日本より100年早く伝わった鉄砲
沖縄の歴史の驚くべき事実、第2弾です。日本への鉄砲伝来は1543年の種子島へ火縄銃が伝わったことが広く知られています。しかし琉球にはこれより約100年さかのぼった時期に“鉄砲”が伝来していた事実が最近、明らかになりました。
琉球の鉄砲についての最古の記録は1450年。「火筒」と呼ばれる小型の銃砲があったと書かれています。これは火縄銃より古い形式の鉄砲で、映画の「もののけ姫」に出てきた石火矢と呼ばれた形式と同じものだったと考えられています。
15世紀、琉球の使者が室町将軍に会った際、「鉄放」をぶっぱなして京都の人を驚かせたというエピソードは有名です。また沖縄のグスク調査などでは、金属や石製の弾(最大10センチ)がごろごろ出てきます。これが鉄砲の弾丸だといわれています。
那覇港近くのロワジールホテルの裏には三重グスク【写真】という史跡があるのですが、ここは実は海上の砲台でした(現在はわずかに石垣が残っています)。琉球は当時の最新兵器である大砲を導入し、ここから那覇港に入ってくる海賊船に対して大砲を撃ったのです。1609年、実際に島津軍が琉球に攻めてきた時、この砲台から島津軍の船を砲撃していったんは撃退しています。
この鉄砲は中国から伝わったものでした。当時の中国はすでに火薬と鉄砲が発明されていて、交流のあった琉球はここから入手したのです。また火薬の原料である硫黄が琉球ではたくさん採れました。つまり鉄砲に不可欠な火薬を作りやすかったわけです。
昔の沖縄の人はのんびりしてただけじゃなかったんだぞ、というお話しでした。それにしても沖縄の歴史は奥が深いですね。
参考文献:當眞嗣一「火矢について」(『南島考古』13号)、上里隆史「琉球の火器について」(『沖縄文化』91号)
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コメント
今回も、興味深い話題でした。
先日、「沖縄・八重山探偵団」というブログをつくってしまいました(リンクしています。よろしければご覧ください・・・)
それで、かなり時間的な負担が大きくなりましたので、「源内探偵団」のほうは人気blogランキングからはずれて、のんびり更新することにしました。
そうすると、こちらに来る機会が少なくなってしまいますので(これまで人気blogのほうから来ていましたので)、「沖縄・八重山探偵団」にリンクさせていただきたいと思います。
それでは、今後とも、どうぞよろしく・・・
投稿: 源内探偵団 | 2005年5月29日 (日) 20:50
コメントありがとうございました!沖縄の人,食べ物,自然など,一度だけですが,実際に行ってみて大好きになりました。
自分は社会科専門の教員です。このblogの内容は大変興味深く,また新たな一面を教えてもらえます。
ちょくちょく来ますので,今後ともよろしくお願いします。
投稿: つるつるいっぱいの宇宙(K) | 2005年5月31日 (火) 22:41