“世界遺産”中城に嘆く
先日、久しぶりに中城(なかぐすく)城跡を訪れました。中城は15世紀の護佐丸(ごさまる)の居城で、当時の首里城にも匹敵する大型グスクです。沖縄県内でも数少ない保存状態の良好なグスクで、世界遺産にも登録されました。
その中城を見て、がく然としました。現在整備が進められている中城ですが、南の郭の御嶽(ウタキ)内のイビ(聖石)に生えていた樹木がキレイに伐採されているのです【写真】。勝手に生えてきたジャマな雑木だから切ればいい、と思うかもしれません。たしかに自生したものもあるでしょう。しかし、ウタキのなかに生えた木々はそのような木ばかりではないのです。
ウタキの域内に生えた木はガジュマルやクバが多いのをお気付きでしょうか。実はこれらの木は“聖木”“神木”とされ、聖地であるウタキへ神が降りてくるための依代(よりしろ)とされていました。つまり、ウタキ内に生えているガジュマルやクバは意図的に植えられたものである可能性が高いのです。
例えば首里城内にある首里森御嶽は、聖地であるウタキを石垣で囲み、内部に樹木が植えられています(ここを参照)。これは聖木としての樹木も一緒に復元したものです。また糸数グスク内にあるウタキ(糸数城之御嶽)も、聖地の本体であるイビを石垣で囲っていますが、そのイビにガジュマルが根付いているのが確認でき、さらにはクバもあります【写真】。とくにクバはウタキの域内にしか生えておらず、意図的に植えられたものであることがわかります。おそらく王国時代に植えられた聖木のガジュマルやクバが、そのまま成長して残っているものと考えられます。
つまり聖地の本体であるイビと石垣、そして聖木がセットになってはじめて“ウタキ”だといえるのではないでしょうか。ウタキ内の木も遺跡の一部なのです。中城の南の郭にあるウタキの聖木がいつ植えられたのかわかりませんし、もしかしたら偶然生えたものなのかもしれません。しかし沖縄の歴史について少しでも理解があれば、せめて現状を維持して後の調査を待つ、という選択もできたはずです。少なくとも今回の整備は、“世界遺産”の景観を美しく整備するという、行政的な論理のみで処理されたとしか考えられません。
これまでほとんど未整備であった中城は、石垣のすき間に樹木が生えて石垣が崩壊する危険がありました。当然、それらを切る必要はあると思いますが、ウタキのイビに生えたガジュマルは中城を破壊するような危険性はなかったと思います。今回の「整備」について僕は疑問です。
「世界遺産」とは何でしょうか。テーマパーク化して観光客を呼ぶためのブランドなのでしょうか。遺跡を開発や破壊から守り、本来の姿を維持するはずの目的が、世界遺産に認定されることによって、逆に本来の姿が失われてしまうという皮肉な結果を生み出すことになりかねません。
世界遺産を沖縄県の一行政村にすぎない中城村が整備するのは大変な困難をともなうことだと思います。しかし、もう少し沖縄の歴史・文化を考慮したうえでの整備を行ってほしい。たかが木じゃないか、と思うかもしれませんが、今回の問題は「世界遺産」と観光地化、沖縄の史跡整備という重要な問題を内包しているのです。
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コメント
はじめまして。
いつも面白く読ませてもらっていますが、今回の記事は考えさせられました。
遺跡の整備と言うのは難しいですね。全くの手付かずと言うのも見ますが、下手に手を加えては戻しようがありませんね。さらに整備したはいいがその後は放ったらかしで荒れ放題、と言うこともあります。
>「世界遺産」とは何でしょうか。テーマパーク化して観光客を呼ぶためのブランドなのでしょうか。
もしそうだとしたら本末転倒だと思います。
あとグスクにガジュマルが多い理由が分りました。意図的に植えられたものもあるわけですね。
それでは失礼します。
投稿: T・ランタ | 2005年10月22日 (土) 11:33
お久しぶりです、とらひこさん。
むかし本土の神社について、やはり南方熊楠が、「木を伐るな、空き地を削るな!」と怒っていました。
というのも古い神社って、だいたい建物は大したことない。鬱蒼と茂った「鎮守」の森・川・浜らがあってこそ、「精霊」の気配が感ぜられるものだからです。森を伐り払って、ちょっと建物を改装したり、ごたいそうな「神話」の由緒とかつけたって、全然ありがたくないし惨めなだけ。まわりに古い自然のない神社なんて、人工的なばっかりで空虚なものです。
ウタキは神社の元型に近いかと思うので、この問題はやはり同じだろうと思いました。
投稿: 弓木 | 2005年10月23日 (日) 20:01
> T・ランタさん
はじめまして。いつも訪問ありがとうございます。
T・ランタさんのブログも拝見しましたが、たくさんの史跡をまわっていますね。それらの経験にもとづくコメントには重みがあると感じました。整備後のケアの問題も考える必要がありますね。
>弓木さん
ご指摘の通りだと思います。現代の我々の感覚では何もなくても、古代人たちがそれをどうどらえられたかを考慮しながら慎重に整備を進めていくのは当然だと思います。
今回のことはそれが「世界遺産」で行われたということでとても残念です。
投稿: とらひこ | 2005年10月24日 (月) 19:29
依代…やっぱりそうだったんですね!
火の神に捧げる枝はどうして決まってるんだろう?と
ずっと考えていたら、先日ふと「依代」という言葉が浮かびました。
沖縄では道路工事などでガジュマルを1本でも伐採すると
問い合わせがあるらしく「ガジュマルは移植しました」と
国道沿いで立て看板がたてられてるのを見かけたりします。
なのにウタキのガジュマルがあっさり伐採されたとすると
これは大問題だわ~。
投稿: pyo | 2005年10月28日 (金) 15:11
> pyoさん
道路工事のガジュマルについては初耳です。ちゃんと見てる人がいるんですね。
でもウタキのガジュマルはそこらの街路樹の比ではないと思います。切られた神木がいつ生えたものかわかりませんが、もし意図的に植えられたものだとすれば、これは「文化財」の破壊以外の何者でもありません。
投稿: とらひこ | 2005年10月29日 (土) 23:19
おひさしぶりです。
この後どうなったか、ご存知ではありませんか?
投稿: びん | 2006年2月27日 (月) 03:23
>びんさん
コメントはびんさんのブログのほうに書かせていただきました。
投稿: とらひこ | 2006年2月27日 (月) 12:28
先日、磁石でひきつけられるかのように、
中城城跡を取材してきました。
もう一度、訪れてみようと思っていますが、
近々、レポートをブログかRIKに掲載予定です。
投稿: KUWA | 2006年2月27日 (月) 15:21
>KUWAさん
コメント&遅れましたがトラックバックありがとうございます。
中城の問題が今回の久高島の事件と同じようなものなのかは、もう少し事実関係を把握してから結論を出したほうがいいような気がしますが、ウタキの木が伐採されているというのは事実です。中城の取材、できましたら読みたいと思います。
投稿: とらひこ | 2006年2月27日 (月) 22:26