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2005年10月 1日 (土)

中国皇帝を超えた琉球王

琉球王国は中国(明・清)の冊封・朝貢体制下(つまり中国に臣下の礼をとり、皇帝から王として認めてもらうこと)にあったことはよく知られた事実です。

May22250_1 琉球国王が王として即位する際には中国から琉球へ冊封使(さくほうし)と呼ばれる使者が渡航し、首里城正殿前の御庭(うなー)において王に対し「なんじを琉球国王に任命する」と宣言する式典が行われました。その際に様々な贈り物とともに、国王には皮弁冠服(ひべんかんふく)が与えられます。これは国王が着用する中国風の王冠【画像・クリックで拡大】と衣裳です。

この中国の冠服は身分ごとに着用すべき服が厳格に定められていました。琉球国王は郡王ランクに位置付けられていて(日本や朝鮮はひとつ上の親王ランク)、それに応じた服が与えられたわけです。具体的には、郡王ランクは冠に並ぶ宝石や玉の飾りの列が7列に作られていました。 もちろん、この冠服制の頂点にあるのは中国皇帝です。

ところが江戸時代初め頃に当たる17世紀、漢民族の明王朝は北方の女真(満州)族の清に滅ぼされてしまいます。超大国の中華・明朝が辺境の蛮族にすぎないと考えられていた女真族に滅ぼされたことは、アジアの周辺地域に大きな衝撃を与えました(直接には李自成の反乱で滅ぼされるのですが)。当時の人がどれぐらいの衝撃を受けたかといえば、現代で例えれば超大国アメリカでクーデターが起こり、アルカイダなどのテロリスト集団に乗っ取られてしまったぐらいの衝撃をおそらく受けたはずです。

琉球でも宗主国の明が倒れてしまったことで大騒動になります。中国との貿易で成り立っていた琉球は明・清のどちらにつくかでもめますが、結局、優勢であった清朝に臣下の礼をとり、ひとまず一件落着します。しかしこれ以降、琉球国王の衣裳にある変化が起こります。国王の冠の玉列がそれまでの郡王ランクの7列から一気に12列へと増えるのです。この列の数は、実は皇帝ランクに相当します。琉球国王は自らを中国皇帝の地位に格上げしたのです。しかも玉の数は皇帝の冠のものを超えます。

こんなことをすれば中国皇帝が黙っているはずがありません。しかし、実際には何のおとがめもありませんでした。なぜかというと、明朝にとって替わった清朝は漢民族の冠服制を廃し、満州族独自の冠服制を採用したからです。琉球は明朝が滅びても、そのまま明の冠服制度を踏襲しました。それぞれ別の制度であったため、罪に問われなかったのです。清朝も琉球が朝貢国として忠実に従ってくれさえすれば良かったので、清の冠服制を無理強いすることはありませんでした。

琉球はそこに目を付け、明朝風の冠服を自分たちで制作し、中国風の儀礼をさかんに行うようになります。琉球国王は清の冊封体制に参加し、日本の徳川幕府の従属下にありながらも、琉球世界においては「中国皇帝を超えた存在」として君臨することになるのです。

ちゃっかりしてるというか、せこいというか…しかし、大国のはざ間におかれ、小国ながらもしたたかに生きる琉球の姿が見えるようで、何とも面白い話ですよね。

※【画像】は親王ランクの皮弁冠。『中東宮冠服』中の画をとらひこが筆写

参考文献:豊見山和行「御後絵からみた琉球王権」(高良倉吉ほか編『新しい琉球史像』)

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コメント

ちょっと違う話になるかも知れませんが、守礼門の扁額の話など中国に対する外交はホントちゃっかりしてると言うか、面白いですよね。
万国津梁鐘の文なんかは冊封使に見られたくなかったのでは・・・なんて話も聞いた事ありますし。
わたしも見習いたかったりします(笑)

投稿: bloggusuku | 2005年10月 2日 (日) 22:41

そうですね。でも、中国のほうも、もしかしたら気付いてて知らぬふりをしてたのかもしれませんね。そうするとまた面白いかもしれません。

外交についてはペリーが来た時なんかも、ノラリクラリでかわそうとしてますよね。今の日本外交にも参考にしてもらいたいぐらいです(笑)

投稿: とらひこ | 2005年10月 3日 (月) 01:21

 琉球王国は賢帝によって統治されていたという証拠ですね。どっかの半島の日本を貶める事に躍起になってるボケ人種とは違って…
 しかし、明もそのボケ人種に滅ぼされてるんだから、如何に国政が堕落してたかが分かりますねえ…日本も指をくわえてると明の二の舞になるぞ。

投稿: むぎ魔王 | 2005年10月 4日 (火) 22:26

当時の明は政治が乱れていたのは事実ですが、中華(明)の滅亡と夷(清)の勃興は、当時の東アジアで起こっていた国際秩序の解体と、経済的な動きがその背景にあったといわれています。

清は当時の中国の人に蛮族と考えられていただけで、実際は非常にすぐれた軍事・政治組織を持っていました。だからこそ広い中国を支配できたわけです。この時期の清の康煕帝は中国史上で最もすぐれた皇帝と言われています。

話はそれますが、無料パソコンテレビGyaoで、いま中国の大河ドラマ「康煕王朝」がやっています。けっこう面白いですよ。

投稿: とらひこ | 2005年10月 5日 (水) 00:56

とらひこさん、
こんにちは。


それまでは、はっきり言って
交易史そのものには
全く興味なかったんですが、

bookを読んでいくうちに
ハマリつつありますcat


で、またまた質問ですsign03

琉球は中国から
優遇されてたそうですが、
琉球は郡王クラス。
日本はそれより上の親王クラスってことは、
日本の方が優遇されてたわけではないのですか?

ランクと待遇は
別ものですか?(@_@)

投稿: あまりりす | 2008年11月13日 (木) 20:55

>あまりりすさん
交易史は僕の専門ですが、アジアのダイナミックな世界で沖縄をとらえることができるのでおもしろいですよ。

ご質問についてですが、朝貢した各国王のランクと待遇がどのように連動していたかどうかは詳しくみたことがないのでわかりませんが、琉球の場合は、朝貢貿易に関して他国より突出して優遇されていたわけで、別格扱いといっていいかもしれません。

なのでランクはあくまでも理念的な秩序のなかの形式なもの、外交・貿易上の待遇は当時の国際状況のなかで必要だった現実的な対応、という風に区別したほうがいいかもしれませんね。

あまり確かなことを言えずにすみません。

投稿: とらひこ | 2008年11月17日 (月) 00:16

とらひこさん、
お応えいただきありがとうございます。


肩書きでは、中身まで
はかることが出来ないんですねcatshine


先日、『琉球・清国交易史』という『歴代宝案』を研究したbookを読んでみましたup

琉球って、中国に
「ラマ?と駱駝を下さい」って言ってるんですねeye

面白いhappy02

もし、頂いていたら、
沖縄は、また今とは違った光景だったでしょうね。

投稿: あまりりす | 2008年11月17日 (月) 13:28

>あまりりすさん
いろいろな本を読んで勉強されてるんですね。すごいです。

馬も外来生物ですから、沖縄にいまラクダがいても不思議ではないかもしれませんね。

投稿: とらひこ | 2008年11月19日 (水) 23:08

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