首里城の謎(3)消えた王家の財宝
今回は首里城の謎シリーズの続きとして、琉球王家の財宝の謎についてお話しします。1879年(明治12)、琉球王国は明治政府により沖縄県として日本の一県に編入され、王家は東京に移住させられます。首里城は廃城となりますが、かつて王子の邸宅であった中城御殿(なかぐすく・うどぅん。今の県立博物館の場所)が尚侯爵邸として利用されました。
王家が持っていた宝物は一部東京へ運ばれましたが、多くはこの中城御殿に収蔵されています。宝物は王冠や衣裳、豪華な調度品、古文書や国王の肖像画(御後絵)などの絵画、その他膨大な数の種類があったといいます。実はこの王家の宝物、沖縄戦の直後に忽然と姿を消してしまうのです。
尚侯爵邸に出入りしていた真栄平房敬氏(プロジェクトXにも登場していましたね)によると、1945年(昭和20)沖縄戦が始まる前、王家の宝物を戦火から守るために対策をしたといいます。国王の黄金かんざしなど選りすぐった高価なものを3つの大金庫いっぱいに入れ、いくつかの王冠や衣裳などの貴重な品々も安全な場所に隠されました。御殿にはそれでも隠しきれない宝物があふれていて、それらはそのままに放置されていたといいます。
戦闘が終わり真栄平氏が中城御殿を訪ねてみると、米軍の猛攻で御殿は焼けていましたが、大金庫と宝物を収めていた離れの建物は奇跡的に残っていました。王家の財宝は戦争で全ては焼けていなかったのです。しかし中身を見てみるとカラッポ。誰かが持ち去った形跡が…これらの宝物は米軍により戦利品として略奪されたのです。それは中城御殿に隠されていた歌謡集の『おもろさうし』が1953年にアメリカから返還されたことからも明らかです。
現在、琉米歴史研究会という団体がアメリカで略奪された宝物の返還活動を精力的に行っています。その結果、「琉球国惣絵図」という絵図が返還されています。中城御殿にあった王冠の捜索も行っているようですが、いまだに発見できていません。おそらく王冠は今でもアメリカのどこかでひっそりと眠っているはずです。
戦争の傷跡というのは亡くなった人命はもちろんですが、このような沖縄の貴重な文化遺産にも及んでいるんですね。いつの日か尚王家の財宝がアメリカから返還されるのを期待しましょう。
参考文献:那覇市市民文化部歴史資料室編『尚家関係資料総合調査報告書Ⅱ美術工芸編』
| 固定リンク
コメント
お久しぶりです。元龍源蔵山亭敏照です。
遅ればせながらブログを作成したことをお知らせいたします。
それにしても王家の財宝が消えたというのもまたロマンですね。
ひょっとしたら徳川埋蔵金のようにどこかに埋められているのかも。
といった具合にロマンをかきたてられてしまいます。
歴史は本当にロマンですね。
投稿: 中屋ヒロキ | 2005年6月29日 (水) 15:49
すいません、URL書いてませんでした。これがブログの正式なURLです。
投稿: 中屋ヒロキ | 2005年6月29日 (水) 15:50