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2006年6月16日 (金)

琉球はどんな文字を使ってた?

独立国だった時代(古琉球)の琉球王国は、文書にどのような様式のものを使っていたのでしょうか。おそらく多くの人は、琉球王国が中国・明朝の朝貢国であったことから、中国風の漢文を使っていたのではないかと考えていると思います。しかし、国内の文書に漢文はほとんど使われていません。では琉球独自の文字があった?いいえ。実は、琉球国内で広く一般的に使われていたのは日本の「ひらがな」でした。

Jul21255 国王から家臣に出された任命(辞令)書【写真。クリックで拡大】は全て「ひらがな」の草書体で書かれ、中世日本で使われていた「候文(そうろうぶん)」という書き方と同じです。候文とは、文章の最後を「~です。」とするのではなく「~候(そうろう)。」と書く文体のことです。

もちろん琉球から明朝に送る外交文書には全て漢文が使われています。しかし、これは琉球自身が漢文で書くことを選んだのではなくて、当時明朝に外交の使者を送るには、明朝で使われている公文書の様式にのっとった外交文書を書かなくてはならなかったからです。これに違反した場合は、門前払いされてしまいます。だから日本も朝鮮も東南アジアも、明朝に出す外交文書は琉球と同じように漢文です。琉球だけが漢文を使っているということではありません。

Cimg0214_2 古琉球時代につくられた石碑にも「ひらがな」が使われています。例えば、1597年に建てられた「浦添城の前の碑」と呼ばれる石碑の表には「ひらがな」、裏には漢文が書かれています【写真。クリックで拡大】。写真に書かれているのは三司官の名前です。「くにかミの大やくもい、ま五ら」「とよミ城の大やくもい、まうし」「なこの大やくもい、またる」と書かれています。これは国頭親方、豊見城親方、名護親方のことです。当時はこのように呼んでいました。

このような事実から、「琉球は日本と同じなんだ」という考えが出てくるかもしれません。しかし、実はそうではありません。結論は、「琉球と日本は同じではない」のです。なぜ!?…いぶかしく思うかもしれませんが、その理由を説明しましょう。

まず、中世の日本は公文書で「ひらがな」を使いません。当時の主な公文書に使われていたのは、「和様漢文」という日本風に書かれた漢文。「ひらがな」は「女文字」とも呼ばれ、主にプライベートな文書に使われました。日本ではプライベートで使われる文字を、琉球では国家の公的文書に採用してしまうのです。これは日本とは全くちがうものです。

さらに、琉球の公文書は「ひらがな」で書かれながら、年号に必ず中国年号を使用しています。これは琉球王国が明朝の朝貢国だったからなのですが、日本では国内文書に中国年号を使うことは絶対にありません。また琉球では「ひらがな」を使いながら、日本にはない琉球独特の言葉や表現を使っています。「ひらがな」を知っているだけでは、琉球の文章は、文字そのものは読めても意味はわからないのです。

このように、琉球で日本の「ひらがな」を使っているから「琉球と日本は同じだ」、という結論にはならないことがわかります。それは日本で中国伝来の漢字を使っているから「日本と中国は同じだ」ということにならないのと同じことです。琉球は外から入ってきた文化を採り入れて、自らのものにしてしまった、ということなのですね。

参考文献:高良倉吉『琉球王国の構造』

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コメント

 初めまして!テーマに惹かれやってきました。
 琉球では「ひらがな」が使われていた!というのは驚きでした。
 ずっと以前からアイヌにアイヌ語があるように、琉球にも琉球語ってあるのかな?と漠然と疑問には思っていましたが、どちらかというと琉球語っていうよりは日本語の方言に近い言葉だったんでしょうか?
 まだ少しの記事しか読んでいないのですが、またじっくり読ませていただきますね。

投稿: 宇之丸屋 | 2006年6月17日 (土) 00:54

> 宇之丸屋さん

はじめまして。訪問ありがとうございます。

僕は言語についてそれほど知ってるわけではないのですが、琉球の言葉は日本語の系統らしいです。日本語は大別して本土方言と琉球方言になるそうで、その違いの大きさはヨーロッパでいうとフランスとイタリア語の違いぐらいで、方言ではなく琉球語としてとらえたほうがいいという意見もあるようですよ。

いずれにせよ、琉球の言葉は漢文ではなく「ひらがな」で表現したほうが最も適当であることは間違いありません。

よろしければまた訪問してくださいね。

投稿: とらひこ | 2006年6月17日 (土) 11:22

そうですね。
おっしゃるとおりだと私は思いますよー。

ひらがなを古琉球では(近世になっても)使っていますよね。ある外国からいらした留学生の方が、「ひらがなの使用の起源」という一考察を行ったことがあって、自分的には相当立証&仮説を立てるのが難しいだろうなぁと思ったんですよ。論文自体、実際そうなってしまったんですが、この着眼点は私は面白いと感じました。

琉球自体が言葉を日本語を素に持っているのでひらがなを使うのかな?と安易に考えたこともあります。しかし琉球は日本の古典を学び、芸能を学び(当時の教養として普通なのだから珍しくも無いですが)、久米村を中心に漢文・中国語・漢詩・中国芸能を学ぶといった特殊性の中に「漢文」との使い分けとしての琉球のアイデンティティーの表れが「ひらがな」になったのではないかとも思っています。

投稿: かなしー | 2006年6月18日 (日) 17:21

>かなしーさん

琉球の「ひらがな」使用は琉球独自のものであるといってまちがいないと思います。時代が下ってくると、独自性が強くみられるようになるそうで、最初は借り物だったものが、使い続けていくうちに育っていくということでしょうか。アイデンティティの形成とも関係がありそうです。

投稿: とらひこ | 2006年6月22日 (木) 00:06

はじめまして。

平仮名は仏教と共に沖縄に伝来した、
と聞いたことがあります。

でも、平仮名の普及について詳しい
説明は聞いたことがありませんでした。

公用文に使われていた、というのが
琉球の特徴だ、ということを
初めて知りました。

これからは、例えば
博物館に行ったとき、古文書が展示してあったら、
「公的なものなのか」「平仮名文なのか」
に注意して見てみようと思います。

私が沖縄の歴史の本を読んだのは
主に1980年代の事でした。
それも、中山王の歴史と琉球王の歴史を
混同していたり、といったいい加減さです。

だから、きっと、自分の知識は古いし、
いい加減なんだろうな、と思います。

別のページで
先島の人頭税は重税ではない、
と書いてあったので、
自分はそんなことも知らなかったんだなぁ、
とびっくりしました。

投稿: chiyu@山口県 | 2006年10月16日 (月) 20:20

ごめんなさい、
下で私が投稿した文章の訂正です。
> 中山王の歴史と琉球王の歴史を
> 混同していたり
と書いたのは、私が混同した、という意味です。
本の内容が間違っていた、という意味ではありません。
不正確な書き方をして、すみませんでした。

要するに、王様の名前を覚えられないから
混乱したのだと思います。

投稿: chiyu@山口県 | 2006年10月16日 (月) 20:33

>chiyu@山口県さん

はじめまして。訪問ありがとうございます。

これまで平仮名は仏教とともに禅僧が伝えたとされていましたが、当時のヤマト僧が一般的に使っていたのはむしろカタカナのほうで、本当に彼らが伝えたのかという疑問も最近では出されています。ヤマトの交流で伝来したのは間違いないとは思いますが。

人頭税について、先島の人が重い税に苦しんでいたことは事実ですが、それは人頭税のせいではなく、先島を襲った津波などの自然災害で人口が激減したことが大きな原因です。人口が減るまでの先島では人頭税のシステムは比較的問題なく機能していましたし、人頭税というしくみ自体は先島だけの差別的な制度ではなく、全琉球に設定されていた制度でした(この問題は後日とりあげたいと思います)。

最近の琉球史研究の進展ぶりは、20年前と比べると隔世の感があると思います。今後もこのブログで最新の研究などを紹介していきますので、是非またおこしください。

投稿: とらひこ | 2006年10月17日 (火) 00:23

お返事ありがとうございます。
城間正安と中村十作が
国会に訴えて、1903年に人頭税が
廃止された、と聞いていたのですが、
(昔読んだ物をいま読み返しました(汗))
いずれにせよ、お話を楽しみに待っています。

あと、よく分からないことと言えば、
江戸上りの時の衣装です。
わざと異国風(日本に対して)にしたのであり、中華風がかっこよかった、
という話もあれば、
わざと異国風にさせられた、薩摩が自分を大きく見せるために命じた、
という話もありました。
これも、20年経ってどうなったのか、とか。

ひらがな、ほんとにどうやってつたわったのでしょう???

質問:
> 中世の日本は公文書で「ひらがな」を使いません。
と書かれていますが、ということは、
江戸時代は近世だから、公文書でも
平仮名をつかっていた、という意味なのでしょうか???

投稿: | 2006年10月24日 (火) 01:01

>chiyu@山口県さん
どういたしまして。さて江戸上りの衣裳についてですが、最近の研究では、薩摩に異国風を「強制」されたという説は誤りであるとされています。

まず異国風の中国冠服は、当時の琉球では正装であったことです(当ブログ「フォーマルウェアはチャイナ服」を参照)。実際、薩摩に征服される以前にも琉球使節は「唐衣裳」を着てヤマトに外交使節を派遣しています。

薩摩藩から中国風にせよとの指示があったこともまた確かですが、その対象は旗や槍などの儀仗のみで衣裳の強制は全くありませんでした。当時の江戸上りの絵図を見ると、ちゃんと琉装した人たちもいます。

それに「異国風を強制された」という考え自体がおかしなものです。なぜなら琉球は江戸時代の日本にとって「異国」であったからです。この考えは、復帰前の「沖縄は日本に帰るべきだ」という時代の風潮に強く影響されています。この説が唱えられた当時の人たちは沖縄が異国であることは許せない、という考えだったのです。

今では中国風を「強制」されたのではなく、より「強調」したという考えになっています。中国風の衣裳は琉球にとっては普通であり、屈辱でも何でもなかったのです。

また、「 中世の日本は公文書で「ひらがな」を使いません。
」と書いたのは、近世日本との比較ではなく、琉球で平仮名文が使われていた同時代の日本との比較を想定して書いたものです。

近世日本の公文書(将軍の御内書や老中奉書など)は漢字主体の文です。江戸時代には公私ともども漢字主体の候文が使われています。(古文書に関しては僕は詳しくないので、他のサイトを参照してください)。

近世になると琉球でも日本と同様の候文を公文書に使うようになります。

投稿: とらひこ | 2006年10月24日 (火) 21:47

>chiyu@山口県さん
江戸上りについてコラムで詳しく書いてみました。ご参照ください。

投稿: とらひこ | 2006年10月25日 (水) 01:10

なるほど〜。首里城で王様の印璽を模したキーホルダーを買って来て、裏を見ると漢字のとなりにうねうねとした文字があったので、なんだろうとおもっていたのですが、ひらがなだったんですね。

アイヌは文字を持っていなかった。琉球は文字を中国と日本から輸入していたわけですね。琉球の言葉は日本語の放言には決して近く無いと思います。日本が中国から文字を輸入してきたように、琉球もそうしたんでしょうね。日本列島周辺はもともと文字で記録するのでは無くて、本州でも口述記録者(言葉を記録する係)が居たから、文字の発展は中国との貿易の副産物であったようですね。文書のやりとりが必要になってきますからね、文字を持った国と貿易を行うと。

投稿: とらねこさん | 2006年11月18日 (土) 13:44

>とらねこさん

国王の印のぐにゃぐにゃ文字は「ひらがな」ではなく、満州文字です。琉球国王の印は中国の清朝から琉球国王である証としてもらったものでした。清朝は漢民族ではなく、北方の遊牧民であった女真族だったので、その文字を漢字とともに印に記したものです。

琉球が自ら作った印は、辞令書にも押されている「首里之印」です。琉球では対中国向けには清朝からもらった「琉球国王之印」、国内には「首里之印」と使い分けていました。

ご指摘のとおり、琉球での文字使用は外との世界の関わりで始まったのは間違いないでしょうね。琉球の国家形成は外との関わりで急速に進展していきましたが、それと同時に文字使用も広まっていったと思います。

投稿: とらひこ | 2006年11月21日 (火) 00:40

 琉球がひらがなを使っていたと言うのは始めて聞きましたが考えてみると以外ではないのかもしれません。琉球語は中国語でないので漢字では表記できません。従って何らかの表音文字であらわさなければなりません。琉球の近くにある表音文字は日本のひらがなとカタカナです。それでひらがなが採用されたのではないでしょうか。まず順当なやり方と思います。琉球語と日本語とは基本的な語彙が同じであることから姉妹語と考えられます。

投稿: 村島定行 | 2008年10月19日 (日) 22:56

>村島定行さん
ご指摘のとおりだと僕も思います。言語的な近さが日本の文字が琉球で採用される大きな要因になったようです。何よりも「ひらがな」が琉球語を表現するのに便利だったということなのでしょう。

投稿: とらひこ | 2008年10月23日 (木) 13:03

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