沖縄では湯船よりもシャワー。この文化はけっこう王国時代からそうなのかもしれません。

参考文献:村井章介『中世倭人伝』、国立歴史民俗博物館編『中世寺院の姿とくらし―密教・禅僧・湯屋―』、沖縄県立埋蔵文化財センター編『円覚寺跡―遺構確認調査報告書―』

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2006年12月13日 (水)

クニの頭とシマの尻

地名には、それを名づけた人たちの思想やその時代を生きた人々の感覚など、さまざまな歴史情報が秘められています。

例えば沖縄を指して言うところの「南島」。この名称は沖縄が中心なのではなく、あくまでも北(ヤマト)からの視点で名づけられたものであることは明らかです。「南島」とはどこから見ての「南」なのか。沖縄からの立場では沖縄は「中心」であって、自らが「南」であることはありえないからです。

現在の沖縄の地名は、5~600年前の古琉球時代にさかのぼるものが数多くあります。沖縄島北部の「国頭(くにがみ)村」と南部の「島尻(しまじり)郡」。この地名が確認できる最古のものは600年前の記録です。国頭とは文字通り「クニの上(かみ)」。島尻は「シマの尻(しり)」を意味しています。

古琉球の人々は自分たちの住む世界を「世(よ)」と呼んでいました。琉球世界を支配する国王を琉球語で「世の主(よのぬし)」と言い、「世の主」の統治する王国の領域はまた「おきなは(沖縄)の天が下」とも称されています。そして南北にのびる沖縄島は、王都・首里を基点に「上下(かみ・しも)」という空間として把握され、沖縄島の最北部を「国上(くにがみ)」、最南部の地域を「下島尻(しもしまじり)」と読んだのです。

Cimg0372 ちなみに奄美地域は「おくと(奥渡)より上(かみ)」、先島地域は「みやこ(宮古)・やへま(八重山)」と呼ばれていました。「奥渡」とは沖縄島の最北端のことで(いまでも最北端の集落は“奥”と呼ばれています)、奄美全体を「それより上」として表現しています。

面白いのは、古琉球では北方を「上」、南方を「下」とみる観念があったことです。つまり北方(ヤマト?)に何らかの中心性を見出していたことがうかがえるのです。古琉球の歌謡集『おもろさうし』には、日本へ行くこと(やまと旅)を「のぼる」とも表現しています。

最近の研究では、現代沖縄人に直接つながる祖先は、北方のヤマトからやってきた人々が現地民と融合していったのではないかと言われています(こちらを参照)。独立国家の琉球王国が成立して以降、原初の記憶は薄れてもその観念は受け継がれて、地名として痕跡を残すことになったのではないでしょうか(念のため強調しておきますと、この事実をもって琉球王国を「日本国」の範囲だった、と主張する根拠にはできません)。

地名を読み解くと歴史が見える。みなさんも沖縄の地名について考えてみてはいかがでしょう。

【写真】は沖縄島最北端の遠景。ここが「奥渡」「国上」にあたる。クリックで拡大

参考文献:南島地名研究センター編『増補・改訂 地名を歩く』、高良倉吉『琉球王国の構造』

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2006年12月 7日 (木)

単行本、さらに詳細!

「目からウロコ」単行本、書き下ろしコラムや単行本にしかない特典をさらに紹介。

◆中国化する琉球
琉球の文化って、ヤマト(日本本土)とちがってどことなく中国っぽい感じがしませんか?中国の宮殿に似た首里城、中国福建の墓とそっくりの亀甲墓、中国風水思想にもとづいた「石敢当」、清明祭などなど…中国的文化を持つ琉球は江戸時代に薩摩に征服されて以降、ヤマト文化に傾倒していったと考えられています。しかし、事実は全く逆!琉球は薩摩に征服された江戸時代になって「中国化政策」を意図的に進めていくのです。完全な独立国家だった古琉球時代、首里城で行われていた儀式はなんとヤマトの陰陽道の儀式!古琉球の海を走っていた一般の船は、なんと和船タイプの船!首里城の宮殿はヤマト風の板ぶき屋根にヤマト瓦!江戸時代の琉球はなぜ「中国化」を進めていったのか?これまでの琉球史イメージは崩壊!新しい琉球史像がここに開かれます。

◆琉球は薩摩の奴隷だったのか
江戸時代の琉球といえば、薩摩に支配されて植民地となり、貿易の利益を徹底的にしぼりとられ、「奴隷」のような状態におかれた時代と考えられています。実はこの説も全くのウソ!琉球に薩摩の「植民地総督」は存在しなかった!薩摩藩の現地スタッフはなんと琉球王国全体でたったの十数名(滞在先は那覇にほぼ限定)、しかも国王との接触、琉球の政治への口出し一切禁止!利益をしぼりとったとされる琉球の中国貿易も、実は薩摩藩はやめたがっていた!?薩摩に抵抗する琉球王府!これまで教わっていた琉球の歴史って、いったい何だったの!?もう何を信じていいかわからない!驚きの新事実、これは必見です!

◆豊富なイラスト!わかりやすい図解入り!
Cimg1668 単行本はイラストを大幅に追加!しかもイラストはすべてワタクシ「とらひこ」作成。文章・イラストともに著者。沖縄の歴史本ではおそらく初、前代未聞の1人2役で単行本をあなたにお届け!これまで往々にしてあった、著者とイラストレーターとのイラストのイメージの食いちがいを見事に解決!これは革命的です。さらに図解を多用、文章を読まなくても当時の琉球社会が一目りょう然!「見る」だけでも十分楽しめる内容になっています!【画像はイラスト作成中の様子。】

自分たちの住む地域の歴史を知らないウチナーンチュも、沖縄のことをもっと知りたい観光客や移住者の皆さんも、この一冊で全てまるわかり。老いも若きも「目からウロコの琉球・沖縄史」。最新歴史がかんたんコラムで読める。こんな本がほしかった!単行本、もうすぐです。乞うご期待!

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