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2006年9月 1日 (金)

沖縄県消滅!?幻の「南洋道」

地方分権の動きにあわせて、いま「道州制」をめぐる議論が活発に行われています。都道府県を解消し、日本の行政区を新しくいくつかの「道・州」に分ける案です。もし実現すれば明治以来の大改革になりますが、そのなかで沖縄県は「九州道」に編入するのではなく、「琉球単独州」にすべきだという意見が沖縄側から強く主張されています。沖縄の歴史・文化の独自性がそのような主張をさせるわけですが、実は、これと似たような議論が100年前にも起こっていました。

それは戦前の「南洋道」設置をめぐる問題です。これは日本の北にある「北海道」と並ぶようなかたちで、南にも同じように「南洋道」をつくってしまおうとするもので、日清戦争で新たに獲得した植民地の台湾に、沖縄県(または奄美もふくめる)を吸収合併するという計画でした。ことの発端は1908年(明治41)に帝国議会の代議士がこの計画を提起したことでした。そして、この計画に前沖縄県知事の奈良原繁(ならはら・しげる)が賛成して運動が進められている、とのニュースが沖縄に飛びこんできたのです。この計画は沖縄県から出されたものではなく、沖縄側にとっては寝耳に水でした。

沖縄側はこの「南洋道」設置計画に対して猛反発し、「琉球新報」では「台湾直轄論」という社説をかかげて反対論を展開します。「帝国の一部として、祖国の光栄ある歴史と共にあろうと忠誠を尽くしている沖縄を植民地の下に組みこむとは、不届き千万である!」などと述べています。「皇国日本」との一体化をめざして努力しているのに、沖縄を台湾に売り飛ばすこの仕打ちは何事だ、というわけです。

背景には台湾が中央政府に納める関税を補うため、沖縄県の収入を当てにしたことがあったとも言われていますが、計画した代議士は、「沖縄県は中央政府のお荷物になっているから、台湾に管轄を移したほうが内地の負担も軽くなるだろう」と語っています。いずれにせよ、当時の日本政府は帝国の南端となった台湾の経営を重要視していて、沖縄にはほとんど関心がなかったのです。この計画は結局、各方面からの反対で立ち消えになってしまいますが、近代を通じて沖縄がスルーされる状況は続きます。皮肉なことに、中央政府が沖縄の重要性に気づくのは沖縄戦、軍事戦略上の拠点としての位置づけなのです。

「南洋道」設置の動きに対して、沖縄側は純粋に日本を慕(した)い、「民族的」な観点からこれに反対したのでしょうか。必ずしもそうではないと僕は思います。沖縄側が何より恐れていたのは、沖縄の地位が「植民地」同然に転落してしまうことでした。沖縄県という行政区分が消滅して「沖縄」としての主体がなくなってしまうことが、沖縄の人々にとって最も避けるべき事態だったのです。逆説的ですが、「日本帝国」と同化することが、「沖縄」の地位向上と、それにともなう主体性を発揮できる道だと当時の人は考えていたように思います。

つまり「南洋道」編入に反対して日本帝国との一体化を求めた戦前の沖縄と、「九州道」編入に反対して「琉球独立州」を主張する現在の沖縄は、カタチはちがえども“主体性”を発揮しようとする意図においては、ある程度共通しているのではないでしょうか。

参考文献:『沖縄大百科事典』、高良倉吉『「沖縄」批判序説』、「琉球新報」1908年11月~12月

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コメント

戦後、日本が台湾などの南方植民地を失ったことが、
沖縄の戦略的重要性を高めたわけで、それが
アメリカ・日本が沖縄に莫大な資本を投下する要因になったわけですね。

想像にすぎませんが、
もし日本が戦争していなかったら、
沖縄は今以上にさびれていたかもしれませんね。


歴史は皮肉です……

投稿: 御座候 | 2006年9月29日 (金) 22:14

>御座候さん
戦前の沖縄は中学以上の高等教育機関は一切おかれなかったのに、今や「世界最高水準」の大学院大学を沖縄につくろうという話ですからね。力の入れようがちがいます。

投稿: とらひこ | 2006年10月 1日 (日) 13:52

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