お妃さまの選び方
かつて沖縄に存在した琉球王国は、1879年(明治12)、明治政府によって日本に併合され消滅しました。首里城は政府によって接収され、城内にあった膨大な記録や宝物は四散して、王国時代を知るための手がかりはほとんど失われてしまいました。
ところが、戦前まで沖縄には首里城内に勤めていた女官や役人など「王国の記憶」を持つ人々が存命していました(彼らはほとんど沖縄戦で亡くなったようですが…)。考えてみると、現在から数えても琉球王国は滅亡してわずか120年ほどしか経っていません。琉球王国の時代は遠い過去の話ではないわけです。彼らは首里城内の儀礼や風習などを鮮明に記憶していて、戦前その話を真栄平房敬氏が聞き取っています。現在残されている記録からではわからない王国時代の貴重な証言の一端を紹介しましょう。
首里城の大奥(御内原)に勤めていた女官たちの証言によると、王のお妃は大変おもしろい方法で選ばれていました。
審査は王府の役人と女官たちによって行われ、まず、庭でまりつき、片足とび、2人が手をつないで引っ張り合いながらグルグルまわる遊びをさせて、他と比較しながら候補者をチェックします。役人や女官が、候補者たちの戯れる姿を真剣に見つめている光景は何だか滑稽ですね。そして室内に通して歩き方や足音を見てしつけができているか確認します。
次に個人面接。これは今の就職の面接とだいたい同じかもしれません。面接を通して教養や言葉遣い、性格などを見るそうです。さらに候補者たちに食事をとらせて食べ方をチェックします。そこでの重要なポイントは、ハシをなめた長さです。ハシをなめた部分が長いのは減点の対象となります。候補者たちはいかに口にハシが触れないでものを食べるか、親と「巨人の星」のように特訓したかもしれません。
このような審査の過程で、候補者は2~3名にしぼられてきます。最終審査は独特の内容になっています。黄金のハサミを畳の下のどこかに隠しておき、最終候補者たちをその部屋に入れて好きな場所に座らせます(場合によっては再度行う)。隠したハサミの上に座れば見事!当選です。王妃になるべき徳の高い人物は黄金のハサミの上に自然と座るものだと信じられていたようです。王妃となるために血のにじむような努力で礼儀作法や教養を身につけたとしても、最後は宝くじのような運だめしだったわけです。
琉球最後の王、尚泰王の時の王妃選びでは、最終候補者の佐久真殿内(どぅんち)と浦添殿内の娘が「ハサミくじ」を2度行って、1度目が佐久真、2度目が浦添で勝負は五分五分でした。ちなみに尚泰王は絶世の美人であった浦添の娘に心をよせていました。ハサミくじは対等であったために歴史記録を調べたところ、かつて佐久真家出身の王妃をめとった尚貞王は長生きして、浦添家出身の王妃をめとった尚温王は短命であったことが判明、先例を参考にして佐久真の娘に決定したということです。尚泰王はさぞかしガッカリしたことでしょうね。
参考文献:真栄平房敬『首里城物語』
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コメント
おもしろいですね!まるで「萌え~」感覚の選出方法まで織り交ぜられているなんて。尚泰王・・南無・・
投稿: うさぎ | 2005年10月 9日 (日) 11:34
>うさぎさん
「萌え~」感覚とはどこらへんがでしょうか(笑)
ちなみに落選した浦添の娘は別の男性に嫁ぎましたが、夫は絶世の美人である彼女をまともに見ることができず、いつも障子の外からこっそり見ていたということです。
投稿: とらひこ | 2005年10月10日 (月) 09:09
私の祖父(戦死)も城に務めていて、
父は、城内の学校に通っていたそうです。
袴なのに、裸足だったとか?(笑)
こちらのエントリを読んで思い出しました。
投稿: naname | 2005年10月10日 (月) 14:32
>nanameさん
それはそれは。おじいさんやお父さんは貴重な経験をされたんですね。うらやましいです。
昔の首里城のことをいろいろ聞いてみたかったです
投稿: とらひこ | 2005年10月12日 (水) 00:43