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2006年4月25日 (火)

続・小林よしのり『沖縄論』に思うこと(2)

小林よしのり氏が『沖縄論』で主張した歴史論は、実はそんなに目新しいものでありません。小林氏はご存じないでしょうが、1980年代、琉球の歴史の評価をめぐって「琉球王国論争」という論争が行われたことがあります。琉球も結局はもともと「日本」の一部、一地方政権にすぎない、とする小林氏とほとんど同じ意見を持つ論者の主張に対し、歴史研究者の高良倉吉氏は厳密な歴史資料の分析から琉球の独自性を立証し、琉球否定論者を完全に論破しています。小林氏の歴史論の骨子は20年前にすでに論破されたものなのです。しかもこの論破された論は都合のいい部分だけ「おいしいとこ取り」された最新の研究で“粉飾”され、リニューアルしています。

ことわっておきますが僕は沖縄独立論者ではなく、現在の体制を否定するつもりはありません。しかし、沖縄が超歴史的・必然的に「日本」固有の領土であったとする小林氏の主張には承服できません。明治になるまで琉球王国は「日本国」に帰属した事実は一度もありません。もともと同一民族だから、両文化に親近性があるからという理由で、実効支配される以前までさかのぼって領有権を主張できるのであれば、同じ論法でいけば台湾は中華人民共和国の領土ということになってしまいます(もちろん小林氏はそう言いません。ここに『台湾論』と『沖縄論』との矛盾があります)。琉球が「日本国」に編入されたのは国際社会のパワーゲーム、政治的な変動による結果、そうなったにすぎないのです。

現在の日本社会に沖縄がその構成員として参加していることに異論はありません(その点で米軍基地などの沖縄問題は沖縄だけの問題ではなく、日本国全体の問題としてとらえ解決すべきものではあると思います)。しかし、日本社会は太古から“国のカタチ”が確定していたのではなく、多様な経緯をふくみながら歴史的に形成された結果として今の姿があるわけで、薩摩の征服を「同民族の外圧による改革」だとか、明治の琉球処分をして「再日本化」とする小林氏の論は歴史を軽視した、しかもすでに破たんしている陳腐な議論と言わざるをえません。

では琉球・沖縄の歴史はどう評価すべきなのか。ちょうど小林氏が書いた『台湾論』にしっくりくる一節があったので、少しばかり改変して引用してみましょう。

日本、中国、アメリカ…沖縄にやって来たこれらの「外来者」たちは沖縄人に何を残しただろう?沖縄人の気質・住民性にどんな影響を及ぼしただろう?いくら外来者が支配しても…沖縄人はいた。沖縄人は育った。沖縄人になった。沖縄人とは何か?それは血筋を辿っても出てこない。自らの地域の歴史に目を開くことによってのみ明らかになるのである。(小林よしのり『台湾論』163ページ。原文「台湾人」の部分を「沖縄人」に改変)

最後に小林よしのり氏に一番言いたいこと。琉球・沖縄の歴史を語るのであれば、伊波普猷をはじめとした沖縄研究者たちが営々と築きあげてきた成果のおいしいとこだけ頂戴して利用するのではなく、もっと彼らに敬意を払ってほしい。少なくとも沖縄“論”を自負するのであれば、情報を正確に把握し理解することを何よりも大切にしてほしい。思想信条に関係なく、正確な情報をもとに考察するのが「論」です。それがなければただの「感想」にすぎなくなります。以上。

※追記:小林よしのり氏の反論に対する応答は【こちら】をご参照ください。

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コメント

琉球は大和と異なる歴史、文化、民族の独立国家であったのは事実。明治12年、琉球王国は武力で日本に併合された。
日本帝国は、かつて朝鮮、満州、台湾、太平洋の島々を併合していった。戦後、そのすべての国々が日本の支配から逃れることができた。しかしながら、琉球だけが、現在に至るまで併合され続けている。これは、歴史的な事実であり、どう理論を工夫したところで、事実は曲げられない。

投稿: てぃんがーら | 2006年4月27日 (木) 11:44

>てぃんがーらさん
たしかに琉球王国は明治の琉球処分で武力を背景に「併合」されたのは事実だと思います。

しかし1972年の「復帰」は、日本帝国にではなく民主主義国家日本に復帰したもので、それは沖縄の人々が自ら選択したのもまた事実です。その歴史的事実もまた忘れてはいけないように思います。

投稿: とらひこ | 2006年4月28日 (金) 19:07

管理人様へ


突然の投稿で、申し訳ございません。
首里城の「中山門」が1908年に、日本によって取り壊された(or競売にかけられた?)理由はご存知ですか?

投稿: コザ | 2006年5月 4日 (木) 13:50

>コザさん

撤去の理由は「老朽化」です。

当時、中山門は老朽化で倒壊寸前になっていたようで、危険な状態となった門をどうするかで問題になったようです。

何でも所有権がはっきりせず、警察署が調べたところ、首里区でも県の所有でもないということで対処のしようがなく、結局、国所有ということにしようという結論になり、内務省に問い合わせたところ、門を首里区所有にして撤去しろと返報。

門は競売にかけられ、首里寒川の宮里さんが52円で落札し、解体されたという経緯のようです。

あの当時は首里城の正殿すら老朽化で取り壊そうとしてた時代です。その危機を救ったのが本土の研究者鎌倉芳太郎でした。文化財が大切にされなかった時代だったわけですね。

投稿: とらひこ | 2006年5月 6日 (土) 17:25

管理人様へ

なるほど!古かったという単純な理由だったんですね。
何か意図があって、解体されたのかな~と思っていました。
回答ありがとうございました。
「ランキングボタン」をポチポチ押させていただいています。

投稿: コザ | 2006年5月 7日 (日) 23:34

とらひこさんは、こういう↓「沖縄論」については、どうお考えですか?

http://blog.livedoor.jp/asapykadan/archives/2006-05.html#20060506

投稿: MM | 2006年5月 8日 (月) 16:18

>コザさん

また何か疑問がありましたら遠慮なく聞いてください。

よろしければこれからも「ランキングボタン」をポチポチ押してくださいね。

投稿: とらひこ | 2006年5月 8日 (月) 18:05

>MMさん

紹介してくださったブログを読んでみました。

ネット上でよく見かける沖縄批判ですが、はっきり言ってお話にならない低レベルな認識だと思います。正直反論する気にもなりませんが、一例をあげておきましょう。

例えば【琉球王国時代の事例】について。

・「物呉ゆ者ど我が御主(利権を与えてくれる方こそが我らの主君だ)」といって利権政治家を国王の座に据え、今まで仕えてきた先君の一族を皆殺しにしたあの国。

→「物呉ゆ者ど我が御主…」を利権政治うんぬんとの批判は全く当たりません。この言葉の本来の意味は「民生を安定させてくれる者こそ統治者としてふさわしい」との意味。それに、琉球における王位継承の観念についてわかっていません。琉球は「万世一系」だったのではなく、琉球国王、すなわち「世の主」は血統を重視せず、家臣団の合意によって適任者に決定されていました。

政権交代において争いが起こるのはどこの世界でもみられることでは。この批判者は日本史における政権交代は全て無血で行われたとでもいうのでしょうか。全くの的はずれです。

・「地割制」という一種の公地公民制を敷き農奴的搾取を行ったあの国。
・宮古・八重山を侵略し、住民に人頭税という重税を課したあの国。

→「地割制」や人頭税が重税だったというのはウソ。琉球では地割のほか自らの開墾した私有地も認められ、売買も自由に行われていました。人頭税についても同じ税金を人数割りで納めろということで、人数が多ければそれだけ負担も少なくなる仕組み。ここからどうやって上のような批判がいえるのかわかりません。

近世末期の琉球が疲弊していたのは確かです。でもそれは王府の搾取のせいではなく、琉球での度重なる天災にくわえ、琉球経済が日本の市場と連動していたからです。当時の日本は天保の大飢饉や幕藩制のいきづまりで各藩は莫大な借金を抱えていました。薩摩藩も天文学的な負債をかかえ、そのしわ寄せが琉球にもきたのです。批判者は日本の歴史すらも知らないようです。それに王府は疲弊した農村を立ち直らせるために特任の役人を各地に派遣して農民のために尽力しています。

・大明(清)帝国マンセーと三跪九叩頭をし続けたあの国。

→よく見る批判ですが、冊封=属国という批判は的はずれです。中国は朝貢国に対し実効支配することはありません。あくまでも形式的なものに近い。むしろ琉球は中国に朝貢することで実利を得ることが第一の目的でした。それは足利義満の勘合貿易と同様です。日本史ではあれを「貿易」としていますが、実際は「朝貢」で、すなわち「属国」化です。足利義満も中国に向けて「臣」と称し、皇帝の書に対して三跪九叩頭しています。批判者はこの事実には背を向けているのでしょうか。やはり日本の歴史に対して無知といわざるをえません。

これらの批判に総じて言えるのは、「歴史に対する無知」です。それに現在の沖縄を批判したいがために、歴史を材料に持ってきています。しかもそれは捻じ曲げられた解釈です。歴史そのものを理解しようという真摯な姿勢ではありません。

僕は今の沖縄に全く問題がないとは思っていません。しかし、このような批判は全くの見当ちがいです。歴史を都合よく利用するな、といいたい。

批判の根拠としてあげている恵隆之介氏の著作は読みましたが、はっきりいってトンデモ本です。沖縄研究者からは相手にされていません。まあこれをとりあげる人もそれ相応ということでしょうが、こういう批判をみると悲しくもなります。

このような無知な批判に対しては、地道に沖縄の歴史を紹介することが僕のできる唯一のことだと思います。

投稿: とらひこ | 2006年5月 8日 (月) 18:19

コメントありがとうございます。

投稿: MM | 2006年5月 9日 (火) 12:42

朝日歌壇鑑賞会のコメント欄にここのblogを貼り付けたのは自分です。
あちらのblogに貼り付けたのは、御迷惑でしたか?
ハンドルネームが「MM」と「うちなわ」と違うのは、色々なblogに書き込む度に適当なハンドルネームを使うためで他意はありません。

自分は沖縄についてほとんど何も知らない本土在住の生粋の日本人です。朝日歌壇鑑賞会blog主とは何の関係もありません。両方のblogをたまたま愛読していただけです。
しかし、朝日歌壇鑑賞会のエントリには、ほぼ納得できました。

自分は朝日歌壇鑑賞会blog主の言っていることが正しいかどうか、沖縄関連blogの中では最も見識が高いとお見受けする「とらひこ」さんの意見を聞きたいと思っただけです。そして、「とらひこ」さんの反論に対する朝日歌壇鑑賞会blog主の反論を聞きたかったのです。

「とらひこ」さんの【琉球王国時代の事例】に対するコメントを見ても、自分には説得力のない単なる言い訳としか感じられませんでした。自分のような沖縄に対する「お話にならない低レベルな」知識しかない人間をも納得させるような具体的な反論をして頂きたいのです。

>ネット上でよく見かける「批判」ですが、はっきり言ってお話にならない低レベルな認識だと思います。正直反論する気にもなりません

これは「プロ市民」が「ネット右翼」に言い返す常套句ですね。
「一例をあげておきましょう」ではなく、朝日歌壇鑑賞会blog主のエントリの全てに反論して頂きたいのです。
自分や朝日歌壇鑑賞会blogを含む「沖縄人のメンタリティは朝鮮人と同じ」と考えるヤマトンチューをも納得させ得る反論がなされれば、それこそ「沖縄社会、ひいては日本をより良くする」ことができるのではないでしょうか。

長々と書き込んですみません。御迷惑なら二度とコメントはしません。

投稿: MM=うちなわ | 2006年5月10日 (水) 23:38

>MMさん

僕のブログを別の場所で紹介するのはかまいません。

僕の反論が言い訳にしか感じられないとのことですが、とても残念です。しかし、あちらのブログの言い分が正しいと感じられたのでしたら、それはMMさんのご判断ですので、かまわないと思います。

なるべく具体的にわかりやすく誠実に書いたつもりだったのですが、ご理解いただけないようでは、僕にはこれ以上説明する術がありません。

あのブログに反論する気にもならなかったのですが、納得いただけるようにあえて事例をあげました。それを僕に対して逐一全てに反論せよとのご要望ですが、いくら何でも酷な注文だと思います。僕は建設的ではない、不毛な議論はしたくないのです。どうかご容赦ください。

コメントでも書きましたが、僕は現在の沖縄に問題がないとは言っていません。

僕があのブログに対して言いたいのは、「現在の沖縄を批判するのに、都合よく解釈した間違った歴史を持ってきて批判するな」という一点です。あのブログのあげた沖縄の歴史が完全な間違いであることは、先のコメントで述べました。

都合のいい一部分だけ切り取って(しかも誤まった認識で)批判するのは、僕には方向性が違うだけで、彼らが批判するところの「プロ市民」と本質は同じにしか見えません。

恵何がしの本だけではなく、もっとたくさんの沖縄を知るための本がありますので、どうかご自分で読んで、様々な視点から判断されてください。

投稿: とらひこ | 2006年5月11日 (木) 00:30

とらひこ 殿

 貴殿の反論を読みました。
 歴史的事実につき、いくつかの点では(地割制とか)確かに当方に認識不足があったようです。ですが、私を「日本の歴史に対して無知」「沖縄の歴史が完全な間違い」と言うほどの反論でもありませんね。

>この批判者は日本史における政権交代は全て無血で行われたとでもいうのでしょうか。

 私はそんなことは一言も言ってませんが?
 
>琉球での度重なる天災にくわえ、

 当時の日本でも度重なる天災はありましたよ。飢饉も何度もありました。どこの国でもそのくらいはあるでしょう。私が問うているのは、そういう時に為政者がどのように対処したか、また天災の被害を最小限に食い止めるために普段から為政者が何をしていたかです。その事例として持ち出したのが上杉鷹山なのですが。それに匹敵する為政者が琉球にいたんですか?
 沖縄史に詳しい貴殿にぜひお伺いしたいです。沖縄には偉大な為政者っていたのですか? 沖縄の歴史のHPを見たり沖縄の博物館で歴史の展示など見ても「為政者の顔」が全然見えません。日本史なら「こういう偉人がいてこういう偉大なことをやった」という話が豊富にあるのですが、歴代琉球国王の肖像画はずらずら並んでいても、その王様がどんな考えを持ち何をしたのか、どこもちっとも触れてないのです。

>王府は疲弊した農村を立ち直らせるために特任の役人を各地に派遣して農民のために尽力しています。

 こういうことは日本全国どこの藩でもしていたことです。そうしないと徴税すらできませんから。こんなことくらいで「王府が無能だった」ということの反論にはなりません。第一そうやって「農民のために尽力」した結果が、私が挙げた明治14年の琉球農民の惨状だったわけでしょう。

>琉球経済が日本の市場と連動していたからです。

 そもそも琉球って、薩摩の侵攻以前から交易で栄えていたことを誇っている国でしょうが。交易しているということはどこかの市場と連動しているということです。それに責任をなすりつけてはいけませんでしょう。自らのアイデンティティを否定することになってしまいますよ。


>冊封=属国という批判は的はずれです。中国は朝貢国に対し実効支配することはありません。

 と

>足利義満の勘合貿易と同様です。日本史ではあれを「貿易」としていますが、実際は「朝貢」で、すなわち「属国」化です。

 の2つの文は矛盾してますけど。あなたは朝貢=属国だと思ってるの?違うの? どっち?

>足利義満も中国に向けて「臣」と称し、皇帝の書に対して三跪九叩頭しています。
>批判者はこの事実には背を向けているのでしょうか。
>やはり日本の歴史に対して無知といわざるをえません。

 足利義満のことは知ってますよ。私が(不必要だから)書かなかったことを勝手に「知らない」と決め付けて「無知だ」と鬼の首を取ったように喜んでおられますが、こういうのを沖縄の言葉では何と言うのか知りませんが、本土の言葉では「一人芝居」と言います。
 日本は古代に朝貢していましたが、中世以降近代に至るまではしていませんでした。義満の時代だけが例外です。義満が朝貢したことは、「中国様に朝貢なんぞしやがって」と日本史の中では苦々しく評価されています。しかしこれは、中世以降の長い歴史の中であくまでも一時的なことです。戦国時代以降、江戸時代もずっとしていません。
 しかし琉球国王は19世紀後半まで、例外でなくずっと朝貢していたでしょうが。それに対する反論として義満を持ってくるのでは、あまりにもパンチ力が弱いといわざるを得ません。
 あなた方は琉球を中国の属国だったと思いたくないようですが(そこんとこが朝鮮人と似てますね)、中国は沖縄を元・属国だと思ってますよ。日本が室町幕府より後は朝貢してないのに、琉球はつい最近までしていたのだから。だから中国は沖縄を潜在的な中国領だと思っています。2000年のサミットがなぜ沖縄で行われたかご存じですか? 中国に対し「馬鹿げた領土要求はやめろ、沖縄は日本領だと国際的にも認められているぞ」ということを示すためです。だから中国首脳は招待されても沖縄サミットには来なかったのです(行けば沖縄が日本領だと認めてしまうことになる)。

>これらの批判に総じて言えるのは、「歴史に対する無知」です。
>歴史そのものを理解しようという真摯な姿勢ではありません。

 という割には、あなたもちっとも歴史をわかっていないようですねえ。「都合のいい一部分だけ切り取って(しかも誤まった認識で)」いるのは自分だと言うことに気づいてないのでしょうか。

 私が自分のブログの記事で言いたかったことは、「自分達の不幸はすべて他人のせいにし、人から善くしてもらったことは「してもらって当たり前」という傲慢な態度を取り続けることは良くない、そんなのは朝鮮人と同じだ。自分らの非は非として認めなさい、他人から善くしてもらったら評価くらいはしなさい」ということです。沖縄の公共施設で数々の展示を見ていて強く感じたことです。このような態度が蔓延する中で育つ沖縄人はよい人間にはならないでしょう。
 これに関しては保守もサヨクも同じですね。そりゃそうです、「沖縄が不幸なのは日本のせいだ! 米軍基地のせいだ!」と叫び続けていれば本土の政府はコロッと騙されてお金くれるんだから。誰がまともに地道な産業振興だの人材育成だのしようと思うでしょうが。

投稿: 朝日歌壇鑑賞会 | 2006年5月11日 (木) 20:38

>朝日歌壇鑑賞会さん

反論、拝読しました。まずはひとつずつ、貴兄の意見にコメントします。

・政権交代における無血うんぬんは、もちろん貴兄は言っていません。あえて僕が出したのは、「どこの歴史においても、政権交代において全て無血だったことはありえない。琉球における王位交代で血が流れたことが沖縄のダメさを批判する理由にはならない」ということが言いたかったわけです。あれは利権政治を示すものでもないし、血が流れたことでなぜ沖縄のダメさとして批判されるのか不思議だったからです。

・国の危機に際してそれを救おうと努力した為政者について、琉球において上杉鷹山に匹敵するのは羽地朝秀、蔡温などがあげられます。この二人は、彼ら無くしては琉球の歴史を語れないほどの超有名人です。江戸時代、琉球が内部から崩壊する危機に際して、彼らは琉球王国を存続させるための大改革を行いました。僕は決して上杉鷹山に劣らない偉人だと考えています。為政者の顔が見えないのは、単に貴兄が見ていないだけだからだと思います。もともと彼らのコラムを書く予定でしたが、よい機会ですので次回に書きたいと思います。

・特任の役人うんぬんと書いたのは、貴兄が近世末期の農民は王府の搾取によって疲弊したと書いたから、そうではないことを示すために一例としてあげました。

おそらく恵氏の著作からの引用なのでしょうが、「近世琉球の疲弊の原因が無能な王府による農民の搾取にあった」とする説は完全な誤まりです。先に書いたように、琉球は薩摩藩の財政破綻の余波をもろに受けたのです。天災を受けた農村を復興しようにも、もはやにっちもさっちもいかなくなっていました。

それに経済と連動していたというのは、中世の琉球のような自由経済と、薩摩支配下の近世末期とは状況が全然ちがいます。単なる交易ではないです。

薩摩藩は財政破綻の状況を打開するために、奄美や琉球に対して過酷な徴税を実施します。(だからといって薩摩を責めるつもりはないです。当時の日本社会の危機的状況が連動して琉球にも及んだだけで、誰のせいというわけではない)それに琉球は農業を基本とする日本の社会システムを導入するのにはもともと無理がありました(当ブログ「琉球の百姓はなぜ働かない?」参照)。

責任を押し付けるつもりではなく、これを沖縄人の無能さをアピールするためにあげるのは、さすがに無慈悲ではないのかと言いたかったわけです。


・足利義満の朝貢については、ご存じだったようで、それに関しては失礼しました。矛盾してるとの指摘ですが、言葉足らずでした。
>日本史はあれを「貿易」としていますが、実際には「朝貢」で、あなたの論法でいけば、すなわち「属国」化です。

僕があえて義満をあげた意図はこうです。
貴兄は中世の日本の朝貢について属国化ではないとの意見でしょうが、同じように琉球の朝貢も属国化ではないことをわかってもらうためです。義満(彼以降にも何代も朝貢してますが)と琉球の朝貢は同じ性格のものです。

そもそも朝貢は貴兄のイメージする「属国」化ではないです。琉球は南西諸島を領域として国王が絶対の権力を握っていた前近代国家です。琉球王国は中国から一切の内政干渉を受けた事実はない。それは朝貢していた時代の日本だって同じではないでしょうか。僕は属国化を認めたくないとかそういう感情レベルで言っているのではない。歴史研究界で琉球はそのような評価をされているから言うのです。

よって中国が沖縄を属国と思うのも見当違いだと思います。沖縄の帰属問題は実質上決着済みです。それに県民の大多数(9割)も日本帰属を支持しています。

近代について批判していないのは、単に一例を示すのに上から順番にあげたからという単純な理由です。

全部はあげませんが、一例をあげます。「明治政府の近代化政策に反対し、結果として沖縄の近代化を遅らせたDQNのいるあの県。」という批判ですが、琉球が反対したことによって近代化が遅れた事実はありません。琉球の近代化を遅らせたのは明治政府の政策です(旧慣温存策といいます)。

上杉県令が近世末から続く沖縄の窮状を救おうとしたのは事実です。しかしその改革の動きは明治政府によって潰され、彼はすぐさま更迭されました。近代化を遅らせた政府に対し異議を申し立てたのは沖縄の人々でした。

僕は明治に沖縄が日本になったことについて全て悪く言うつもりはありません。しかし逆に暗黒史観が裏返しになったような、全て良かったといわんばかりの論調には違和感をおぼえます。沖縄の近代化は日本帰属のなかで、悲喜こもごもの中で進行した。僕はそう思います。

これらの歴史事実は沖縄の歴史入門書を読めばすぐわかることです。貴兄のブログであげた沖縄の歴史についての批判は、2ちゃんのコピペや恵氏の著作を読んだだけで書かれたものではないでしょうか。

僕は沖縄の歴史の著作を10年近く読んできて、感情や思い込みを厳しく戒めて知識を得てきたつもりです。それからすると、貴兄のあげた歴史事実はどうも納得できる内容ではないと感じたのです。

沖縄の歴史のプロたちからは、2ちゃんのコピペも恵氏の著作も全く評価されていません。これだけは指摘しておきます。

ここでは貴兄があげた個々の歴史事実に関するコメントにとどめたいと思います。それと、この論争はこれまでにしてください。お願いします。

投稿: とらひこ | 2006年5月12日 (金) 00:14

>現在に至るまで併合され続けている

本土返還運動というものがあったと記憶していますが.
気のせいかな?

投稿: 通りすがり | 2006年5月12日 (金) 12:18

>通りすがりさん

たしかに日本復帰運動というのはありました。

投稿: とらひこ | 2006年5月14日 (日) 12:05

沖縄といえば、故・桃原邑子さんの歌集「沖縄」があります。
それを知っているだけに、朝日歌壇鑑賞会には激怒しました。


朝日歌壇鑑賞会は、歌人は誰も相手にしていません。
短歌や短歌研究に発表するような歌人には、左もいますが、天皇制を認め歌会始選者を務めるような人もいます。
というか極端な左はまずいません。

ある国が征服されると、かならず新しい支配者におもねる人がでてきます。それは、たんにへらへらとすりよっていくだけでなく、部分的には正しい歴史をパッチワークしたりします。
恵なんとかはその典型でしょう。


投稿: 新川藤実 | 2006年5月14日 (日) 14:13

>新川藤実さん

あのブログは、どうも純粋に歌を鑑賞するという目的ではないようです。

「右」か「左」かという立場の違いは一番重要なことではないと思います。そもそも“左右”という区分が現在において果たして意味をなしているかという問題もあります。

大事なのは、バランスよく物事を見ることができるかどうかではないでしょうか。僕はその点からみて疑問だったわけです。

投稿: とらひこ | 2006年5月16日 (火) 19:11

>そもそも朝貢は貴兄のイメージする「属国」化ではないです。琉球は南西諸島を領域として国王が絶対の権力を握っていた前近代国家です。琉球王国は中国から一切の内政干渉を受けた事実はない。それは朝貢していた時代の日本だって同じではないでしょうか。僕は属国化を認めたくないとかそういう感情レベルで言っているのではない。歴史研究界で琉球はそのような評価をされているから言うのです。

>よって中国が沖縄を属国と思うのも見当違いだと思います。

中国にとっては間違いなく朝貢=属国化です。
どこまで内政干渉を行っていたかは差異があるでしょう。(それを考慮してなお朝鮮と同じというのは無理がありますし、今の日本が中国から内政干渉を受けているとも言えます)
日本にとっても中国との貿易はメリットがない筈は無い。それでも鎖国してでも、朝貢を避けた意図は正当に評価されるべきと思います。
歴史的に見て中国が見当違いであったとしても、中国からそう見られること自体を避けなければいけない理由があったし、それは今でもそうなんです。

投稿: 横槍ですが。 | 2006年7月 4日 (火) 16:10

>横槍ですが。さん

おっしゃるように、「朝貢」は中国側から見ればそうだと思います。僕は朝貢は「属国」のニュアンスを全く持っていないと言いたかったわけではありません。

ちなみに江戸時代の日本は天皇・将軍を頂点として、「武威」を背景に朝鮮・琉球・オランダ・アイヌで構成される「日本型華夷秩序」を(半ば観念的に)作りあげていました。その実態は「鎖国」ではなく、4つの対外窓口を持つ「選択的開国」をしていたとされています。後世、「鎖国」と認識される渡航制限令の直接的かつ大きな要因は、中国というよりも、キリシタンの脅威であったと記憶しています。

また先の朝日歌壇鑑賞会氏へのコメントで問題にしていたのは、
(1)朝貢=「属国化」と言った場合に具体的にどのレベルを指しているのか。朝貢の歴史的実態をきちんと把握した上で議論しているのか。
(2)前近代の歴史問題そのものが近代国民国家の領有権の根拠たりえるのか。ということです。

一般に現代の対アジア関係が議論される場合、よく「朝貢」などの歴史問題が引き合いに出されますが、僕は前近代の問題はひとまず峻別して、現代の問題は現代の問題として議論すべきだと考えています(それは日中どちらにも言えることだと思います)。

投稿: とらひこ | 2006年7月 4日 (火) 21:53

回答ありがとうございます。

まず、鎖国ですが、そもそもこの時代は中国が日本に対して閉じてたのでしたね。ご指摘ありがとうございます。いや恥ずかしっす。

さて、両者の立ち位置は、現代の問題の指摘のために歴史を持ち出すか、歴史そのものに限定して(特にここでは)話しているのかだったんですね。(歴史そのものを語る場合には、そもそも冊封国と属国は用語として別けて使われるべきでした)

朝日歌壇鑑賞会氏は前者ですから、ある程度は仕方ない部分もあるかと思いますが、あまりに恣意的に歴史を持ち出しすぎですね。
私としても、氏の意見の根底には賛同する部分はありますが、あのエントリー自体は批判されてしかるべしと思います。

ただ、心配性ゆえ一言いわせてください。

>僕は前近代の問題はひとまず峻別して、現代の問題は現代の問題として議論すべきだと考えています

これは逆だと思います。
歴史の問題は、ひとまず現代の問題から切り離して議論するべきでしょう。
しかし、その逆は真ならず。
確かに国際法上の領有権の論拠としては、前近代の歴史は無意味です。
が、現代でも、国と国との争いは国際法では片付きません。ルールぎりぎりの駆け引きや、時にルール無視の力の論理の世界です。
その意味で、現代を読み解くのに歴史を考慮することが重要ですし、特に歴史の大局を見ることが大切と思います。
(もちろん、私の心配など十分承知の上のことと推察します。コメント一つとってもそれが読み取れますし)

投稿: やっぱり余計な横槍でしたね。 | 2006年7月 5日 (水) 02:53

>横槍ですが。さん

いえいえ、現代と歴史についての問題を改めて考えさせられました。ご指摘ありがとうございました。

>現代を読み解くのに歴史を考慮することが重要ですし、特に歴史の大局を見ることが大切と思います。

これには全く同意です。前近代と現代の問題はただちに直結させることはできないと思いますが、とくに日本外交には歴史の大局に立って戦略的行動をとることが求められているのかもしれません。

投稿: とらひこ | 2006年7月 5日 (水) 23:44

ここで言われていることを例えると
モデルの誘いを受けた人が後に写真集の中の数枚の写真写りが気に食わずカメラマンを批判しているだけに思えるな。
全体としての写真集やカメラマン自身には全然関心を示さずにね。

それに地縁や血縁ばかりに関心を向けていると自分たちの利益しか目にはいらなくなり利己主義になってしまうよ。

「君は魂の本質を、世界全体の本質を知らずに、十分に知りうると信じているのか。」

投稿: プラトン2世 | 2007年7月10日 (火) 23:55

>プラトン2世さん
僕はカメラマンが気に入らないのではなく、「沖縄」という被写体について、そもそも撮り方の基本がなっていないことを指摘したつもりですが。それではいい写真は撮れないよ、と。カメラマンの写真集はよく見ていましたし、なかにはいいものもあったと思うんですがね。

いろいろな立場はあっていいと思いますが、大事なことは自らの立場に無自覚でいないことだと思います。僕は沖縄の歴史をお国自慢的にならないよう常に意識してますし、地縁・血縁ばかりに関心があるわけではありませんので、ご批判はそれこそ「カメラマン」自身をよく理解してからがいいと思います。

ニーチェの言葉で沖縄学の父・伊波普猷が愛した言葉をあげましょう。
「汝の立つ所を深く掘れ。そこには泉あり」

投稿: とらひこ | 2007年7月11日 (水) 00:31

はじめまして。
↓で小林よしのりさんが、生でゴーマニズム宣言してますよ。
http://www.shogakukan.co.jp/heiseijohi/

投稿: とおりすがり | 2007年7月16日 (月) 19:15

>とおりすがり さん
情報提供、どうもありがとうございました。

投稿: とらひこ | 2007年7月17日 (火) 00:38

とらひこさま

エントリーとはあまり関係のない書き込みになってしまうかもしれませんが、あなたは冷静に沖縄のことを見ているように感じましたので、ぜひお話を伺いたく書き込みました。

実際のところ沖縄ってどうなんでしょう?

抽象的な質問ですみません。

現在の日本は戦後諸々の要因が相まって正しい歴史を認識することが難しくなっていますし、沖縄、広島、長崎といった戦争被害地のことも正しく認識するのが難しいと感じています。

沖縄に関する書籍もあるといわれますが、右派左派のバイアスがかかっていて、一体何が真実なのかわからないし、そもそもバイアスがかかっているのかどうかすら専門家でない素人が見極めるのは困難だと思います。

いわゆる左派は
・戦争被害者沖縄
・聖なる被害者沖縄
を主張し

いわゆる右派は
・反日沖縄
・左翼沖縄
を主張しています(右派は最近から?)

そういったイデオロギーに左右されない事実を知りたいと思うのですが、実際、沖縄県人の現状認識・歴史認識ってどんなものなのでしょうか?
本当に本土が憎くてたまらないのか、いろいろあるけどまあうまくやっていこうなのか、表面上はいい顔していても腹の中では正反対なのか・・・。
まあ、そんな簡単な感情ではないのかもしれませんが・・・。


最近保守派から沖縄集団自決に端を発して、沖縄は反日だ、けしからんという声が聞こえ始めています。
これがもっとエスカレートすると、本当に沖縄と本土の間に取り返しのつかない亀裂が入ってしまうのではないかと心配しています。
かといって左派は別にそれをとりなすわけでもなく、哀れな沖縄を演出するのに一生懸命で・・・。

沖縄が本気で独立を目指すのならそれは一つの手だと思いますが、現状ではただの見切り発車になってしまい、結局漁夫の利を中国やアメリカがおいしくいただきます、という結果になりかねないと思います。

色々わだかまりや誤解はあるとは思いますが、同じ国としてこれからも生きていくのが双方にとって最善だと思います。
どうすれば上手いことやっていけるとお考えでしょうか。

エントリと関係のない話題を書き込んですみません。
もしお手すきでしたらお答えいただけると幸いです。

投稿: オレンジ | 2008年7月17日 (木) 22:17

>オレンジさん

今の沖縄はマスコミで伝えられているほど反日一色というわけでもありませんし、それほど懸念する必要はないように思います。意外と冷静に対応している人たちもやはり多く存在します。例えばアンケートでは日本に復帰(つまり帰属)してよかったと答える人が9割以上です。現在の県政は県民の支持のもと、日米安保を容認する保守派が政権をにぎっています。

ただし同時に基地問題は決して軽くない負担であるのもまた事実で、保革問わず不満があることも否定できません。そのような本土への不満の受け皿として、左陣営、革新派がその役割を担っているといえるでしょう。とくに最近では問題が一向に解決しない閉塞感から、再び革新派が勢いを盛り返してきています(ただし後期高齢者医療制度など本土の政治問題も大きく左右していますが)。

独立論は言論界ではしばしば主張される場合がありますが、現実の政治的な力は全くありません。現在のところ、観念上のみの存在です。今の大部分の沖縄の人たちは「日本国民であるとともに、沖縄人でもある」という意識が大勢を占めているように思います。

投稿: とらひこ | 2008年7月20日 (日) 17:52

僕も台湾論と沖縄論を続けて読んで変な違和感を感じてました。
なるほどです。
しかし、すごい考察力と知識ですね。
( ゚Д゚ノノ"☆パチパチパチパチ

投稿:   | 2008年8月 9日 (土) 19:39

コメントどうもです。

それにしても小林氏はこの矛盾についてどう考えてるんでしょうね。

投稿: とらひこ | 2008年8月11日 (月) 23:39

小林よしのり氏のゴーマニズムは楽しんで読んでいたんですが、彼はどうやら戦争となると視野を広くみることができなくなるようですね。凝り固まった感情をぶつけられても
読者はドン引きです。
たった一人の証言をそこまでも信じてマンガを書くという姿勢はやっつけ仕事のようで 真実味に欠けます。
所詮漫画家、全体を見るほど時間もないんでしょう。
全てはお金の為なんでしょう。

投稿: 通りすがり | 2008年8月18日 (月) 09:38

>通りすがりさん
僕は小林氏がお金のために言論活動しているとは思いませんし、漫画家であるという理由が彼の論の「質」を左右しているとも思いません。

僕が大事にしているのは論そのものに説得力があるかどうか、ただそれだけです。

投稿: とらひこ | 2008年8月20日 (水) 12:57

まあ、沖縄が独立しても全然かまわないのだけど、

一番の心配は、おそらく、中国の脅威にさらされるだろうし、
何より、過去にアメリカに保護国(?)扱いされたときに
ろくな活動できなかったのが痛いな。

日本時代が一番マシだったのかもな。
結局はどこぞやの属国だったろうし。

血縁に関しては、四国の民の俺から言わせてもらうと、行った感想としては
むしろ"日本"とやらの内部の方が差が大きいと思った。

投稿: | 2008年8月20日 (水) 21:55

 まぁ、かまわないのならほっといてもらえませんか?沖縄に興味があっての書き込みならこちらも真摯に受け止めるのにやぶさかではないのですが。

投稿: くに | 2008年8月21日 (木) 04:39

独立その他に関しての僕の考えは上のコメントで書いてあるので繰り返しませんが、沖縄をめぐるネット上の議論はそれほどリアリティがないというか、あくまでも「流行」という感じがして、僕はあまり興味がありません。

この種の議論はかつて学生運動世代が沖縄返還をテーマに繰り広げた政治的流行の議論と同種だと思います。

ただご指摘のように、沖縄の人々が「ヤマト(日本)」と観念するものの内部はより複雑・多様であって、沖縄の人はその実態をきちんと捉える必要があるように思います。

投稿: とらひこ | 2008年8月21日 (木) 08:54

>くにさん
そりゃ興味なければ書き込みませんよ。(それにしても二度目の書き込みとは思わなかった・・・)
しかし、あなたのいう興味とやらが「独立援助」などの作業なら、もっと熱心な人とやってください。
なんでしたっけ、沖縄の政党でもそうゆうことを主張している方々があるでしょう。

まあ、私はがんばれとしか言えませんが。
……やはり本島か否かで"沖縄人"と思ってるかはえらく違う気はするんですがねえ…。

別にヤマトで全然かまわないですが、
いろんなのいますよ?日本は。
そもそもにして弥生系がやってきたのは
高々紀元前10世紀の北九州と、紀元前6世紀の他所進出くらいですもん。
というか、"縄文系"とか言ってもDNAの見てたら割と多様的だと思う。
(飛騨とか奈良のあたりとか、縄文系多いところは今でも相当な割合占めてたはずですよ、データはどっかでみたのだが分からんスマソ)
俺だって目が細いのとは違うしさ。

しかし、革命や独立直後は争いや内紛が絶えないと聞くから気を付けろよとだけ何となく言っておく。

>内容へ
まあ、その通りで、
小林さんは現状に合わせて発言しようとしてる気がするよ。

個人的には沖縄が独立しようが構わんけどね。
あとは知らんけど。……飢えても誇りを頼りに生きるというのも、また一つだし、
別にそれで良い。

勝手にすれば良いと思う。地方の時代だし、
独自性高めても文句は出まい。

米軍基地の問題だけは気の毒でならない。
かといって、中国がこれじゃ、米軍追い出して、
その場所を自衛隊が使った方が良いと思う。

せっかくだから半分あたり住民に返還、または、住民から購入というので良いだろう。
もともと米軍基地の予算とて日本政府・・・つまり我々の税金から出てるので、当然だと思う。

投稿: | 2008年8月28日 (木) 00:38

僕の見解は上の記事やコメントを参照してください。

沖縄の政治的状況をめぐる議論はいろいろあると思いますが、僕は観念的に独立や中国脅威うんぬんを論ずるネット上の議論より、もっと現実的で差し迫った目の前の問題がたくさんあるので、それを重視したいと思っています。先にも書きましたが、ネット上の「お決まり」の議論に僕はさほど興味がありません。

投稿: とらひこ | 2008年9月 1日 (月) 22:28

明の冊封の認識に関しては、異議ありですね。
無断で明に朝貢した護良親王や足利義満は、時の天皇では有りません。故に正当に皇を名乗る、南朝や北朝の天皇が明に冊封された事にはなりません。これは後の日本にとって政治的に大変重要な点です。清代になっても、属国として朝貢し続け、元号ですら中華式をとっていた琉球と日本とでは、地政的、政治的にも意味合いが異なると思います。中華にとって冊封とは日本人が思うほど軽い物ではありません。

投稿: 一言 | 2008年12月11日 (木) 19:10

>一言さん
おっしゃっているのはあくまでも日本側の認識であって、その行為を日本側がどう捉えようが(冊封は天皇に対してでではないとか、護良親王は正統ではないとか)、中国側にとっては、日本に対しても琉球に対しても同じ「冊封」であったことは、まず大前提として忘れてはいけないと思います。室町時代の遣明使節は明らかに「朝貢」であり、それは室町将軍と中国皇帝が結んだ「冊封」関係により成立していたのです。

ただ、当時の(前近代東アジアの)国際関係は現代のそれとはちがい、お互いが全く違った世界観・論理を持っていて、双方の認識が食い違っていてもそれで成り立つような世界でした。例えば江戸時代の朝鮮通信使について、日本側は朝貢のニュアンスでとらえていたのに対し、朝鮮側では全くそうした意識がなかったにも関わらず、普通に成り立っていたのが好例です。

中世日本・琉球の朝貢体制下での対応の違いは、日琉両国それぞれが中国の論理をどの程度受容したかどうかという選択の違いであって、それは日琉双方の主体的な動きです。日本だけは独立自存の立派な国、琉球は中国に従属した国という単純な区分で理解するのは妥当ではない、と先のコメントで言いたかったのです。

最近の研究では、このような中世の国際関係のありかたを「我がものとしての利用」という概念で捉えています。

投稿: とらひこ | 2008年12月11日 (木) 20:38

<あくまでも日本側の認識であって>護良親王への冊封、義満への冊封にしても、明側は日本の事情は良く分っていたと思います。護良が最初は断りを入れた事実からも、相手が正当性を有する天皇で無いとも知っていたはずです。冊封への正当性の無い護良の立場を利用した上で、義満も天皇の臣下であると知っていたからこそ、なかなか義満にGOサインを出さなかったのです。明は面子から、形式的でも、虚偽であろうとも、なんとしても皇を名乗り続ける目障りな天皇を従属させたかった(しかし遂に出来ませんでしたね)そのケースと、明治に至るまで琉球の首長が率先して王に封じられて来たケースと、意味合いは全く異なると言う事です。日本が立派な国だとまでは言うつもりは有りませんが、天皇と日本が独立自存した歴史は事実ですね。日本にすら従属し、付庸国にまでなった琉球とは全く違うと思います。あなたがおっしゃるように、確かに単純な区分のみで日流の冊封の件を理解するのは妥当では有りません。一緒くたにするのは、いささか暴論だと思います。あなたの論理も中世の中国サイドの論理を一方的に主張してるだけでは有りませんか?

投稿: 一言 | 2008年12月11日 (木) 22:09

>一言さん
もう一度僕の書いたコメントを丁寧に読んでいただけますか?

僕は中国側の主張を一方的に主張しているわけではありませんよ。双方の認識の違いが存在することを前提にして歴史の実態をみていかなくてはいけないと言っているのです。

投稿: とらひこ | 2008年12月11日 (木) 22:21

私は冊封、朝貢とは意味合いを含め中国側サイドの論理だと思います。正当な権限を有する天皇が朝貢をした事実がない以上、中国側の一方的な主張と言って良いでしょう。日本の当時の無権限者は貿易の為に、形式的に従っただけですね。私が言いたいのは、後の継続性を考慮しても、冊封の件で琉球と日本のケースを一緒くたにする事は問題があると言っているのです。琉球王と日本の無権限者が明と結んだ冊封とは実態が異なると言う事です。

投稿: 一言 | 2008年12月11日 (木) 23:02

・・・やはり僕の言いたいことを理解されてないようですね。僕は別にあなたの言う「日本側の論理」について否定してるわけではありませんよ。

先の僕のコメントをもっと噛み砕いて言いますと、「中国側の論理」を日本は「我がものとして利用」し、琉球もまた日本と同じように「我がものとして利用」したと言っているのです。ただし日琉両国はその利用の度合が「違った」わけで、それがあなたのいう実態の違いとして現れてくるということです。

投稿: とらひこ | 2008年12月11日 (木) 23:14

<琉球王と日本の無権限者が明と結んだ冊封とは実態が全く異なると言う事>これを理解されていただければそれで結構です。私は最初から日本サイドの論理、正当性から中国側の論理は否定してます。無権限者の一時的行為に政治的な効力は無いと言う事です。
単純に度合いの違いとおっしゃいますが、琉球のその後の継続的な冊封、朝貢の意味は現代にも生きてます。中国とはそういう国です。
乱文の限りを尽くしてしまい、大変失礼しました。
何卒ご容赦ください。

投稿: 一言 | 2008年12月11日 (木) 23:52

>琉球のその後の継続的な冊封、朝貢の意味は現代にも生きてます。中国とはそういう国です。

あなたがどれだけ中国や沖縄について詳しいかは存じ上げませんが、僕の知るかぎり「現実の沖縄」では(ネット上で流布する観念的な言説は別として)そんなことは全くありませんが・・・

少なくとも僕は現代の問題と前近代の問題とはひとまず切り離して考えるべきであり、何かしらの現代批判に利用することは慎重であるべきだと思っています。この意見はこれまでこの記事上のコメントで繰り返し書いた通りです。

投稿: とらひこ | 2008年12月12日 (金) 00:04

管理人様に質問です。
私も大学では歴史を学んだ者です(卒論は西洋史でしたが)。
伊波普猷を読むと、「おもろさうし」に「京鎌倉」という言葉が何度か登場し、これをもとに、伊波氏は鎌倉期にも活発に内地との交流があった根拠としているように思えますが、伊波以降の歴史研究ではこれをどのように扱っているかお教え頂けないでしょうか。
また同様に、浦添ようどれの地において、鎌倉期に内地で焼かれた瓦がたくさん出土する趣旨のことも書かれていたように思えますが、いかがでしょうか。
後者については、先日、浦添城跡にある資料館に行って参りましたが、そのようなことはどこにも記載されていなかったので、???と思って質問させていただきました。
大変唐突な質問で恐縮ですが、お教え頂ければ幸いです。

投稿: kk | 2008年12月28日 (日) 15:12

>kkさん

ご質問についてですが、『おもろさうし』の編集年は16、17世紀以降であり、登場する「京・鎌倉」は鎌倉時代当時のことを記していると確定できないと考えられます。ちなみに室町時代においても鎌倉は足利一族(鎌倉公方)の鎌倉府として東国の重要拠点であったことから、必ずしもオモロに登場する「鎌倉」を鎌倉時代に限定する必要もないように思います。

鎌倉時代頃の日琉関係については、最近の研究では特に考古学の成果があがっています。それらによると、沖縄島の北にある奄美諸島の奄美大島北部と喜界島が南西諸島における中心地となっていて、日本本土(とくに博多・大宰府)と交流していたようです。

文献史料でも、沖縄側ではなく本土側の史料から交流の様相が解明されつつあります。鎌倉の北条得宗家も日本国の境界である南九州から奄美諸島にかけての地域を重視していて、被官の千竃氏に統治させ直接の影響下に置こうと考えたようです。千竃氏の所領は奄美諸島まで及んでいたことが千竃氏の相続文書から明らかにされています。

そうした本土・奄美の活発な交流のなかで12~13世紀頃の本土と沖縄島以南にも恒常的なヒト・モノの行き来があったことは疑いがありません。

参考までに
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2006/09/post_554c.html
をご覧ください。

浦添ようどれの瓦についてですが、高麗系・大和系の灰色瓦が出土していますね。最近、沖縄県立埋蔵文化財センターでこの瓦の胎土分析を行ったところ、全て沖縄本島で焼かれたものと判明しました。つまり瓦そのものを輸入したのではなく、外来の技術を持つ人間が沖縄に渡来し瓦を生産していた事実が確定したわけです。瓦の製作年代も鎌倉時代頃の可能性もありますが、大部分は14、5世紀(室町時代)のもののようです。

投稿: とらひこ | 2008年12月28日 (日) 16:42

とらひこさま

冬休み中にも関わらず、たいへん迅速なお返事を頂き、有難うございました。

やはり研究は進んでいますね。

百浦添欄干の碑の文の解釈でも、武器を持った/持たないで、180度逆になっていますからね。

ご紹介頂いたアドレスを、これから訪問してみます。ありがとうございました。

投稿: kk | 2008年12月28日 (日) 17:48

とらひこさま

たびたびすみません。
ブログの装飾もずいぶんカラフルに変わって、積極的な歴史学者という感じですね。

たださきほどのご回答をよく読み返すと、喜界島の重要な役割を受け止めつつも、「おもろさうし」上の「京鎌倉」を「鎌倉期のものではない」と証明するものも、やはりない、ということでしょうか。

また浦添ようどれの瓦の件も、内地や高麗との活発な交流の中で、夫々の技術を身につけた「うちなんちゅー」が焼いたという可能性もありでしょうか。

伊波普猷氏はもともと言語学者ですから、言葉の面からも、その当時の、あるいはそれ以前からの内地と沖縄の結びつきを唱えておられたと思われます。そのあたりは歴史学ではどのように扱われるのでしょうか。一次史料にはならないのでしょうが。範疇外になるのかもしれませんが。

ちなみに学生当時の私の専攻分野では、大学の教授(和田春樹氏。こんな漢字でしたかあやふやですが)が論文のなかで論拠を補強するのに当時書かれた小説などの描写を引用していたような覚えがあります。そういえばあの頃は「社会史」がブームではありました・・・。

沖縄の歴史研究は、おそらくは戦争の影響により、一次史料が極端に少ない状況下で行なわれるのだろうと思います(ゆえに内地や外国の史料に多く依るのはやむをえないですね)。だからこそ、非常に慎重に、真摯に史料と向き合わねばならないのでしょうね。でもこれから、様々な分野の成果をもとに、研究発展の余地がありますね。
釈迦に説法にもならぬつまらない四方山話を失礼致しました。重ねての質問、恐縮ですが、お教え頂ければ幸いです。

投稿: kk | 2008年12月28日 (日) 19:15

>kkさん

『おもろさうし』についてですが、『おもろさうし』中のオモロが儀式で繰り返し歌われる歌謡という性格を持つこと、大半が17世紀の時点で収録・編集されたこと、を考慮したうえで歴史史料として使用するべきだと今の琉球史研究では評価されています。ただ古琉球期の様相を伝えるものであることは確かなわけで、上記の史料的制約をふまえつつ使用することで、古琉球のより深い実相に迫ることは可能だと思います。

『おもろさうし』中の「鎌倉」が歌われた年代は古琉球期(12世紀~1609年)のある時点であることはほぼ間違いありませんが、その長いスパンの中で当然鎌倉期も視野に入れる必要があると思います。僕個人としましては、確か「鎌倉」文言が登場するのは15世紀の人物「阿麻和利」の拠点、勝連を称えるオモロの中で登場すること、発掘調査から判明している勝連グスクの最盛期が15世紀であることを考えると、室町期の可能性がやや高いように考えます。

伊波普猷が先鞭をつけた言語学から日本と琉球の交流を浮き彫りにしていく作業は現在の琉球史研究でも有効です。そうした研究成果から、南西諸島が北からのヒト・モノの流れに大きく影響された事実は揺るがないと思います。最近ではさらに現在残されている琉球方言よりも、古琉球期はさらに本土の言語に近いかたちであったことが指摘されています。形質人類学の研究でも、沖縄人の身体的特徴は平安・鎌倉期あたりから中世日本人の特徴と近似していく(つまり北からのヒトの流入があった)とされています。

瓦についてですが、確かに高麗・大和系の技術で造られていますが全く同じではなく、沖縄独自の変容もしているそうです。なのでご指摘のように、技術を受け継ぐ過程で琉球の人々が焼いていた可能性がかなり高いといえます。

古琉球期の史料が少ないのはそうなのですが、僕が同時代史料を調べていくと、多くの人が想像していた以上に史料が存在します。少ないながらも残存している史料がほとんど知られておらず、分析されていないのです。

僕はまずそうした史料を丹念に分析することが先決で、そこから判明した事実をもとに、他の分野の成果とを突き合わせていくという手順で研究したいと考えている次第です。

投稿: とらひこ | 2008年12月28日 (日) 20:57

とらひこさま

大変丁寧なご回答、本当に有難うございます。
やはり昔々の研究者魂がうずきます!
(仕事はまったく別分野なのですが。)
一次史料がたくさんある!?のですか?
一昨日も沖縄県公文書館の前を車で通って、「戦前のものは何もないんだろうなぁ」とかぼんやり考えていました。
首里のものは焼失してしまったが、例えば今帰仁や伊是名のものが残っている、とかでしょうか。
あと考えられるのは、尚家の方々や伊波普猷氏などの研究者が戦前に内地に持ち出した(あるいは写真、筆記等で写した)などでしょうか。

『古琉球』(岩波)を数ヶ月前に読んで、はまってしまい、『沖縄歴史物語』(平凡社ライブラリー)その他も読みつつ、史跡など観に行ったりしています。(「沖縄歴史物語」は気のせいか稀にマルクス系イデオロギーのにおいを感じてしまいますが)

手元にある『沖縄歴史物語』には、オモロの「京鎌倉」は確かに「阿麻和利」を描写した項で説明されていますが、同時に、都合7箇所でこれor類似の言葉がある、と書かれています。
手に入れやすい『おもろさうし』は岩波文庫のものですが、手を出そうかどうしようかと迷っている部分はあります(笑)。仕事との関係で、ちょっと力が入りすぎかも、と。

沖縄史全般では、個人的には、貝塚時代が長すぎるのではと思うのです(単なる思い込みかもしれませんが)。それほど活発に内地との交流があり、交易が大昔からあったのに、ずっと貝塚などということはないでしょう、と。
※西洋史で言うと、何十年か前には、中世が暗黒の時代と言われていたのを思い出します。
沖縄の貝塚時代も、おそらくほとんど研究が進んでいないのだろうと想像しました。

これからの史料研究で、様々な事実が明らかになることが楽しみです。

投稿: kk | 2008年12月29日 (月) 00:04

>kkさん

歴史を調べるのは楽しいですよね。僕もその魅力にハマっている一人です。

古琉球の史料はたくさんとはいえませんが、存在をほとんど知られていないもの、知られていても全く手がつけられていない史料はあります。

例えば1420年代のひらがなで書かれた思紹あるいは尚巴志の書状などリアルタイムの一次史料(第一尚氏の印も押されています)、最近「発見」された15世紀中頃(尚金福の時代)の首里城や寺院群を描いた地図なども残されています。また金石文の総合的な分析もまた着手されていません。僕はここから当時の琉球の思想などにも迫れると考えています。さらに現存はしませんが、戦前に記録された史料もあり、現在その内容を知ることもできます。那覇の石仏に刻まれた1342年(何と英祖王統期)の銘文なども実はあります。もちろんこの他にも認知されていない史料は存在します。

以上を分析するだけでも古琉球史像を大きく刷新することができます。現在僕はこれらの史料の分析を進めていますが、今後その成果を論文などで発表する予定です。

『おもろさうし』中の「鎌倉」について僕は全体の状況を把握しているわけではありませんが、これらの記述を総合して考察することで何かわかるかもしれませんね。『おもろさうし』購入ですと岩波文庫のものが確かにいいかもしれませんね。現代語訳もついて値段的にもお手頃だと思います。

貝塚時代が長すぎるのではということですが、最近の考古学の研究だと、貝塚時代は農耕が普及しない遅れた社会だとの認識は刷新されつつあります。つまり南西諸島はあえて農耕をしなくても十分生活できる環境だったので、あえてしなかったということです。そう考えれば、僕は貝塚時代が南西諸島における本来的な社会のあり方で、それが12世紀頃の北からのインパクトによって変化していったのではないかと考えます。

さらに貝塚時代は牧歌的な原始社会だったのではなく、ヤコウガイなどを商品として組織的に収穫・加工しヤマト・中国に輸出した高度な交易社会であった可能性が指摘されています。英祖王統もこの交易社会のうえに成り立っていた強力な王権であったとの指摘もあります。このあたりは安里進氏の研究(例えば『琉球の王権とグスク』日本史リブレットなど)を参照されるといいかと思います。


投稿: とらひこ | 2008年12月29日 (月) 08:48

ありがとうございます。
早速、安里さんの本を、ご紹介頂いた物も含めて数冊、それに『おもろさうし』も分量に目をつぶって上下巻とも、さらにはとらひこさまの書籍をアマゾンで注文しました。正月休みに読めると良いですが。

貝塚時代については、やはり研究成果が楽しみですね。文化が発達した中世沖縄を確認したいと願っています。

投稿: kk | 2008年12月29日 (月) 21:15

>kkさん
拙著のご購入、まことにありがとうございます。貝塚時代の研究は今エキサイティングな状況になってきています。こちらのブログでもまたいろいろ紹介していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

正月休み、ゆっくり本を読まれてください。

投稿: とらひこ | 2008年12月30日 (火) 22:27

このブログ主は『沖縄論』を読んでもいないのに批判していると小林氏からゴーマンかまされていますが?

投稿: ヒキヌノヌマキギ | 2009年2月 4日 (水) 20:35

>ヒキヌノヌマキギさん
わざわざの書き込みご苦労様です。具体的に何をおっしゃっているのかよくわかりません。だから何なのでしょうか。

投稿: とらひこ | 2009年2月 4日 (水) 22:52

こんにちは。
撃論で見てきましたー

あれー、「だから何なのでしょうか」ってことは
本当に読んでいなかったんですね。

だめだこりゃ。

投稿: しょぼひこ | 2009年2月 5日 (木) 10:34

改めて(1)(2)と通して読んでみました。

うーん、これは恥ずかしい。

小林さんを「おいしいとこ取り」と何度も何度もくどいくらいに批判していましたが
それをやっていたのが誰なのか、良くわかりました。

まあ、「おいしいとこ取り」というよりは
「おいしいとこ造り」ですか。

このブログは記録しておこうと思います。

投稿: しょぼひこ | 2009年2月 5日 (木) 10:50

>このブログは記録しておこうと思います。

これは2ちゃんねるで言う「釣り」というやつですかね(笑)

投稿: 茶太郎 | 2009年2月 6日 (金) 00:00

こっそり修正・削除される可能性もありますからね…

とらひこさんの正面からの反論を期待しましょう

投稿: ボッタ | 2009年2月 6日 (金) 03:12

小林氏が名指しで僕に反論してきた、ということですか。

これは光栄ですね。近日中にでも読んでみます。

いきなりぶしつけに揶揄めいたコメントされてもわかりませんよ。

以後、この種の揶揄めいたコメントはご遠慮願えればと思います。

投稿: とらひこ | 2009年2月 6日 (金) 06:46

中国の朝貢国でなかったことが,大和民族としての自尊心の重要な柱になっている・・・そんな捉え方があることを知りました。私自身は,この島国で縄文的・弥生的な精神性を現代にまで受け継ぎながら,ほどほどに・分をわきまえて・自然と共生してつつましやかに生きてきた日本人の姿にこそ,慈しみを覚えますが。大陸という巨大な舞台で発生した覇権的な国々(漢や唐,清など)に接するがために,幾多の侵略を受け,国土を荒らされ,その中で国家として・民族として生き残るために朝貢国としての道を選んだ朝鮮半島の国々。間に適度な大きさの海(天然の防御の砦)を持つがために中国大陸の脅威を受けることが少なく,また湿潤温暖で程よい大きさの国土を有したがために経済的にも程々生活することが可能だった日本。あまりにも小さい島々で構成され,水不足にも悩まされ,大規模な農業が適さない自然環境の中で,海を舞台に豊かな貿易国家として生きるために朝貢国の道を選んだ琉球。それぞれがもつ地勢的・自然的環境を背景にして朝貢国である・なしの歴史が異なる。結果的に,そのことで民族が存続し,あるいは,その民族がより豊かに生きていくことができたのであれば,それこそ評価できる点だと思います。その意味では,近代における日本の欧米に対する戦争・・・そして敗戦,占領統治などは,国家・民族存亡の危機を招いた点で,問題外。中世~近世における朝貢国でなかったことを民族の誇りとして(他民族をあげつらう言説として)声高に語るのであれば,真逆に近・現代における敗戦・占領統治は,大和民族が劣等民族である重要な論拠と言える。相手がアメリカでなく,ソ連や中国だったら,大和族or中華民族大和支族になっていた可能性が高い。あくまでも皮肉ですよ。私自身は,自分自身の民族の歴史・文化を他の歴史・文化を比較して,そこに優劣の序を感じることなんかありません。
しかし,自身と同一の民族の歴史上の人物の功績を,あたかも自分自身の功績であるかのごとく尊大に主張する言動には大和民族の,よき民族性を感じません。

投稿: キャーッチュ | 2009年2月 6日 (金) 22:54

こんにちは!
NHKの「三別抄」の特集を見たあと、浦添ようどれの高麗瓦のことについて調べていて、ここにたどり着きました。よろしくお願いします。

歴史はまったく門外漢なのですが、「三別抄」の特集はロマンを感じて興奮しました。

そこでお聞きしたいのですが、琉球の石造建築の急激な発展と三別抄(または、異国の知識集団)は本当にかかわりがあったのでしょうか。

ひとつ疑問なのは、琉球国というのは、異国の反乱軍を受け入れるような、開かれた国だったのでしょうか。いまの感覚だと、追い返してしまいそうですが。

モンゴルと高麗との関係にひびは入らなかったのでしょうか。

投稿: ロマン派 | 2010年1月13日 (水) 17:18

>ロマン派さん

僕はそのNHKの番組は観ていませんが、おそらく三別抄と琉球との関わりは安里進氏が主張している説をもとにしたのではないかと思います。

たしかに琉球には高麗系の瓦が出土しており、朝鮮半島からの人の流れがあったことはほぼまちがいありません。ただし、沖縄出土の高麗系瓦は朝鮮半島の三別抄が存在していた時期(13世紀)より遅れ、古くても14世紀のもののようで、直接的に関係があったかはなお検討する余地がありそうです。

グスクの石造技術についても中国・朝鮮系の技術的系譜を持つようですが(張り出し施設・アーチ門など)、これもまた15、16世紀のものが圧倒的大部分であり、数百年の差が開きます。三別抄がダイレクトに技術を伝えたのか僕は疑問を持っています。

まとめますと、朝鮮半島からのヒト・モノの大きな流れがあったことには首肯できますが、三別抄との直接的関係を確定するには、まだまだ論拠が必要な印象を持ちます。また経路にしても、後の朝鮮通交の事例を見てもわかるように、朝鮮半島―琉球の直行ルートというよりは、中世日本最大の貿易港・博多や南九州を経由するかたちをとったほうが自然なような気がしています。

当時の琉球現地の権力が三別抄のような武力を持った集団をまとめて受け入れるかは別として、琉球は比較的外に開かれた社会であり、追い返すようなことはしなかったのではないかと思います。もしかしたら個別に残党がやってきたかもしれません。

またモンゴルは琉球と公的な関係を結んでいないので(当時は未開の地としてあまり注目されていなかったようです)、外交問題に発展するようなことはなかったのではないでしょうか。

投稿: とらひこ | 2010年1月14日 (木) 06:16

とらひこさん、初めまして

私は小林氏の沖縄論:沖縄戦の章で
「少女達は日本兵と共に死にたかったはずだ」と
氏が主張している部分に腰が抜けたことをよく覚えています。いったいどこからそのような結論に至ったのか、さっぱり分からなかったからです。
他の箇所は忘れてもここだけは忘れられません。

そんな風に他者の心情を、しかも生死に関わる場面の心情を想像で決めつけられることに驚いたからです。沖縄戦前までの記述を見ても、結論との繋がりが見いだせませんでした。

それがとらひこさんの記事で疑問が解けました。
小林氏が現在の沖縄を批判するのに間違った歴史を持ち出したり、他人の論から自分にとって都合の良い部分だけを抜き出して利用しているからだと。

意見、主張は自由だけど根拠がきちんとしていなければダメだと私も常々思っています。
とらひこさんの小林氏の沖縄論への反論は非常に参考になりました。
ありがとうございます。

投稿: chada | 2011年7月24日 (日) 14:20

>chadaさん
はじめまして。小林氏の論が本当に人々に受け入れられているかどうかは、時間が判断すると思います。

彼の著書は2005年に出ていますが、6年経ってどれだけ彼の考えが一般に定着しているか、その結果を見ればおのずと明らかではないでしょうか。

投稿: とらひこ | 2011年7月27日 (水) 20:36

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