オランダの旗を掲げていた琉球船
対外世界と活発に貿易をしていた琉球王国は、当然のことながらたくさんの船を所有していました。琉球の船は中国でつくられたものと同じ形の「ジャンク船」と呼ばれる船でした。この琉球船にはオランダの旗が掲げられていたことはご存じでしょうか。琉球船を描いた絵図にはオランダの旗と見られる三色旗が描かれたものがあります。なぜ琉球船はオランダの旗をかかげていたのでしょうか。
その理由は琉球が1609年島津氏に征服され、日本の幕藩制国家の傘下に入ったことにあります。江戸時代、オランダは長崎の出島に商館を置き、西洋諸国のなかで日本との貿易を唯一許された国でした。貿易とはいいますが、この時期のオランダは自分たちの貿易以外に、敵対する船を襲って積荷を強奪することが重要な任務でした。つまり味方以外の船に海賊行為を行うことも仕事だったのです。オランダはイギリスと手を組んでスペイン・ポルトガル、中国船を襲って次々に積荷を奪いました。例えば日本から東南アジアに向かうあるオランダ船の積荷は90パーセントが海賊行為で奪った品だったといいます。
海賊にひとしいオランダ船が行きかう中で、琉球船も同じ海域を航海しなくてはなりませんでした。中国船と同じ形の琉球船は彼らに見つかれば襲われてしまうかもしれません。そこで琉球船はオランダの敵ではないと示すためにオランダの旗とオランダ商館が発行した通航許可証を持って貿易に出かけたのです。これらは当時琉球を征服していた薩摩藩を仲介して長崎のオランダ商館から手に入れました。
徳川幕府もオランダに琉球船を襲うことを禁止する通達を出していました。江戸城に赴いたオランダ商館長は将軍にお目通りをした後、老中から通訳を介して「琉球は日本に従う国なので襲ってはならない」という通達を読み聞かされました。このお達しは実際に効果を発揮したようで、琉球船がオランダ船に襲われた記録は全くありません。海上で琉球船とオランダ船が遭遇した場合、オランダ船はオランダの旗をかかげられている船を見て「これは琉球船だな」と確認して素通りしたのでしょう。琉球船のオランダの旗は一種の通航許可証として使われていたわけです。
参考文献:真栄平房昭「17世紀の東アジアにおける海賊問題と琉球」(『経済史研究』4号)
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