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2005年7月 9日 (土)

首里城の謎(4)死者の王宮

琉球国王の一族を葬った墓所は玉陵(たまうどぅん・玉御殿)という場所で、現在世界遺産にも登録されています。守礼門を那覇市街側に下って首里高校の対面に位置します。実はこの玉陵、首里城の歴史を知る上で重要な情報が秘められているのです。

玉陵の創建は1501年。琉球王国最盛期といわれた尚真王の時代に造られました。玉陵の最初の石門を入って左側に古い碑文が立っています【写真】。この碑文には玉陵に死後葬られるべき人々の名前が記されていて、尚真王をはじめ母のオギヤカ、尚清王などの名前があげられています。前回述べた浦添尚家の尚維衡は尚真王の長男なのですが、碑文中には記されていません。つまり玉陵は基本的に首里尚家一族の墓所なのです。

CIMG0113

尚維衡を排除した碑文の規定には、尚真王の母であったオギヤカの意志が強く働いていると見られます(オギヤカについてはまたの機会に述べます)。この碑文の最後には「千年、一万年もこの規定を守り、もし背く人がいれば、天に仰ぎ地に伏して祟るべし」と書かれています。まるでオギヤカの呪いが込められているようです。ところが、除外された尚維衡の遺骨は浦添ようどれに葬られた後、尚清王によって玉陵に移されました。一万年も守るべき約束で背けば祟られると書いてあるにも関わらず、王様が真っ先にやぶってしまったわけですね。

玉陵は石灰岩で造られていますが、その形を見てみると、板葺きの屋根、基壇の上に取り付けられた砂岩の欄干・正面の階段があり、ある建物をモデルにして造られていることがわかります【写真】。その建物とは首里城の正殿ではないかと考えられます。つまり王族の眠る墓所を、生前に住んでいた首里城正殿そっくりに模したのではないでしょうか。

CIMG0122

現在の首里城は18世紀(江戸時代頃)に建てられた建物を復元したものです。それ以前の首里城の建物は全く別の姿をしていました。まず赤瓦になったのは18世紀頃で、それ以前は黒色の瓦でした。さらに1671年以前は瓦ではなく板葺きだったことがわかっています。

玉陵は時代ごとに何度か改修された可能性もありますが、造られた1501年当時の首里城正殿の姿をある程度反映していると見て間違いないでしょう。玉陵からは尚真王時代の首里城正殿をうかがうことができるのです。それはまさに「死者の王宮」というべきものだったのではないでしょうか。

参考文献:首里城公園友の会編『首里城の復元』、高良倉吉『琉球王国史の課題』

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