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2005年5月 1日 (日)

首里城の謎(2)正殿前の道はなぜ曲がってる?

0301319首里城正殿の前の広場は御庭と呼ばれ、王国時代にはここで国王の即位式など様々な儀式が行われました。真ん中には浮道と言われる道が、御庭への入口である奉神門に続いています。首里城の観光に行った方はお気づきかもしれませんが、この浮道は正殿からまっすぐ伸びていないのです。正殿の正面に立ってみると、道が曲がっているのがはっきりわかります。御庭全体も見てみるときれいな正方形ではなく、いびつな台形です。どうしてこのような形になっているのでしょうか。

この謎に対する明確な答えは、今のところ出されていません。せまい地形の関係上そうなったという考えもありますが、発掘調査では以前の御庭は正方形だったらしいですから、わざわざ変形して浮道も曲げたことがわかります。

Cimg0663_3 ここで正殿前に立って浮道のほうを見てみると、その先の奉神門から石垣で囲われた木々が見えます。それが首里森御嶽と呼ばれる聖なる場所です。

この場所は琉球の神話で天上の神が最初に降りた聖地であるとされ、正殿ができる以前に存在したと考えられます。つまり首里城が建てられてからこの聖地をつくったのではなく、もともとある聖地の周りに首里城を建てたわけです。正殿の正面からまっすぐ道をつくると聖なる場所は見えません。そこで聖地に向けて道を伸ばして、王のいる正殿から首里森御嶽への通り道にしたのではないかと考えられます。ちなみに浮道は国王や中国の使者しか通ることのできない神聖な道でした。  

その他、御庭がいびつな台形なのは風水の関係から建物の方角を変えたためとする説も出されています。近世(江戸時代)、首里城の御庭で行われる儀式で真北が重視されるようになったため、浮道を東西の軸に合わせたのではないかというのです。

いずれにせよ、沖縄のグスクはもともと聖地だったものから発展していって、その周りに石垣をつくっていったものが多くみられます。首里城もそのような形であったことが正殿と首里森御嶽との関係からうかがえます。                       

参考文献:『首里城入門-その建築と歴史』ひるぎ社、安里進「首里城正殿基壇の変遷」(『首里城研究』2号)、伊従勉「首里城正殿唐破風の起源とその改修について」(『首里城研究』3号)    

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コメント

「首里城の謎(3)」に因んだわけではありませんげ、以前の記事にトラックバックさせていただきました。
単なる思い付きで、お恥ずかしい限りです。

投稿: 源内探偵団 | 2005年6月14日 (火) 19:16

間違えました。
「ありませんげ」→「ありませんが」です。
龍源蔵山亭敏照にお返事いただき、ありがとうございました。ぶしつけなお願い、ご容赦ください。

投稿: 探偵団 | 2005年6月14日 (火) 19:17

探偵団さま

いえいえ。時間が合いましたら、またよろしくお願いします。

投稿: とらひこ | 2005年6月15日 (水) 19:45

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