« お妃さまの選び方 | トップページ | “世界遺産”中城に嘆く »

2005年10月16日 (日)

雪舟が出会った古琉球人

雪舟といえば室町時代の水墨画家の大家です。彼が子供の頃、涙でネズミを書いてそのうまさに和尚さんが驚いたというエピソードを皆さんもご存じかと思います。雪舟は1468年、遣明船の使節として明(中国)に渡り、数年間水墨画の勉強にはげみました。実は中国滞在中、彼は琉球人に出会ったらしいのですが、その事実はそれほど知られていません。

雪舟は滞在中、中国で出会った様々な人たちをスケッチしています。それが「国々人物図巻」です。日本では見ることのできない異国人たちは雪舟にとって好奇心の対象だったにちがいありません。図巻には王や官人、女性、そして高麗人や女真国人、天竺人などと並び、琉球人も描かれています【画像】。

Photo_3 この琉球人、おそらく現存する唯一の古琉球人画像です。ゆったりとした服、ハダシ、頭の左側に結ったマゲが特徴です。前に琉球人のマゲとターバンの話でも書きましたが、琉球人の髪型として知られるカタカシラは、本来は頭のてっぺんではなく片側のモミアゲあたりに結っていました。【画像】の琉球人が頭の上に結髪してないのは明白です。つまりモデルチェンジする前の琉球人の髪型を描いたものだとわかります。

しかし「国々人物図巻」は雪舟の記名がありません。あくまでも「伝」雪舟画ということで琉球人画像が本物かどうか疑問視される方もいるかもしれません。

ではこの当時の琉球人はどういう姿をしていたのでしょうか。別の記録からみていくと、琉球人はそで口の広い服を着ていて、そで口には五色の糸を使った獣形の刺繍(ししゅう)があり、それを身分の目印にしていたそうです。足はハダシあるいはゾウリをはき、冠をかぶらず、頭の左側(右側という記録も)に髪を結っていたとあります。

これらを見ると、雪舟が描いたといわれる琉球人は単なるイメージで描かれたのではなく、実際の見聞をもとにして正確に描いたと考えたほうがよさそうです。雪舟は中国に滞在していたので、その時に中国に朝貢してきた琉球人と出会って、彼らの姿をスケッチしたのではないでしょうか。

大河ドラマ「琉球の風」に登場する琉球人は近世(江戸時代)に登場する姿をもとにつくられていますが、実際はそのような姿はしていなかったわけです。これは資料がないからという理由もあるでしょうが、今度琉球のドラマをつくる時には、雪舟が描いたといわれる琉球人を参考に制作されたらいいな、と思います。

※【画像】は「国々人物図巻」中の画をとらひこが筆写。着色は想定

参考文献:豊見山和行『琉球王国の外交と王権』

※ランキング投票よろしくお願いします(下をクリック)

banner

|

« お妃さまの選び方 | トップページ | “世界遺産”中城に嘆く »

コメント

近世史を勉強しているうちに「大河ドラマの格好って、ちょっと時代に合ってなかったんじゃないか?」という疑問が湧いていたんですが、今回の記事でなるほどと思いました。
何だか偏頭痛を起こしそうな髪型ですね(笑)

それにしてもとらひこさん、描き慣れた感じがしますね~。

投稿: 茶太郎 | 2005年10月16日 (日) 14:57

>茶太郎さん

さすが茶太郎さん、するどいですね。
でも実際に当時の格好をさせるのは資料も少ないですし、至難のわざだったと思います。

絵は少々描いていたことがありますが、今回描いたのは10年ぶりぐらいです。意外とよくできたので、これからもちょこちょこ載せていきたいと思います。

投稿: とらひこ | 2005年10月17日 (月) 21:50

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 雪舟が出会った古琉球人:

« お妃さまの選び方 | トップページ | “世界遺産”中城に嘆く »