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2006年2月19日 (日)

グスクに眠る怪死者

ライブドア事件にからんだ関係者の怪死事件は、光の部分があればまた闇も存在するという沖縄の現実を内外に知らしめたように思います。ところで王国時代の人骨のなかには、どうみても正常な死に方ではない、「怪死」したものがいくつか発見されています。

ひとつは浦添グスクの城壁の下から発見された人骨です。人骨は20代の女性。あお向けに横たわり、両腕と両足を胴体に密着するほど折り曲げられ、まるで何かにしばられているかのような状態で発見されました。埋まっていた深さは2メートルあまり。この遺体の上に粘土が盛られ、さらに岩をつめこんで城壁がつくられています。この時期の沖縄の埋葬法は、よく知られているように風葬です。洞窟やがけ下のくぼみなどで遺体を風化させ、骨になったら容器に入れて安置するという方法が一般的でした。当時の埋葬方法はよくわかっていない面がありますが、このような埋葬はこれまで発見例がなく、城壁の下から見つかった人骨は異常な埋葬法といえます。この人骨は、グスクをつくる際の「人柱」ではないかといわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。

首里城の右掖門付近の城壁内からも人骨が発見されています。人骨は30代から40代の男性。グスク時代頃のものです。特徴的なのは頭がい骨に刀キズがあること(キズは直接の死因ではないようです)。これまでキチンとした調査が行われていないせいもあるでしょうが、沖縄で外傷を受けた人骨の発見例はほとんどありません。なぜ刀キズを負っているのか。なぜ一般的ではない方法で葬られたのか。しかも墓地ではなく首里城内で、なぜたった一体だけ葬られたのか。その謎はいまだ解き明かされてはいません。

現存しているグスクの城壁をわざわざ壊して調査することは、ほとんど行われていません。調査が行われていない状況では、浦添グスクや首里城の例が一般的なのか、そうではないのかを確かめることはできません。もしかしたら、グスクを築く際には誰かを生き埋めにするいけにえの風習があったかもしれないのです。世界遺産のグスクを訪れる皆さんの下に、今も人知れず「非業の死」をとげた誰かが眠っているのかもしれません…

参考文献:浦添市教育委員会『浦添城跡第一次発掘調査概報』、沖縄県立埋蔵文化財センター『首里城跡・右掖門及び周辺地区発掘調査報告書』

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コメント

いつも興味深く楽しんで読ませてもらっています。
へぇーほぉーボタンを押しつつ。

当方、沖縄県産本の会社で働いているのですが、とらひこさんのブログで沖縄の歴史の本とか作れたらいいなぁと、思いつつ、読んでいます。単行本化のお話とかあるのでしょうか。差し支えなければ……と思い質問してみました。


投稿: 新城ボーダーインク | 2006年2月23日 (木) 17:46

> 新城ボーダーインクさん

コメント&訪問ありがとうございます。

ボーダーインクといえば有名な沖縄本の出版社ですね!当ブログを読んでくださり光栄です。ボーダーインクさんの本は『沖縄の土木遺産』とか『沖縄人はどこから来たか』『切ない沖縄の日々』など読みました。

このブログの単行本化の話はまだありません。
こんな薄っぺらな内容で単行本にできるのでしょうか(笑)

投稿: とらひこ | 2006年2月23日 (木) 22:31

『沖縄の土木遺産』は正確にはボーダーインクさんの発行ではありませんね。失礼しました。ホームページにあったものでカン違いしました。

投稿: とらひこ | 2006年2月24日 (金) 00:18

「土木遺産」、しぶいところを押さえてますね。
ボーダーインクで編集した本です。(ぼくではありませんが)

まさに「目からウロコ」って感じでとてもおもしろいです。
もし単行本化なんて話に興味がありましたら、
ぜひご連絡くださいませ。
お時間がある時に、ボーダーインクへメールでも送っていただければと……。

投稿: 新城ボーダーインク | 2006年2月24日 (金) 17:01

> 新城ボーダーインクさん

了解しました。

投稿: とらひこ | 2006年2月25日 (土) 01:10

検索をかけていたらこの記事にたどり着きました。
随分以前の記事で、恐縮なのですが、いくつか気になる点がありましたのでご質問させてください。

まず、「この時期の沖縄の埋葬法は、よく知られているように風葬です。」ということですが、「この時期」はいつ頃を想定されていますか?
浦添グスクや首里城右掖門付近から人骨が出た14世紀ころは、まだ風葬は一般化していない(一般化していると言える事例がそろっていない)と私は認識しているのですが。
むしろ、貝塚時代に顕著な土壙墓がまだ見られる時期ではないでしょうか?

また、浦添グスクの女性人骨の「埋められた深さは2メートルあまり。」とおっしゃっていますが、浦添市教育委員会の概報をみる限り、「2メートルあまり」は“現在の”地表面からの深さであり、女性が埋葬された時期の地表面からすれば、埋められたのは50センチにも満たない深さだと思うのですが、どうでしょうか?

あとひとつだけ、すみません。
首里城右掖門付近の人骨は「埋葬」と書かれていますが、確か風葬・崖葬だったのではないでしょうか?

突然のコメントで次々と不躾な質問をして甚だ失礼とは思いますが、お答えいただければ幸いに思います。

投稿: アラミタマ | 2010年11月22日 (月) 19:01

>アラミタマさん

14世紀頃の葬制は、瀬戸哲也氏の論文などでも書かれているように、土葬もふくめた様々な葬制であり、やがて風葬へと変遷していったようですね。4年前の記事を書いた時点では「この時期」を漠然と「古琉球期」と想定していましたが、現在の認識では改める必要があると思います。

「2メートルあまり」とは、発掘が行われた段階の現在の地表面からです。

首里城右掖門付近の人骨は、ご指摘のように崖下葬のようです。葬られているとの意味で埋葬と言う言葉を使いましたが、適切な用語ではなかったようですね。「葬られている」という言葉に変えたいと思います。

投稿: とらひこ | 2010年11月22日 (月) 23:13

とらひこさん
お答えありがとうございました!
しつこいようなんですが、一点だけ、もう少し確認させてください。

浦添グスクの埋葬人骨の件です。
私の質問の仕方が悪かったのかも知れないのですが、とらひこさんが2メートルあまりを「“埋められた”深さ」と仰っている理由についてお聞きしたかったのです。

現在の地表面から2メートルあまりのレベルに「埋まっていた」、あるいは、「掘り出された」といった表現であれば何ら問題はないと思うのですが、「埋められた」というのは、人為的であることを意味しますよね?
とすれば、「埋められた」のが人骨から50センチ足らずの粘土層までとみるのか、城壁の裏込めまで含めて2メートルあまりとするのかでまったく評価が変わってくると思うのです。

つまり、とらひこさんが、埋葬人骨を「人柱」とみなして城壁部分までを埋土と捉えて「2メートルあまり」と仰ったのか、単に現地表面からの深さを説明したかっただけなのかがよく分からなかったのです。

度々で申し訳ありませんが、またご回答よろしくお願いいたします。

投稿: アラミタマ | 2010年11月23日 (火) 00:15

>アラミタマさん

浦添市教育委員会発行の調査概報をもとに書いたのですが、「城壁裏の地ごしらえをした所」とのことから、その上にあるコーラル層、旧表土も含めての「埋められている」という表現で書きました。ただ発掘時点での高さと城壁の高さとのレベルがイコールではない以上、適切な言葉づかいではありませんね。「埋められた」でなく「埋まっていた」という表現に訂正します。

投稿: とらひこ | 2010年11月23日 (火) 00:26

>「城壁裏の地ごしらえをした所」とのことから、その上にあるコーラル層、旧表土も含めての「埋められている」という表現で書きました。


なるほど。とらひこさんは調査概報から埋葬と城壁になんらかの関連があると考えて、“城壁”にも「埋められている」と表現されたかった訳ですね?理解しました。

歴史観の持ちようは人それぞれですので、これは余談なんですが、私は、調査概報からは埋葬と地ごしらえのどちらが先に行われたのか判断できない(埋葬と地ごしらえの関係は分からない)と考えました。
つまり、地ごしらえされた所に埋葬されたのか、埋葬された後に地ごしらえが行われたのか、また、後者であれば、その時間差は5時間程度のものなのか50年以上の開きがあるものなのか、よく分からない訳です。
調査概報に依拠する限り、埋葬と地ごしらえの関連は慎重に読み解いた方が良いと思う次第です。

ご回答ありがとうございました。

投稿: アラミタマ | 2010年11月23日 (火) 13:00

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