琉球人のマゲとターバンの話
昔の琉球人男性の髪型は日本のチョンマゲとはちがう、総髪(といっても実際は頭頂部を少し剃っていましたが)で頭のてっぺんに髪を結う「カタカシラ」という独特の髪型をしていました。その姿は大河ドラマ「琉球の風」や、沖縄の伝統芸能などで見たことがあるかと思います。この髪型の由来は、琉球最初の王といわれる舜天の頭の右部分にコブができていて、それを隠すためにコブ部分に髪を結い、のちに皆がマネしたものと言われています。
しかし最初に説明した「カタカシラ」は髪を結ってあるのが頭のてっぺんで、全然右側に結ってないじゃないか、と疑問に思われる方もいるかもしれません。あまり知られていませんが、実は琉球人の髪型は一回、大きなモデルチェンジをしているのです。もともとは舜天の故事にあるように、琉球人は右のもみ上げあたりに髪を結っていました。5~600年前頃(日本では室町時代)の日本や中国の記録には、はっきり琉球人は髪を右側(左とも)に結っていたとあります。この事実があまり知られていないのは、当時の琉球人の姿を描いた絵図がほとんど残ってないからでしょう。
モデルチェンジをしたのは17世紀の中頃(日本では江戸時代)です。その頃、中国では漢民族の明王朝が滅亡して女真族の清王朝が誕生していました。清王朝は女真族の風俗である弁髪(ラーメンマンの髪型ですね)を漢民族に強制しました。琉球では清王朝が弁髪を強制してくるのではないかと非常に恐れていました。当時の漢民族は野蛮な女真族の髪型をするのを恥としていましたが、琉球でもそうだったようです。結局、琉球へは強制されなかったわけですが、琉球人の髪型がモデルチェンジしたことと、同時期に起きた弁髪をめぐる問題は何らかの関係があったと考えられます。
また5~600年前の琉球人は、インド人のようなターバンを巻いていました。それが琉装の男性がかぶる冠のハチマキ(鉢巻)です【画像】。あれはもともと長い布を頭にぐるぐる巻きにしたものだったのです。1600年頃、そのターバンを固めて冠状にしたものが現在見るようなハチマキです。今度ハチマキを見る機会があればよく観察してください(琉装をした男性は沖縄の祭りの歴史行列や首里城公園内で見れます)。きっとターバンっぽく?見えてくると思いますよ。
※【画像】は『ベンチャー航海記』挿画をとらひこが筆写
参考文献:ラヴ・オーシェリ、上原正稔編『青い目が見た大琉球』
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