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2006年1月23日 (月)

東郷平八郎と為朝伝説(3)

近代以前には存在していなかった「日琉同祖論」は、どのように生まれてきたのでしょうか。羽地朝秀の「日琉同祖論」とその根拠としての為朝伝説を「発見」して主張したのは、実は戦前の沖縄側の研究者でした。

沖縄の歴史を研究する東恩納寛惇は、日本本土の研究者と為朝伝説の信憑性を論争するなかで、“王族の起源神話”としての為朝伝説を“沖縄人全体”の問題として読みかえてしまいます。さらに羽地が久高島参詣を批判する根拠とした「日琉同祖論」も、琉球人が日本民族と同じであることを主張したものと解釈してしまいます。「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷も羽地の同祖論を取り上げ、彼が述べた前後の文脈を無視して「日琉同祖論」を唱え、琉球人には日本人の資格がある証明としたのです。

東恩納や伊波ら沖縄地元の研究者が唱えた「日琉同祖論」は、やがて本土でも一般に流布していきました。琉球の日本帝国への編入は、かつて別れた同胞が一つとなった「民族統一」として、評価されていきます。そして大正天皇の即位の際、その“功績”を認められた羽地朝秀は天皇から正五位を贈られました。さらに戦後、沖縄の日本復帰に際して、羽地朝秀は「本土の源流に復帰する」ことを目指した人物として位置づけられます。現在わたしたちが認識する「日琉同祖論」は、このように形成されたのです。

なぜ支配された側である沖縄から、支配を正当化するような主張が生まれてきたのでしょうか。琉球処分後、沖縄では王国の復活をめざす動きはありましたが、日清戦争で日本が勝利した状況では、日本のなかで生きていく以外の選択肢は沖縄の人々には残されていませんでした。沖縄側の研究者は琉球と日本との共通点を見出して「日本のなかの沖縄」の現実を生きていく歴史論を主張したといえるのではないでしょうか。(ただし伊波普猷は沖縄が日本帝国の一部であることを容認しながらも、沖縄の独自性も重要視しています)

野蛮で遅れた地域とされた沖縄は、戦前、様々な差別的待遇を受けました。沖縄にとっての近代化とは、=日本化でもありました。沖縄の人々は旧来の価値を否定し「日本人」となることで、差別的な待遇を解消しようとしたのです。例えば経済学者で後に日本共産党にも入党した河上肇が講演で、「沖縄には独自性があり、本土と違って忠君愛国の思想が薄い。歴史を見るとこのような場所から偉人が誕生する」と指摘したのに対し、県内マスコミは河上に非難の集中砲火を浴びせます。いわゆる“河上肇舌禍事件”です。河上肇は沖縄の持つ可能性を評価したつもりだったのですが、皇国日本への同化に力をそそいでいた沖縄社会のリーダーたちにとっては、県民の「忠君愛国」思想を否定する彼の発言は許しがたいものだったのです。

戦前の沖縄の人々は立派な「日本人」となることをめざして努力していました。先に見た運天港の「為朝上陸の碑」も、そのような状況で沖縄の側から積極的に作られたのものでした。このような沖縄の人々が行ってきた努力は、「沖縄戦」というかたちで帰結することになります。

参考文献:與那覇潤「「日琉同祖論」と「民族統一論」」、高良倉吉『琉球王国』

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コメント

>「日本のなかの沖縄」の現実を生きていく歴史論

そうですよね。
私もここの参考文献にも紹介されている、高良倉吉『琉球王国』 を読み、“河上肇舌禍事件”の詳細を読み、驚きました。
「独立論」(今でもあるらしいですね)は現実にそぐわない、乱暴な考え方だと思います。
残念な形に帰結したとはいえ、先人の方が賢いです。

投稿: ふえきのり | 2006年1月30日 (月) 18:43

独立かそうでないかという議論は、「歴史的な由来」が選択の決め手になるのではなく、現代を生きる我々にとって、よりよく暮らせるかどうかという問題から考えるのが一番大事なのではないかと考えます。

ただ戦前の沖縄の人々は、必ずしも喜んで「賢い」生き方を選択したわけではないのです。そもそも選択肢はなかったわけだし、彼らがそれを選ばざるをえなかった「悲哀」も忘れてはいけないように思います。

投稿: とらひこ | 2006年1月30日 (月) 22:20

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