« 球人に網巾をきせる | トップページ | グスクに眠る怪死者 »

2006年2月10日 (金)

古琉球の名もなき人々

沖縄が薩摩島津氏に征服される以前の時代は「古琉球」と呼ばれています。この時代はとくに海外との貿易を活発に行った「大交易時代」として注目されていますが、沖縄に住む庶民たちはどのような暮らしをしていたのでしょうか。その実態をうかがうことのできる史料は沖縄にはほとんど存在しません。石碑のなかにわずかに庶民を「おひ人・わか人・めども・わらべ(老人・若人・女・童)」、また「たミ・ひやくしやう(民・百姓)」、「大小のゑくが・おなごども(老若の男・女ども)」などと記しています。当然ながら、庶民たちは王府より年貢や労働力を提供する存在として位置づけられています。

外国の琉球見聞録には少しばかり庶民たちの生活を知る手がかりが残されています。その一端を紹介しましょう。1477年(日本では室町時代)、朝鮮・済州島(チェジュド)の人が航海の途中、嵐に遭って琉球の与那国島に漂着します。彼らは滞在中に現地の人々やその生活を観察しています。

まず人々の容貌。島の人は青い珠のイヤリング・ネックレスをしていて、みな裸足。男の髪はたばねられ、うなじの当たりで結っていたといいます。男のヒゲは長く、へそに届くほどの長さ。女の髪も足に届くほど長く、頭の上でまとめていました。服は苧(からむし)で作られた簡素なもので、藍で青く染められ、麻や木綿製のものはありませんでした。

人々の暮らし。住居はカヤぶきで戸や窓、トイレは無し。寝床は木製。木の葉で作られた敷き物があったといいます。主食は米で、おにぎりを蓮の葉のような大きな葉に盛って食べていました。調味料はなく、海水で味付けしたスープがありました。牛・鶏も飼われていましたが、食べなかったようです。家畜が死ぬと埋めていたので、漂着民が「牛や鶏は食べるものだ。埋めてはいけないよ」と伝えると、島の人に笑われてしまったそうです。

与那国島には、現在の西表に伝えられている粗末な土器の「パナリ焼」らしきものや風葬もあったようで、現在知られている琉球諸島の文化に通じるものが存在していました。しかし一方では全く見られなくなったものもあります。まず口噛み酒。米を噛んで吐き出し発酵させたものを酒として飲んでいました。だ液のデンプン分解作用を利用したものです。また子供を可愛がっていたとありますが、どんなに泣いてもあやすことなく、そのまま放置していたとのこと。可愛がっているのかいないのか、どっちなんでしょうね。 これも一つの風習でしょうか。

島の雰囲気は盗難や争いのない穏やかなものでした。朝鮮の漂着民は島の人々と言葉は通じませんでしたが、長い滞在である程度のコミュニケーションはとれたようです。ある日、漂着民が故郷の朝鮮を思って涙を流していた時、島の人は彼の前に今年の稲と去年の稲を並べ、東を向いてこれを吹いたそうです。漂着民は「新しい稲は古い稲のように熟せば実をつける。あなたも時が熟せば帰ることができるよ」という意味であることを悟ったのです。500年前の心あたたまる交流は、漂着民の故郷への帰還によって朝鮮王朝の歴史書に記されることとなりました。

追記:口噛み酒は戦前まで祭祀などで飲まれていた、との島かまぶくさんのご指摘がありました。

参考文献:池谷望子・内田晶子・高瀬恭子編『朝鮮王朝実録・琉球史料集成』、高良倉吉『琉球王国の構造』、『新版琉球の時代』

※ランキング投票よろしくお願いします(下をクリック)

banner

|

« 球人に網巾をきせる | トップページ | グスクに眠る怪死者 »

コメント

口噛み酒は戦前まで祭祀時に作られていたと読んだ覚えがありますが、どうなんでしょうか?

投稿: 島かまぶく | 2006年2月11日 (土) 15:50

> 島かまぶく さん

それは大変失礼しました。僕は把握していませんでした。古琉球の風習が祭祀に残っていたのですね。再度調べてみます。

投稿: とらひこ | 2006年2月12日 (日) 00:26

久々に古琉球をテーマにした投稿ですね。それも民衆を視点としたものありがとうございます。
朝鮮王朝実録などがもとでしょうか・・・古琉球という時代がすこし身近に感じれる文章でした。しかし、与那国における見聞であることが難しいところだとも思います。その時八重山は、沖縄島は、奄美は・・・なんてことを考えるとますます興味の湧く話しでした。
 私は、古琉球の人々ってほんとどんな感覚で捉えたらいいのかわからなくなるときがあります。ほんとマージナルな世界だったのでしょうか・・

投稿: 嵐の中の進貢船乗船中 | 2006年2月12日 (日) 02:10

すいません、最後の「か」を「ね」に訂正です。間違いなく琉球はマージナルな世界だったでしょうから。

投稿: 嵐の中の進貢船乗船中 | 2006年2月12日 (日) 02:13

>嵐の中の進貢船乗船中さん

ようやくですが古琉球の庶民について書くことができました。

今回の話は与那国ですが、朝鮮漂着民はその後宮古から沖縄本島に渡っています。そこでも様々な庶民の暮らしを見ているわけですが、島々によって風習は若干ちがうような感じです。とくにこの時期はまだまだ琉球諸島が統一されていない時期ですから、島ごとにそれぞれ個性があったように思います。

投稿: とらひこ | 2006年2月15日 (水) 18:26

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 古琉球の名もなき人々:

« 球人に網巾をきせる | トップページ | グスクに眠る怪死者 »