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2006年3月21日 (火)

尚家国宝の裏話

沖縄の歴史に関する大きな情報が飛び込んできました。琉球国王家である尚家の遺産が国宝に指定されたというニュースです。沖縄での国宝指定は戦後初めてのことになります。指定された尚家の遺産は1251点にのぼる膨大な数の美術品や古文書です。国王の王冠や衣裳、王家が所蔵していた王国時代の記録類など、第一級の資料ばかりです。

この尚家の遺産、「首里城の謎(3)消えた王家の財宝」で取り上げた、戦前に中城御殿(尚侯爵邸)にあった宝物が一部東京へ移されて戦災をまぬがれたものです。本来はこの倍以上の遺産があったのですが、それらは戦争で焼失したり、米軍の略奪にあって現在伝えられていません。

琉球王国の滅亡後、尚王家は東京移住を強制され、千代田区九段北に邸宅をかまえることとなりました(現在は九段高校になっています)。尚家は華族(侯爵)となり、以来東京を拠点に生活し“江戸っ子”となったのです。しかし尚家の人々は沖縄のことは決して忘れてはおらず、沖縄からヤマトに留学してきた学生に奨学金制度をもうけて支援したりしています。国宝となった尚家の遺産が東京に移され戦火を逃れたのは、こうした事情があったからです。

尚家の遺産が那覇市に寄贈され、国宝に指定されるまでには紆余曲折(うよきょくせつ)がありました。重要文化財として指定される以前、尚家の宝は尚家の個人所有物でした。美術品・古文書だけではなく、世界遺産となった識名園や玉陵、崇元寺などの不動産も尚家が所有していました。

当時の尚家の当主は尚裕(しょう・ひろし。故人)氏。東京帝国大学を卒業、海軍大尉として終戦を迎えました。尚氏と親交のあった人物によると、尚氏は「尚家の遺産はきちんと保存したい。それが先祖に対する私の義務と責任だ」と語り、保存のための様々な努力を行っていたそうです。千点以上にのぼる国宝級の遺産を個人で管理・保存するのは並大抵の苦労ではありません。多くの経費も自分のお金でまかなわなくてはなりません。

尚氏のとった決断は尚家遺産の東京都台東区への寄贈でした。なぜなら、沖縄県内の気候は湿気も多くて保存に最適ではなく、県内には遺産を保存・管理できる施設や人材が充分でなかったからです。これに対して沖縄県民は尚氏に批判をあびせます。沖縄の宝をなぜヤマトに寄贈するのか。尚氏は琉球王家の誇りを忘れたのか、と。沖縄県民の批判は「ウチナー・ナショナリズム」から発せられたものでしたが、この批判は尚氏をいたく傷つけることになったようです。尚氏は貴重な遺産を後世に伝えるために孤独な闘いをしいられることになったのです。

結局、1996年に尚家の遺産は那覇市に寄贈されることになり、一件落着となりました。琉球王朝の宝はようやく沖縄に戻ることになったのです。そして今回、戦後初の国宝指定。これまでの尚氏の努力は無駄ではありませんでした。尚氏は天国でさぞかし喜んでいることと思います。

参考文献:国吉真永『沖縄・ヤマト人物往来録』

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コメント

ネットニュースで国宝指定を知って、今まで国宝じゃなかったんだ、とびっくりしたんですが、そんな経緯があったとは知りませんでした。尚氏の苦労が報われて、本当によかったですね。

投稿: あゆ | 2006年3月21日 (火) 15:05

そうですね。指定が遅いくらいの価値のある資料だと思います。ある意味、琉球王国の歴史を背負ってるわけですから、尚氏の重圧は相当なものだったのではないでしょうか。台東区への寄贈も遺産を保護するという責任からとった行動だったと思います。

投稿: とらひこ | 2006年3月21日 (火) 22:58

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