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2005年6月19日 (日)

沖縄戦・奇跡の生還-祖父母たちの戦争-

6月23日は沖縄戦が終結した日で沖縄では「慰霊の日」として休日となっています。とくに今年は戦後60年という節目の年でもあります。沖縄戦にちなんで僕の祖父母の戦争体験のお話です。

僕の祖父は戦争中、陸軍の第9師団(武部隊)に所属していました。第9師団は満州の関東軍から沖縄へ配備された沖縄守備軍の最精鋭部隊として知られていました。本来なら、この第9師団が主力となって米軍を食い止めるはずでした。ところが大本営は台湾への米軍侵攻を恐れて昭和19年に師団は台湾に転出させられ、祖父も台湾へ移動します。大本営の当ては外れ、結局台湾への敵上陸はありませんでした。台湾での祖父は毎日海岸で塹壕掘り。そのうち栄養不足から脚気になって入院、終戦を迎えます。大本営の判断ミス(結果的には)で祖父は運良く沖縄での戦闘をまぬがれたのです。もしそのまま沖縄にいれば恐らく生きて帰るのは難しかったでしょう。また沖縄に駐屯せず満州にいれば、その後のソ連軍侵攻でどうなったかわかりません。ともかく祖父は一度も戦闘に遭遇することなく、生き残ったのです。

祖母は「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文で有名な太田実中将指揮下の海軍部隊で看護婦として従軍していました。戦闘の途中、流れ弾が頭部をかすり意識不明となり、祖母は死んだと勘違いされて、うず高く積まれた死体の山に投げ捨てられてしまいます。死体に埋もれた中でそのまま放置されていたのですが、偶然にも祖母のちょうど手の部分だけが表に見えていて、その手がかすかに動いたために発見され助け出されました。運良く手が出ていなければ、さらにかすかに動いた手に誰かが気が付かなければ…そのまま衰弱して誰にも知られず死んでいたかもしれません。

さらにある日の夜。壕にこもっていた祖母は、友人に月を見に行かないかと誘われます。もちろん上官に見つかれば大目玉です。祖母も当時若かったですし、ちょっとした出来心でコッソリと壕を抜け出して月を観賞しに行きます。ところが壕に帰ってみると、様子がおかしい…何と米軍の襲撃!壕のなかの全員が火炎放射器で黒コゲになって死んでいたのです…!何という偶然でしょうか。あの時、友人が月見に誘わなかったら…規則を守って誘いを断っていたら…そう考えるとゾッとします。この話を聞いた時、人の生死・運命は紙一重の差なんだなと思いました。そして祖母の強運に驚きました。何十年も立った記憶による証言ですから、きちんと検証する必要はあるでしょうが、祖母が過酷な体験をしてきたのは事実でしょう。

考えてみると戦争体験を語っている人というのは、あの戦争を生き残っているわけで、誰もが強運の持ち主といえるのではないでしょうか。祖父母がいなければ今の自分は無いわけで、今いる自分という存在は当たり前のものではなく運命のいたずらの結果にすぎないんじゃないか。慰霊の日が近づき、そんなことを思ってしまいます。

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コメント

こんにちは。初めてコメントさせていただきます。
私の祖父母も戦争体験者ですが、当時はまだ幼く戦地に送られるということはなかったそうですが、戦士した家族の話を聞かせてもらっています。
今年が戦後何年なのか分からない若い世代が多いそうです。せめて沖縄では慰霊の日についてもう少し学校教育でも取り組んでもらえるといいのになって私は思うのですけれどね。

投稿: kame | 2005年6月20日 (月) 15:35

kameさん

コメントありがとうございます。
幼い年であっても、あの時代に生きていた人は
大変な苦労だったでしょうね。
戦争の記憶というのは時が経つにつれ風化していくのは
ある意味しょうがないのかもしれませんが、祖父母の話なり、
学校教育なりで語り継いでいくのは大事かもしれません。

投稿: とらひこ | 2005年6月22日 (水) 06:42

こんばんは、はじめまして。
トラバ、どうもありがとうございました。
私の祖父母は沖縄戦の前まで首里にいたらしいので、
もしずっとそこに住みつづけていたり、
軍と一緒に南部に移動したりしていたら…
母も私も生まれてくることができなかったでしょう。
自分は大変な好運の結果生まれたんだなと思いますし、
冷静な判断で正しい選択をした祖父母に感謝です。
そして、沖縄戦の犠牲になった方々についても、
ひとごととは思えません…

これからもどうぞよろしくお願いします。

投稿: 亜衣 | 2005年6月24日 (金) 01:11

コメントありがとうございました。

昨日は終戦記念日だったんですよね。
沖縄での雰囲気はどうなのでしょうか?

さて,とらひこさんの記事を読ませていただいて,

人の命というのは本当にわからないものだということをあらためて思いました。

自分の母親は1945年8月,つまり終戦の直前に樺太で産まれました。
戦後,逃げるようにして私からみての祖父母に抱えられ
帰ってきたそうです。
途中食べるものもなく,祖父母は何度も幼い赤ん坊だった母を置きざりにすることを考えたそうです。

もし,そうしていたら自分はこの世に産まれていなかった。
初めてその話を聞いたときはなぜだか涙が出ました。

とにかく,未だ世界のあちこちで争いは続いています。
月並みですが,平和な世界が訪れることを
心から祈っています。

投稿: つるつるいっぱいの宇宙(K) | 2005年6月24日 (金) 21:30

亜衣さん、つるつるいっぱいの宇宙(K)さん

コメントありがとうございます。
それぞれの家に、それぞれの戦争体験があることを実感します。その話を自らのものとして大切にしまっておくのもいいかもしれませんが、こうしてお互いの話を聞くこともまた大切なことなのかもしれませんね。
慰霊の日は僕は残念ながら今沖縄にはいませんでしたが、ネットをきっかけにこの日のことを一緒に考えることができたのはよかったと思います。

投稿: とらひこ | 2005年6月25日 (土) 14:20

はじめまして。
首里、壕で肉親が大変な目に遭われた、偶然難を逃れたとのコメントがありましたので、コメントさせていただきます。

戦後60年の今年、沖縄の戦跡を写真撮影してまいりました。下記サイトに首里第32軍司令部壕跡、大田実中将が自決された旧海軍司令部壕内部、轟の壕、ひめゆりの塔、魔文仁の海岸などをフルスクリーン360度パノラマ(マウスのドラッグ操作で真上方向も真下方向も自由に見ることができます)で紹介しております。

http://www.francis-hope.com/ww2/

その当時の人々がどのような場所で戦争の体験をされたのか、静止画では伝えることの難しい、その場所に居るかのような臨場感を少しでも体験して頂ければと思います。

投稿: パノラマカメラマン | 2005年10月 3日 (月) 22:11

こんにちは。壕のパノラマ拝見しました。

圧倒的な臨場感ですね。暗く湿った壕のなか、いつ命を落とすかわからない恐怖に震えていた当時の人々の感覚までも想像できてしまいます。

すばらしいサイトのご紹介、ありがとうございました。

投稿: とらひこ | 2005年10月 4日 (火) 12:26

こんばんは、初めて書き込みします。

先日、修学旅行で沖縄に行ってきました。
3泊4日だったのですが、忙しいスケジュールの中、沖縄戦にまつわる場所をいくつもまわりました。
一番衝撃的だったのは糸数壕。何人もの方がここで苦しんで亡くなったんだと思うと、恐ろしいのとともにとても悲しく、悔しくも思いました。
体験者の方の話も聞いたのですが、とても凄まじく、あらためて自分はいまの時代に生まれてよかったと思いました。
すべての見学地で深く戦争について考えさせられ、とても意味のある旅行に思えました。

けれど残念だったのは、この旅行中ずっとふざけてヘラヘラしている同級生がちらほらいたことです。
正直言って、そう言う人たちこそ頭がいかれてると思いました。

修学旅行に行く前、憲法第9条について授業でしました。
その時の私の意見は、『憲法改正に賛成。やられたらやり返すだけの戦力は必要だと思う。』でした。
しかし、実際に戦地となった沖縄に行って、とてもそんなことは思えなくなりました。私も戦争について何もわかっていなかったんだなと恥ずかしくなります。

戦争なんか2度としてはいけないし、その原因になるようなこともしてはいけないと強く思います。

長々とすみませんでしたιι
こんなつたない文を読んでくださってありがとうございました!


投稿: 山梨県のある高校2年生 | 2005年11月21日 (月) 18:26

>山梨県のある高校2年生さん

わざわざの書き込み、どうもありがとうございました(^-^)

若い人のなかで戦争の記憶が薄れていくなか、とても意識の高い方だな、と感じました。僕の高校生時代とは大ちがいです(苦笑)

時間がたてば忘れられてしまうのはしょうがないかもしれません。しかしだからこそ、過去の体験を知ろうとすることはとても大事なことだと思います。

憲法9条については様々な議論があります。
改正に反対する人はもちろんですが、賛成する人も決して戦争を望んで言っているのではないと僕は思っています。

高校2年生さんはこれからいろんなことを勉強していく機会がたくさんあると思いますが、どちらか一方の意見だけに耳をかたむけるのではなく、両方の意見を聞いてじっくり考えて結論を出してもいいと思います。

また沖縄に遊びに来てくださいね。

投稿: とらひこ | 2005年11月22日 (火) 17:32

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