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2005年5月 5日 (木)

落ちこぼれの大政治家

琉球の歴史で最もすぐれた大政治家といえば、蔡温(さいおん・1682~1761)をおいてほかにはないでしょう。彼は三司官(琉球の3人の大臣)という職について数々の改革をおこない、「蔡温以後の琉球には三司官が4人いる(三司官のほか、蔡温の教えがある)」と後の世にまで語られるほど大きな影響を与えました。しかしこの蔡温、若い頃は全く勉強ができない落ちこぼれだったのです。

蔡温の家はエリートの家系で、父の蔡鐸(さいたく)は歴史書の『中山世譜』も編集した有名人でしたが、どういうわけだか息子の蔡温はもの覚えが悪く、16才になっても遊びまわって満足に読み書きができない状態でした。ところがその年の夏、ある事件が起こります。仲間たちと月見の際、身分の低い家柄の友人と口論となり、彼に「蔡温は家柄がよくても全く勉強ができない。お前は衣装は立派でも百姓と変わらない」とバカにされ、他の友人も蔡温を笑いものにしたのです。蔡温はその場を逃げ出して一晩中泣きあかしたといいます。

それから彼は人が変わったように勉強しはじめました。その勉強ぶりはすさまじく、20才になる頃はほとんどの書物を読破し、21才に読書の師匠に任じられ、27才には福州琉球館(中国にある琉球大使館)のスタッフに抜てきされるほどの出世をします。バカにされたくやしさから必死に勉強し、ついに友人を見返してやったのです。

ですが、この頃の蔡温は自分の力を過信し、「俺は秀才だ」と少々カン違いをしていました。そんな時、中国で彼はある老人と出会います。老人は彼に「あなたはこの年になるのに何にも学問しておりません。おしいですな」と言われ、驚いた蔡温は「自分はほとんどの書物を暗記して、詩文も作れる。なぜそのようなことを言う」と反論し、老人と論戦しますが、ことごとく負けてしまいます。そこで蔡温は今まで形だけの学問しかしていなかったことを老人に教えられたわけです。

琉球に帰国した後の蔡温は、もう自分の才能を誇るそれまでの彼ではありませんでした。世に貢献すべく、さらに学問にはげむ彼は30才の若さで国王の教師に大抜てきされ、そこから琉球の難題に立ち向かい、大政治家と言われるまでに成長をとげていきます。

以上は彼自身の書いた自伝からの話です。偉大な政治家は、実はとても人間味のある人物であったことがわかりますね。

参考文献:蔡温『自叙伝』

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