昆布と富山のクスリ売り
昆布(こんぶ)はクーブイリチー(昆布の炒めもの)や汁ものをはじめ、今や沖縄料理にかかせない食材です。沖縄の昆布消費量は全国一といわれます。しかしタイトルの「昆布と富山のクスリ売り」。それが沖縄の歴史とどんな関係があるのでしょう。
沖縄で昆布が広く食べられるようになったのは江戸時代(近世)のことです。ご存じだと思いますが、昆布は沖縄で採れません。沖縄で食べられる昆布は移入されたものです。ではその昆布はどこで採れたものなのでしょうか。実は、琉球で食べられていた昆布はエゾ地(北海道)産でした。
18世紀、エゾ地は開発が進められ、釧路や根室の沿岸で採れる昆布がニシンなどとともに北前船で出荷され、流通するようになります。昆布は日本海沿岸を通り、最後には大坂市場に運ばれていきます。そして、この昆布の流通網と結びついていたのが富山のクスリ売りでした。彼らは東北から九州の薩摩まで販路を広げてクスリを売っていました。その富山のクスリ売りが目をつけたのが、琉球が中国からもたらす漢方薬の原料です。琉球は中国から大量の漢方薬の原料を輸入していて、クスリ売りにとって貴重な漢方薬はノドから手が出るほど欲しいものでした。そこで富山のクスリ売りは薩摩を通じて、日本海ルートでもたらされる昆布を代価に琉球の漢方薬をゲットしたのです。
こうして琉球にはエゾ地産の昆布が入ってくるようになり、昆布は琉球社会に定着します。祝い事に昆布が贈り物として使われたり、昆布料理が作られたりと、生活に欠かせないものとなっていきます。さらにこの昆布は琉球国内だけで消費されるにとどまらず、中国への輸出商品にもなり、やがて昆布は琉球から中国に輸出される主要商品としての位置を占めるようになります。エゾ地の昆布はめぐりめぐって琉球へたどり着き、さらに中国にまでもたらされることになるのです。
ふだん何げなく食べている沖縄料理の昆布。実は沖縄の歴史が生んだ食材だったのです。島国である沖縄は決して孤立していたのではなく、外の世界との関係のなかで成り立っていたことがよくわかる一例です。
参考文献:真栄平房昭「琉球貿易の構造と流通ネットワーク」(豊見山和行編『日本の時代史18』)
↓ランキング投票よろしくお願いします(緑のボタンをクリック)
| 固定リンク
コメント
富山も昆布消費は多く、金沢も同様。昆布巻き蒲鉾。が普通の裸の蒲鉾より普及好まれるし、刺身も昆布絞めというのが好まれます。特に冬の鱈などは昆布ではさんで味を染み込ませた刺身です。私は四国出身なので 何故昆布が餅から蒲鉾からよく多用されてるのか 「北前船貿易」で蝦夷地経由だからと思っていました。富山の売薬も日本アルプス山系だから国産と 漢方薬も大阪経由長崎貿易で清国から入ると理解してました。沖縄までとは知りませんでした。
投稿: ようちゃん | 2006年7月 4日 (火) 02:59
>ようちゃんさん
北陸や四国でも昆布料理はよく食べられるんですね。僕は各地の昆布料理についてはよく知りませんでした。ご教示ありがとうございました。というか、一度それらの料理を食べてみたいです。
投稿: とらひこ | 2006年7月 4日 (火) 22:06
長い間、わからなかったことがやっとわかりました。
ありがとうございます。
富山の薬売りが薩摩にいき、そこで昆布をうり、それが琉球へ流れていくところまではしっていましたが、その見返りがわかりませんでした。
薬売りにとって、漢方薬の原料はのどから手が出るほどほしい必需品であり、それが沖縄にあったと知って感動しました。
日本人はいつも自給自足ではなく、周囲と平和に交易して生活してきたことの典型的な例になると思います。
投稿: 網野裕 | 2017年6月16日 (金) 12:02