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2006年7月13日 (木)

燃えよ大綱引き

毎年10月に行われる那覇の大綱引き。那覇の最も大きな祭りのひとつで、数十万人が参加するビックイベントです。あわせて全長200メートル、直径1.5メートルになる巨大な綱(つな)2本を「貫抜(かぬち)棒」と呼ばれる棒で連結し、東と西に分かれて引き合います(動画はこちら)。大綱はギネスにも認定された世界最大級の綱。この綱引きは王国時代から続く伝統ある祭りで、東西双方がお互いのプライドをかけて勝負する勇壮な祭りとされています(現在の大綱引きは、戦前にとだえていた祭りを1971年に復活したもの)。

しかし王国時代の那覇の大綱引きは勇壮を通りこして、過激というほかありません。当時の大綱引きは「戦花遊び(いくさはなあしび)」とも呼ばれた乱闘がともなう祭りで、那覇の人々はこの祭りに命をかけて挑んでいました。非日常的なイベントである祭りは民衆のパワーが一気に爆発する場所だったのです。その熱狂ぶりはワールドカップどころの騒ぎではありません。王国末期(日本でいうと幕末)、1863年の那覇大綱引きの様子をみてみましょう。

この年の大綱引きは昼間の華麗な旗頭(はたがしら)の行列のあと、夜9時すぎに東西に分かれて綱引きが開始されます。ドラやカネ・太鼓、火砲の音が響くなか、東西両方の綱がまさに連結されようとする時、突如として試合開始のカネが鳴らされます。すでに2本の綱が中央で連結されているとカン違いした両陣営は、まだつながっていない綱を思いっきり引くと、それぞれの方向に一気にバタバタと将棋倒しになってしまい、勝負は引き分けの判定がくだされます。

翌日、判定に納得できない東側陣営は「西側から勝手に合図をして引きはじめたから西側の反則負けだ」と主張して、勝ちどきをあげて西側にアピールしようと勢ぞろいします。これに怒った西側の陣営、彼らの勝どきを阻止しようと東側に相対し、両陣営は棒や刃物、石などで武装して「合戦」寸前にまでなってしまうのです。この一触即発の状況に、薩摩役人と王府役人が仲裁に入って解散命令を出し、すんでのところで「合戦」はまぬがれました。

ところがこの場は何とか収まったものの、不満がくすぶる東西両陣営の一部でついに大乱闘がぼっ発、死傷者を出す惨事となり、見かねた王府は9年間も那覇の大綱引きを禁止してしまいます。この時の大乱闘では、綱引きが行われた付近の民家の石垣がくずされて敵に投げつける石として使われ、またある者は顔中に真っ黒なスミを塗りたくり、棒や竹ヤリを持って集団でかけ出していったといいます。刃物や竹ヤリで屈強なニーセー(青年)たちが激突する那覇の大綱引き…過激すぎて参加したくありませんね。

大綱引きに限らず、那覇ではハーリー(爬龍舟のレースを行う祭り)の際にもニーセーたちのケンカが多発したそうで、王府や薩摩役人はたびたびケンカ・口論の禁止令を出していました。しかし、かれら権力は祭りに熱狂する那覇の人々を止めることはできなかったのです(こう言っては何ですが、たび重なる自粛要請にもかかわらず、毎年のようにくり返される那覇市の成人式騒動のようなものでしょうか…)。

人々がイベントや勝負ごとに熱くなるのは今も昔も変わらないのかもしれませんが、昔の人の祭りにかける情熱はハンパじゃありませんね。

参考文献:島袋全発『那覇変遷記』、豊見山和行「近世琉球民衆の「抵抗」の諸相」(『民衆運動史』1)

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