那覇にUFOあらわる
地球外生命体や幽霊などの不可思議な怪奇現象は、未知なるものに好奇心を持つ多くの人々の興味をひいています。沖縄でも那覇市内の上空に青白い光線が現れ、UFOでは!?との問い合わせが気象台などに多数よせられ、「那覇市内でUFO騒ぎ/正体は気象観測光線」とニュースになったことがあります(沖縄タイムス1997年11月24日)。実はこのような騒ぎと同様に、大正元年(1912年)8月には那覇に未確認発光体が出現して大騒動になった事件がありました。その模様は当時の「琉球新報」紙上で連日報道されています。
事件の場所は那覇の泉崎(現在の県庁一帯)で、第一発見者は仲毛(現在の那覇バスターミナルあたり)の比嘉さん一家。7月30日の晩、夕涼みに2階から外を眺めていると、砂糖樽検査所の戸から丸い発光体が出現したというのです。発光体は分かれたり合体したりして戸を出入りし、大きな発光体が小さな発光体を連れて出てきて、次の瞬間バラバラになり上空へ消えていったといいます。比嘉さんは驚き、近所の人に告げて次の晩も出現場所を観察していると、同時刻にまたもや発光体が出現。当初は比嘉さんの話を疑っていた近所の人々ですが、さらに3日目の同時刻に発光体が出現するのを目撃するにおよび「これはホンモノだ!」と確信し、ウワサがウワサを呼んで大騒動になってしまいます。
比嘉さん宅のある仲毛海岸はヤジウマが殺到し、夜10時頃まで怪光を見ようとする人々で連日大混雑となります。しかし発光体はいつまで待っても一向に現れません。ついには警官も出動して騒ぎの沈静化をはかりますが、騒動は静まるどころかさらに広まり、今度は泉崎橋に発光体が出るらしいというデマも流れて人々は泉崎橋にも集まり、発光体が現れるのを今か今かと待ちかまえる始末。出現場所付近の住民は奇怪な事件に身の吉凶を案じて各所の易者(おそらくユタ)に相談する者が続出し、火の玉は亡霊のしわざとして祈祷が行われます。騒ぎは出現場所の地中から人骨が発見されるにいたって頂点に達します。この人骨は小児の骨で、付近で材木商を営む平良某が埋葬したものらしいと当時の記事にあります。
このオカルト騒ぎに影響を受けたのでしょうか、琉球新報は事件の翌日から「怪談奇聞」と題する心霊体験談を連載します。このコーナーは読者から怪奇体験を募集するものでした。新報は「実体験でも伝聞でもよいから本社の怪談奇聞係宛てに投稿をお願いします」と東スポばりの連載を開始してしまうのです。
さらにビックリするのは、この怪奇体験コーナーに寄せられたのが、何とあの伊波普猷の話。「伊波文学士の実話」として祖父の心霊体験が述べられています。王国時代、祖父の友人が航海の途中で暴風にあって溺死し、彼の幽霊が別の知人の母に憑依して伊波の祖父の前に現れたという話です。おそらく伊波普猷も発光体騒ぎを見聞して、興奮さめやらぬなか知人に自身の怪奇談を熱っぽく語ったものが投稿されたのでしょう。本人が投稿していたら面白いですが…いずれにせよ、当時の沖縄での超常現象に対する熱狂ぶりが伝わってくる話です。
参考文献:「琉球新報」大正元年8月4日~23日
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