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2006年11月21日 (火)

激烈!琉球の受験事情

王国時代の試験問題をみてきましたが、受験事情はどのようなものになっていたのでしょうか。

まず前回見た「科(こう)」。この試験は1次と2次からなっていて、先に紹介したような問題が各試験につき1問ずつ出題されます。内容は道徳問題と時事問題からなっていました。「科」は王国の士族全員が受験したのではなく、比較的身分の低い士族たちが対象でした。当時の社会は当然のことながら身分制の社会。下級士族がいくら努力したところで三司官(大臣)になれるわけではありませんでしたが、それ相応の地位まで昇ることは可能でした。

Photo_6 琉球王国の学校制度は次のようになっています【画像・クリックで拡大】。学校は都市部の首里・那覇に限定されていました。これは士族の住む場所が基本的に都市部に限定されていたからです。初等教育は村学校(今の小学校から中学校に相当)で行われ、次に平等(ひら)学校(今の高校に相当)に進学。平等(ひら)とは首里の行政区画のことで、首里の3つの平等にそれぞれ置かれました。那覇では村学校が初等部と中等部に分かれて一貫教育を行っていました。

平等学校を卒業すると、ここから身分ごとに分かれていきます。身分の高い家の者と、推薦された一部の一般士族は最高学府の国学(今の大学に相当)に進学して徹底したエリート教育を受け、キャリア官僚のコースに進んでいきます。その他の平等学校の生徒はそのまま王府の一般職に就くことができますが、一方で「科」を受験して出世する道も残されていました。そのため多くの一般士族たちは「科」に合格すべく猛烈な勉学に励んだのです。「科」には様々なものがあったようですが、圧倒的に人気があったのは文筆科。合格すれば評定所(今でいう内閣)の書記官になり、さらに出世の階段を昇ることができました。

この「科」ですが、文筆科の合格倍率は何と最高600倍!現代の東大入試や国家1種試験、司法試験より高い倍率です。それに受験する資格は、毎月行われる平等学校の模試で40番以内に入った者だけ。学校での普段の成績が良くなければ受験すら許されなかったのです。受験者も現役生だけでなく、王府の一般職で働きながら入試に挑戦する浪人生もたくさんいました。なかには39才でようやく合格した人もいます。

しかし、試験に合格したからといっても安泰ではありませんでした。王府の仕事はポイント制になっていて、働き続けて功績ポイントを貯めないと高い身分の士族でも次第にランクを落とされてしまいました。親がエライからといって遊んでいると、ついにはヒラ士族になってしまうのです。

このように琉球王国では徹底した学問への取り組みが行われており、当然ながら現代の「ゆとり教育」も学力低下の問題も存在していませんでした。彼ら琉球王国の受験生が現代沖縄にタイムスリップしてきて勉強すれば、もしかしたら沖縄県内から東大現役合格生を毎年50名出すぐらいの力を発揮したかもしれませんね。かつての琉球王国はただ何となく存在していたのではなく、彼らのような王国士族たちの血のにじむような努力によって支えられていたのです。さて、現代の沖縄にはこの「伝統」は受け継がれているのでしょうか…

参考文献:田名真之「平等学校所と科試」(高良倉吉・豊見山和行・真栄平房昭編『新しい琉球史像』)

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コメント

とらひこ様、お初になります。

母方が一応、向氏なのですが、曾爺さんの頃から学が無かったようなんです。これは、秩禄処分で余裕が無かったのか、元々庶子でも教育を受けなくとも良かったのか、どちらなんでしょう?

そのお蔭か、馬車馬のように働いても極貧生活だったそうです。
一度失った学と生活レベルを恢復するには、三代かかると。
なんともまぁ、身に積まされるお話でした。

投稿: 御茶道 | 2006年11月25日 (土) 17:50

>御茶道さん
はじめまして。訪問ありがとうございます。曽祖父さまからお家の方はずいぶん苦労されたようですね。

各家の個別的な事情(個人の功績の有無、曽祖父さまの生きた年代)などもあったと思いますので確かなことは言えませんが、庶子だから教育の必要がなかったということはありません。親の領地や知行を相続するのは原則長男だけで庶子はこれがなかったので、むしろ教育を受けなければ出世できなかったようです。

またご指摘のように経済的な問題もあると思います。王国の崩壊で士族も失業状態になり、商業や農業で生計を立てざるをえず、教育を受けさせる余裕もなくなった士族がたくさん出たようです。

それに王国時代の教育は伝統的な儒教をもとにしたもので、近代教育とは異質なものです。従来の教育の蓄積があまり意味をもたなくなったこともあるでしょう。

投稿: とらひこ | 2006年11月27日 (月) 07:05

レス、有難うございます。

当時の県民の窮状を思えば、私の家が格別ではなかったのかも知れませんね。亡国の責任は取るべきですし。

喜屋武ミー小御大の姿や軌跡を見ると、我が家のそれと似通っていて感慨深いものがありました。厳しくも、清貧な方が多かったようですね。
私の世代も、努力の「伝統」を絶やさないようにしたいものです。

投稿: 御茶道 | 2006年11月28日 (火) 14:18

>御茶道さん
どういたしまして。いい「伝統」は続けていきたいですね。(…と自分自身にも言い聞かせています)

投稿: とらひこ | 2006年11月29日 (水) 17:22

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