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2006年1月16日 (月)

東郷平八郎と為朝伝説(2)

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前回紹介した「日琉同祖論」の根拠とされる源為朝の琉球渡来伝説について詳しく述べていきましょう。この為朝伝説は琉球が日本のものであることを示すために主張されたものと一般的に考えられています。これに関連して、近世琉球の政治家である羽地朝秀(向象賢)も薩摩の支配を肯定するために「日琉同祖論」を唱えたとされます。しかし一般に広まっているこれらの説は誤解であることが最近の研究で明らかになっています。

まず、羽地朝秀は「日琉同祖論」を薩摩の支配を肯定するためには主張していません。羽地は数々の琉球の旧制度を改革していましたが、この一環で国王の久高島参詣を廃止する根拠として、この「日琉同祖論」を主張しているのです。久高島は琉球の神々が農耕をもたらした「神の島」とされていました。この「琉球独自」の神を拝むための参詣を批判するために、「琉球の五穀も人も日本より渡ってきたものだから独自性などない。だから久高島を参詣する意味もない」と主張したわけです。羽地はむしろ「五穀」を主眼としていて、そこには薩摩支配の肯定も、日琉民族が同じだという意味も込められていません。だから羽地が薩摩支配を支持するために「日琉同祖論」を唱えたとするのは間違いです。

当時、島津氏の琉球支配の根拠となっていたのは、室町幕府から琉球を賜わったとする「嘉吉附庸説」です。羽地も「琉球が日本に“朝貢”を開始したのは永享年中(室町時代)である」と述べています。

為朝の琉球渡来伝説はどうでしょうか。この伝説は薩摩の征服以前に、渡来したヤマト僧など一部ですでに唱えられたようですが、当時の日本や琉球では一般には受け入れられませんでした。この伝説は『保元物語』にある「為朝の鬼が島渡り説話」などがもとになったと考えられています。そもそも、この伝説はあくまでも「王室」の起源神話であって、琉球の住民全体を「日本民族」とする話とは全く関係ありません。

では為朝伝説や「日琉同祖論」は、琉球を併合するために明治政府が出してきた主張だったのでしょうか。実はそれも違います。明治政府は琉球領有の根拠にこれらの説を全く主張していないのです。根拠としたのは江戸時代に薩摩が琉球から税を徴収した事実でした。「日琉同祖論」は全く問題にされていないのです。この頃の日本側の学者は同祖論を否定すらしています。

このように「日琉同祖論」や同祖論の根拠としての為朝伝説は、薩摩支配下の琉球王国に起源があるわけでもなく、明治政府が琉球領有を正当化するための根拠でもありませんでした。つまり近代まで「日琉同祖論」は事実上、存在しなかったといってもいいでしょう。

【写真】は為朝上陸の碑の立つ丘から眺めた運天港

参考文献:與那覇潤「「日琉同祖論」と「民族統一論」」(『日本思想史学』36)、村井章介『東アジア往還』(朝日新聞社)

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コメント

こんにちは。

さすがに為朝伝説だけでは
「日琉同祖」と出張は出来ないでしょう。

為朝伝説自体は薩摩支配を少しでも正当化するためにあのような形になったのではないかと思いますが・・・
(島津家が源氏の血を引いていると出張していたので)

投稿: T・ランタ | 2006年1月17日 (火) 12:21

> T・ランタさん

そうですね。たしかに島津氏の外交ブレーンだった南浦文之も為朝伝説について述べています。

しかし島津氏は琉球支配の根拠として、室町幕府から琉球を賜ったとする「嘉吉附庸」説を第一に主張して正当化をはかっています。為朝伝説はそれほど強調されていません。

「日琉同祖論」を主張した当の羽地も「琉球が日本に"朝貢”を開始したのは永享年中(室町時代)である」と述べています。羽地自身も支配の根拠を為朝伝説や「日琉同祖論」に求めていないんです。

投稿: とらひこ | 2006年1月17日 (火) 20:14

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