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2005年5月15日 (日)

琉球のお百姓は働かない?

沖縄というと本土と比べてノンビリした場所として知られています。沖縄の方言でも「テーゲー(適当、おおまか)」という言葉が否定的な意味ではなく、むしろ肯定的にとらえられている感があります。それでは琉球王国時代はどうだったのでしょうか。沖縄の「テーゲー」ぶりを歴史から見ていきましょう。

近世琉球(江戸時代)の百姓は、なかなか農作業をしませんでした。17世紀の薩摩藩から琉球への通達書には、「琉球では女性ばかり耕作していて、男は〝大形(テーゲー)〟にやっているようだ。ちゃんと働かせろ」との一節があります。

「農業は国の本」とする琉球王府はたびたび百姓たちに農耕を行うように命じますが、百姓のほうは魚ばかり獲っていて田畑はほったらかしという光景が一般的に見られたといいます。クワなどの農具も、18世紀に入ってもほとんど普及していない状況でした。

さらにある村では1年のうち60日も祭りがあって、農耕のさまたげになっていました。王府は百姓の漁業活動や祭祀を禁止したり、村々へ監督官を派遣して指導するなどの対策を行いますが効果は上がらず、百姓の農業のサボりは村役人の責任にされました。村役人にしてみれば、百姓は言っても聞かないし、お上からはうるさく叱られるし、ジレンマだったでしょう。

このようにみてみると、琉球の百姓は全然働いていないように思えます。しかし、その見方は適切ではありません。そもそも琉球は農業にそれほど向いていない土地なのです。島国のうえ平地が少なく、水源の確保が難しい。毎年来る台風などのきびしい気候的条件…ただ、そのかわりに目の前には広大な海があります。海からは一年を通じて豊富な魚介類が獲れます。よってわざわざ農業を一生懸命に行わなくても、海に出れば何とか生活できたわけです。

さらに江戸時代以前の琉球王国は交易国家だったので、農業が「国の本」ではありませんでした(もちろん農業が全然なかったわけではありませんが)。祭りについても、神に感謝するという昔からの伝統行事であって、別に遊んでいたわけではありません。

江戸時代に入って薩摩藩の支配下におかれると、日本の石高制などに見られる農業社会の考えが琉球にも持ちこまれます。琉球王府はそれまでの交易・漁業など「海」を中心とした国家から、農業など「陸」を中心とした国家への転換をこころみるのです。つまり、百姓の耕作のサボりは彼らの怠慢だったのではなく、国家の主導によって農業化が進められたものの、古来より続く琉球の社会的土壌がそれをなかなか受け入れなかったということなんですね。

参考文献:豊見山和行編『日本の時代史18 琉球・沖縄史の世界』吉川弘文館、安良城盛昭『新沖縄史論』沖縄タイムス社

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コメント

コメントありがとうございます。
「海」と「陸」の視点の転換・・・「海の国境」で紛争の続発する今日もなお(今日こそ)重要な問題だと思います。
国際法上の海域面積では世界第6位の「大国」の、膨大な海域を抱える「巨大地方自治体」という見方が、なぜ中央政府に出来ないのでしょうか?・・・もちろん「大きさ」の問題なのではありませんけれども。

今日の記事を読ませていただいて、大好きな「女市」(『琉球談』)の図を思い出しました。

さて、普天間基地包囲行動がはじまる時間ですね。身体は内地から出られませんでしたので、せめて「気持ち」だけでも飛ばそうと思っています。

投稿: 源内探偵団 | 2005年5月15日 (日) 14:06

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