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2006年4月23日 (日)

続・小林よしのり『沖縄論』に思うこと(1)

先日、雑誌『SAPIO』に連載されている小林よしのり氏の「新ゴーマニズム宣言」を読む機会がありました。小林氏はそのなかでネット上に流れる「情報」を批判し、さらに『沖縄論』に対する否定的な反応に対して、小林氏の沖縄に対する「感受性」や「心」を読みとれず「情報」の揚げ足とりに終始していることを書いています。小林氏は「『ゴー宣』を読む時は「情報」のおいしいとこ取りだけ、するんじゃない!自分の知性で行間に込めたものまで認識して「知識」とせよ!」と「ゴーマン」をかましています。

以前、僕のブログでも小林氏の『沖縄論』に対して批判的な意見を述べたことがあります。小林氏からすれば僕の批判は「情報」と「知識」の区別がつかず、ネット上で「情報」を発している「若手」の揚げ足取りだと感じることでしょう。小林氏が僕のブログを読むはずもないでしょうが、これを機会に『沖縄論』の何が問題なのかを少し具体的に述べたいと思います。

僕は小林氏の『沖縄論』について、その主張の是非はともかく、日本国の安全保障の根幹であるはずの沖縄に無関心のヤマト(日本本土)の人たちに問題提起をした点については、率直に評価したいと思っています。では『沖縄論』の何が問題なのか。それは小林氏が沖縄、とくにその歴史について自身の都合のいいところだけ「情報のおいしいとこ取り」をしていることに他なりません。

細かい「情報」の誤りについては数多くありますが、ここではいちいち指摘するつもりはありません。以前にも書いたとおり、一番の問題は小林氏の沖縄に対する根本的な理解・評価の部分です。小林氏は『沖縄論』を書くにあたり、沖縄に関する基本的な文献をひとまずは読んでいます。にもかかわらず、これらの文献を読んでなぜ何十年前に使い古されたような主張が出てくるのか不思議でなりません。小林氏の沖縄の歴史についての評価は、ごく簡単に要約すれば、沖縄は歴史的に「日本」の領土であり、「純粋な日本」が残っている。独自性は日本国内の「お国柄」程度にすぎず、「日本」への同化(小林氏がいうには再日本化)は必然性があったというものです。沖縄は「日本」であることに価値があり、だから過重な負担を強いられ本土に無視されている沖縄のことを考えろ、ということでしょうか。

ひとつ例をあげましょう。「情報のおいしいとこ取り」の最たるものは、伊波普猷が述べた「琉球処分は一種の奴隷解放なり」という言葉の引用です。小林氏はこの言葉を「琉球の日本編入は必然であり、琉球処分はかつて分かれた同胞が再び一つになった民族統一である」との持論を補強するために引用しています。

伊波の「奴隷解放」発言について小林氏は表面的な理解しかしていません。伊波は琉球と日本との親近性に言及しつつ「琉球・沖縄」の独自性・主体性も強く主張しています。あの時代、「日本の中の沖縄」という避けがたい現実にありながらも、どうすれば沖縄が沖縄らしくあることができるのかを考えたのが伊波普猷の真意だったと思います。さらに発言の背景には、当時の沖縄社会における鹿児島閥の官僚や鹿児島商人の専横があります。「奴隷」状態、すなわち薩摩藩の搾取に対する伊波の糾弾は現実社会への批判とも重なっていたのです。「奴隷解放」発言はこれらのことをふまえた上で読まなくては彼が本当に言いたかったことは理解できません。そもそも伊波が唱えた薩摩支配下の近世の琉球が「奴隷」状態だったという説は近年の研究では全く否定されています。

小林氏は、終生「沖縄」と格闘した伊波の思想的営みに思いをいたすことなく、彼が述べた文脈を全く無視し、都合のいい「情報」として自説の補強に使っています。これでは伊波がかわいそうです。小林氏は自らの知性で伊波が行間に込めた「思い」を読み取るべきだったのではないでしょうか

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コメント

伊波普猷の言説は沖縄でも表面的な理解しかされないことも多いような、日琉同祖論が一人歩きしているような気がしています。私自身、まだちゃんと「読め」ていないんですが。

小林氏は「行間の捏造」をしてしまった、とも言えるかもしれません。もし彼が、伊波の「感受性」や「心」を読み取っていたつもりだとしたら。

「自分は行間から滲む想いを感じている」と思うときでも、その文が書かれた背景などを知った上での確かな読みがなければ、その「行間の想い」は思い込みにすぎず、結局は自分の思想のために他人の言説をねじまげてしまうことになるんですよね。自分のことも振り返って、読むことの怖さを改めて考えました。

投稿: あゆ | 2006年4月24日 (月) 12:20

初書き込み致します。
小林よしのりの「沖縄論」は読んだ事があります。
風習やしきたり、政治的な事については、我々沖縄人より詳しいんじゃないの?
と感心しながら読んでいたんですが、日本との同化に関しては、
疑問に思っていました。
たぶん、人種的には同じかもしれませんが、歴史のこれまでのあらましから、本土の沖縄の間に横たわる、深い溝は簡単に埋まらないと思っています。

投稿: MU@沖縄 | 2006年4月24日 (月) 16:56

>あゆさん
この問題は小林氏ひとりの問題というわけではなく、やはり一般に広まる歴史認識と専門家とのギャップの問題になるのかもしれません。

僕もそこまで厳格に他人の文章を読むということをできていないと思いますが、少なくともそういうことを自覚することは大切なのかなと思います。

>MU@沖縄さん
はじめまして。
小林氏はたしかに沖縄について勉強はしているようです。しかしどうも自分の主張したい論が先にあって、それに合う話をもってくる、というやり方をしている印象があります。

ヤマトと沖縄のミゾはたしかに否定はできないと思います。でもその違いを対立の材料とするのではなくて、お互いの違いを認めたうえで協力していくのがこれから大事ではないかと思います。

投稿: とらひこ | 2006年4月25日 (火) 00:36

昔共産党が、この本を推薦していたように思いますが、現在では推薦撤回しているのでしょうか?
この件につき、どう思われますか?

投稿: hondojin | 2006年5月11日 (木) 08:48

>hondojinさん

『沖縄論』が共産党推薦になった事実は、ちょっと僕は把握していません。すみません。機関紙に書評が載っていたのは事実のようですが。

『沖縄論』には人民党の瀬長亀次郎氏の伝記が載っていたことが共産党がとりあげる原因になったと思います。小林氏は反米闘争をしていた彼の経歴に注目しマンガにしたと考えられます。瀬長亀次郎氏はまず「沖縄のために」という思いがあって行動したのであって、右か左かという単なる2元的で捉えられる存在ではないように思います。

投稿: とらひこ | 2006年5月12日 (金) 00:33

中国の共産党はチベットを侵略でなく「解放」と言う言葉で捉えます。日本はあの戦いを敗戦でなく、「終戦」と言います。あの売春する娘達は売春を「援交」とい言います。子供を虐待する親はそれを「しつけ」と言います。あの酒井法子は逃亡を「動転した」といいます。あの押尾容疑者は自分が勧めたのでなく亡くなった女性に「勧められた」といいます。日本の右翼はあの戦いを侵略でなく「アジアの解放」といいます。アイヌも征服ではなく「解放した」と言います。沖縄も同様です。
ここにある共通性はなんでしょう。本能的な自己保存の欲求じゃないですか。

投稿: 若本太一 | 2009年8月23日 (日) 10:26

>若本太一さん
自身にとって良いと思う方向に解釈するのは、多くの人に共通して見られることだと思います、ただ大事なのは、そのことに関して無自覚でいないことなのではないでしょうか。

投稿: とらひこ | 2009年8月24日 (月) 00:48

小林さん程、デリケートな問題に関して強くユニークな方法で意見する人が他にいるでしょうか?間違いを見付け後から批判するのは簡単な事で、彼が何のためにそれをし続けているのかを考えると、彼の真意や人々へのメッセージが分かるような気がします。

投稿: ジャッキー | 2009年10月13日 (火) 22:13

>ジャッキーさん
僕の批判は単なる間違い探しではなく、これまで先人たちが近現代という時代の状況下で長年格闘してきた沖縄研究を真摯に理解しようという姿勢ではなく、自らの結論を補強するために都合のいいように恣意的に引用をする点をこそ批判したつもりです。僕の記事をよく読んでいただければと思います。枝葉ではなく、根本的な姿勢が問われているのです。

これまでもよく「小林氏の言っていることはすばらしいから細かいことはかまわない」という意見を耳にしますが、誤った情報、恣意的な情報操作のうえに何やら良さそうに聞こえる結論を言ったとしても、それは砂上の楼閣にすぎないと僕は思います。なのでジャッキーさんのような意見には僕は同意できません。

ただ小林氏が「本物」かどうか、すばらしい論者だったかどうかは歴史が証明するのではないでしょうか。その答えは2、30年後に彼がどういう評価を受けているか、またもう一度彼の著作を読みなおしてわかることでしょう。

投稿: とらひこ | 2009年10月13日 (火) 23:25

つまり伊波ふゆうの認識は完全に間違っていたということでしょうか。

投稿: ymca | 2009年10月16日 (金) 23:54

>ymcaさん
???なぜ上記の僕のコメントから「つまり」伊波の認識が「完全」に間違っていたことになるのでしょうか?どこをどう読めば完全に誤りだったと言えるのですか。論理展開が全く理解できません。

ちゃんと僕の記事を読んでください。記事を読まずに書き込む「一言言い捨て」のコメントは本当にうんざりします。

投稿: とらひこ | 2009年10月17日 (土) 00:49

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