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2006年4月 7日 (金)

それでも嵐にあった時

前回は船で旅立つ人々が安全に航海できるよう様々な「対策」をとっていたことを紹介しましたが、どんなに神さまに祈っても、やはり嵐に遭う時は遭ってしまいます。そんな時、彼らはいったいどうしたのでしょうか。

その対応とは…やはり「神頼み」です。船が遭難した場合、船中の人々は前回紹介した航海安全の神に対して、ひたすら助けてくれるよう祈っていました。運天按司朝英(うんてん・あじ・ちょうえい)の遭難の事例を見てみましょう。1819年、彼は鹿児島へ向かう途中、硫黄鳥島近くで暴風雨に遭ってしまいます。嵐のなか、朝英たちはまず船が沈没しないよう積み荷を捨て、全員が髪をバッサリ切って、ひたすら天に祈ります。遭難時に髪を切るという行為は東アジアで広く行われていた慣習だったようです。しかし嵐はやみません。

そこで次は聞得大君へ祈りをささげ、「無事帰れたら首里城の龍樋の水を献上します」と誓いを立てます。しかし無情にも暴風は吹き続けます。朝英はさらに普天間権現へ祈りをささげ、「無事帰れたら7日間参拝して感謝します。だから助けて」と約束しました。ところが、それでも嵐はやまず、それどころか風雨はさらに激しさを増し、とうとう船を転覆させないためにマストを折ってしまいます。もはや船のコントロールはききません。船は漂流し、飲料水もほとんど尽きてしまいます。

朝英、今度は弁財天に祈りはじめます。それでも足りないと思ったのか、さらには天尊(中国道教の神)を出してきて、「無事帰れたら焼香に行きますので、どうかお助け…」と必死で祈ります。ようやく朝英の祈りが神に通じたのでしょうか、その後天気は回復し、結局与那国島に漂着して助け出され、沖縄本島に戻ることができました。鹿児島へ向かうはずが、流れ流れて与那国まで行ってしまったのです。次から次へと嵐がやむまで、思いつくかぎりの神さまに祈り続けるのは節操なく見えてしまいますが、本人にしてみれば生きるか死ぬかの瀬戸際だったわけですから、しかたありませんね。しかし朝英はその後、全ての神々との「約束」を果たしたのでしょうか。

注目されるのが聞得大君への祈りと「首里城龍樋の水を献上する」という約束です。聞得大君は琉球世界の祭祀をつかさどる、神女(ノロ)の頂点に立つ存在でした。琉球の神々に王国の平和や五穀豊穣を祈ったほか、航海安全も祈願していました。聞得大君は祭祀の主宰者としてだけではなく、「航海安全の守護神」そのものとしても考えられていました。首里城の龍樋とは瑞泉門近くから湧き出る泉のことです。聞得大君に「遭難救助」の感謝を表わす際には、龍樋の水を聞得大君御殿まで持っていって献上するのが慣例になっていたようです。

実は、この龍樋の水献上の儀式はマニュアル化されていて、聞得大君に祈って助かった遭難者はそれにのっとってスムーズに(きわめて事務的に?)儀式をとり行いました。マニュアル化されているということは、それだけ遭難者が続出し、多くの者が聞得大君のもとを訪れていたということを意味します。

聞得大君に龍樋の水を献上しに来たのは琉球人だけではありませんでした。薩摩と琉球を行き来する薩摩船の船頭も訪れていました。彼らもまた遭難時に琉球の「航海神」である聞得大君に助けを乞い、助かった者たちでした。生き死にの際(きわ)には、あれはどこの神さまだとか、何宗派だとか細かいことは言ってられなかったというわけですね。

参考文献:豊見山和行「航海守護神と海域」(尾本惠市ほか編『海のアジア5』)

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コメント

前回と今回、記事の内容もさることながら、タイトルが面白すぎです(笑)

投稿: 茶太郎 | 2006年4月 7日 (金) 23:26

>茶太郎さん

そうでしょうか(笑)タイトルはなんとなく思いついたものをつけてます。とくに考えてはいないです。

投稿: とらひこ | 2006年4月 8日 (土) 20:58

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