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2006年4月19日 (水)

那覇にUFOあらわる

地球外生命体や幽霊などの不可思議な怪奇現象は、未知なるものに好奇心を持つ多くの人々の興味をひいています。沖縄でも那覇市内の上空に青白い光線が現れ、UFOでは!?との問い合わせが気象台などに多数よせられ、「那覇市内でUFO騒ぎ/正体は気象観測光線」とニュースになったことがあります(沖縄タイムス1997年11月24日)。実はこのような騒ぎと同様に、大正元年(1912年)8月には那覇に未確認発光体が出現して大騒動になった事件がありました。その模様は当時の「琉球新報」紙上で連日報道されています。

事件の場所は那覇の泉崎(現在の県庁一帯)で、第一発見者は仲毛(現在の那覇バスターミナルあたり)の比嘉さん一家。7月30日の晩、夕涼みに2階から外を眺めていると、砂糖樽検査所の戸から丸い発光体が出現したというのです。発光体は分かれたり合体したりして戸を出入りし、大きな発光体が小さな発光体を連れて出てきて、次の瞬間バラバラになり上空へ消えていったといいます。比嘉さんは驚き、近所の人に告げて次の晩も出現場所を観察していると、同時刻にまたもや発光体が出現。当初は比嘉さんの話を疑っていた近所の人々ですが、さらに3日目の同時刻に発光体が出現するのを目撃するにおよび「これはホンモノだ!」と確信し、ウワサがウワサを呼んで大騒動になってしまいます。

比嘉さん宅のある仲毛海岸はヤジウマが殺到し、夜10時頃まで怪光を見ようとする人々で連日大混雑となります。しかし発光体はいつまで待っても一向に現れません。ついには警官も出動して騒ぎの沈静化をはかりますが、騒動は静まるどころかさらに広まり、今度は泉崎橋に発光体が出るらしいというデマも流れて人々は泉崎橋にも集まり、発光体が現れるのを今か今かと待ちかまえる始末。出現場所付近の住民は奇怪な事件に身の吉凶を案じて各所の易者(おそらくユタ)に相談する者が続出し、火の玉は亡霊のしわざとして祈祷が行われます。騒ぎは出現場所の地中から人骨が発見されるにいたって頂点に達します。この人骨は小児の骨で、付近で材木商を営む平良某が埋葬したものらしいと当時の記事にあります。

このオカルト騒ぎに影響を受けたのでしょうか、琉球新報は事件の翌日から「怪談奇聞」と題する心霊体験談を連載します。このコーナーは読者から怪奇体験を募集するものでした。新報は「実体験でも伝聞でもよいから本社の怪談奇聞係宛てに投稿をお願いします」と東スポばりの連載を開始してしまうのです。

さらにビックリするのは、この怪奇体験コーナーに寄せられたのが、何とあの伊波普猷の話。「伊波文学士の実話」として祖父の心霊体験が述べられています。王国時代、祖父の友人が航海の途中で暴風にあって溺死し、彼の幽霊が別の知人の母に憑依して伊波の祖父の前に現れたという話です。おそらく伊波普猷も発光体騒ぎを見聞して、興奮さめやらぬなか知人に自身の怪奇談を熱っぽく語ったものが投稿されたのでしょう。本人が投稿していたら面白いですが…いずれにせよ、当時の沖縄での超常現象に対する熱狂ぶりが伝わってくる話です。

参考文献:「琉球新報」大正元年8月4日~23日

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2006年4月11日 (火)

ブログ開設1周年

今日は「目からウロコの琉球・沖縄史」を開設して1周年になります。

あっという間の1年でした。ふりかえってみると、記事の総数は52、基本的に週1回のペースで更新しています。よくネタ切れせずにコンスタントに続けられたと思います。アクセス数も当初はそれほどでもありませんでしたが、ヤフーの登録サイトに選ばれた直後は1日4000アクセスを記録しました。現在は1日200アクセス前後に落ち着いていますが、マイナーな内容にもかかわらず、毎日これだけの人々がこのブログを訪れてくださっていることに感謝です。

ブログを開設したきっかけは、これまでに明らかにされた琉球・沖縄史の豊かな歴史像が一般の方々に広く伝わっていないように感じたことでした。ネット上で書かれている琉球・沖縄史の情報は、僕が確認したかぎりではほとんど教科書的な通史、また十分に検証されていない内容しかありませんでしたし、ましてや当時、沖縄の歴史を専門的にあつかったブログは皆無に近い状況でした。誰もが簡単に見ることのできるブログで公開することが一番てっとり早く、また効果的だと考えて「目からウロコの琉球・沖縄史」を始めたわけです。

もしかしたら、このブログをのぞいた歴史研究者の方のなかには、他人の研究成果をネタにしてブログを書いていることに批判的な意見もあるかもしれません。歴史研究界ではあまりにも常識すぎる内容ですし、こうしてネットを通じて世に発表することに意義を感じられないかもしれません。

このブログは例えて言えば商品のカタログ、もしくは試供品のようなものだと僕自身は考えています。ここでは様々な商品(これまでの研究成果)をエッセンスのみ紹介して、興味があれば参考文献にあたっていただく、という具合です。もちろん試供品(ブログの記事)だけを楽しむことも可能です。

以前にも書きましたが、歴史の専門家と一般の方々の琉球・沖縄史認識には大きなギャップが存在しているように思います。このブログはそのギャップを埋めるべく記事の更新を続けてきましたが、1年が経過してほんの少しだけその目標を遂げることができたのかな、と思っています。

沖縄は教科書やガイドに書かれているような、「悲劇の歴史」や「基地の島」、「癒しの文化」といった面だけで全てを語りつくせません。沖縄はもっと深く、豊かな歴史を歩んできたのだと思います。これからも「目からウロコが落ちる」琉球・沖縄の歴史を紹介していきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

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2006年4月 7日 (金)

それでも嵐にあった時

前回は船で旅立つ人々が安全に航海できるよう様々な「対策」をとっていたことを紹介しましたが、どんなに神さまに祈っても、やはり嵐に遭う時は遭ってしまいます。そんな時、彼らはいったいどうしたのでしょうか。

その対応とは…やはり「神頼み」です。船が遭難した場合、船中の人々は前回紹介した航海安全の神に対して、ひたすら助けてくれるよう祈っていました。運天按司朝英(うんてん・あじ・ちょうえい)の遭難の事例を見てみましょう。1819年、彼は鹿児島へ向かう途中、硫黄鳥島近くで暴風雨に遭ってしまいます。嵐のなか、朝英たちはまず船が沈没しないよう積み荷を捨て、全員が髪をバッサリ切って、ひたすら天に祈ります。遭難時に髪を切るという行為は東アジアで広く行われていた慣習だったようです。しかし嵐はやみません。

そこで次は聞得大君へ祈りをささげ、「無事帰れたら首里城の龍樋の水を献上します」と誓いを立てます。しかし無情にも暴風は吹き続けます。朝英はさらに普天間権現へ祈りをささげ、「無事帰れたら7日間参拝して感謝します。だから助けて」と約束しました。ところが、それでも嵐はやまず、それどころか風雨はさらに激しさを増し、とうとう船を転覆させないためにマストを折ってしまいます。もはや船のコントロールはききません。船は漂流し、飲料水もほとんど尽きてしまいます。

朝英、今度は弁財天に祈りはじめます。それでも足りないと思ったのか、さらには天尊(中国道教の神)を出してきて、「無事帰れたら焼香に行きますので、どうかお助け…」と必死で祈ります。ようやく朝英の祈りが神に通じたのでしょうか、その後天気は回復し、結局与那国島に漂着して助け出され、沖縄本島に戻ることができました。鹿児島へ向かうはずが、流れ流れて与那国まで行ってしまったのです。次から次へと嵐がやむまで、思いつくかぎりの神さまに祈り続けるのは節操なく見えてしまいますが、本人にしてみれば生きるか死ぬかの瀬戸際だったわけですから、しかたありませんね。しかし朝英はその後、全ての神々との「約束」を果たしたのでしょうか。

注目されるのが聞得大君への祈りと「首里城龍樋の水を献上する」という約束です。聞得大君は琉球世界の祭祀をつかさどる、神女(ノロ)の頂点に立つ存在でした。琉球の神々に王国の平和や五穀豊穣を祈ったほか、航海安全も祈願していました。聞得大君は祭祀の主宰者としてだけではなく、「航海安全の守護神」そのものとしても考えられていました。首里城の龍樋とは瑞泉門近くから湧き出る泉のことです。聞得大君に「遭難救助」の感謝を表わす際には、龍樋の水を聞得大君御殿まで持っていって献上するのが慣例になっていたようです。

実は、この龍樋の水献上の儀式はマニュアル化されていて、聞得大君に祈って助かった遭難者はそれにのっとってスムーズに(きわめて事務的に?)儀式をとり行いました。マニュアル化されているということは、それだけ遭難者が続出し、多くの者が聞得大君のもとを訪れていたということを意味します。

聞得大君に龍樋の水を献上しに来たのは琉球人だけではありませんでした。薩摩と琉球を行き来する薩摩船の船頭も訪れていました。彼らもまた遭難時に琉球の「航海神」である聞得大君に助けを乞い、助かった者たちでした。生き死にの際(きわ)には、あれはどこの神さまだとか、何宗派だとか細かいことは言ってられなかったというわけですね。

参考文献:豊見山和行「航海守護神と海域」(尾本惠市ほか編『海のアジア5』)

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